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[ルポ] 訪韓したベトナム戦争虐殺生存者と過ごした一週間(3)

登録:2015-04-11 11:37 修正:2015-04-11 20:43
初めての記者会見とインタビュー、そして慰労

 国会で記者会見開き虐殺を証言
 母親の話をする時は言葉を続けられなかったが
 「参戦軍人たちを許したい気持ち」
 良心ある韓国人に慰労された
 「もう韓国人が恐ろしくはありません」

8日夜、釜山・中区の民主公園の小さな部屋で「ベトナム戦韓国軍民間人虐殺被害者の歴史的証言」懇談会が開かれた。 この日、110席規模の同劇場には約280人の市民が集まった キム・ヨンドン記者//ハンギョレ新聞社

 訪韓3日目の6日、ロンさんとタンさんは韓国の国会を訪れた。

 「50年近い歳月が流れたけど、残忍な虐殺と苦痛な悲鳴で記憶される虐殺の声は、私の頭の中で生々しく残っています。その日の記憶を再び思い出すと半月は寝れずに体が痛みます。だけど、その日を記憶して話を伝えることが、私が生きている最後の役目だと感じています」

 国会議事堂政論観でロンさんとタンさんは今まで数百回と繰り返し話してきた虐殺当時の状況を証言した。ベトナムに自分たちを訪ねてきた他でもない韓国人に、しかも韓国のの公開の場でその話をするのは初めてだった。辛い証言に対する反応は翌日にすぐ伝えられた。

 7日午後、曹渓寺で開く予定だった写真展の開幕行事が取り消しになった。彼らはその代わり、泊まっていた近くのホテルの小さな部屋で非公開の記者会見を開いた。ベッドを片付け、他の部屋から椅子を借りてきて、せいぜい10人くらいの取材陣、そいて2人のベトナム人と1人の通訳が座る席を用意した。記者たちの質問が始まる前にロンさんは「出て行ってあの人たちに話したい。記者たちにお話しすれば伝わるのではないか」と急かした。窓の外からは枯葉剤戦友会が歌う愛国歌が聞こえてきた。ロンさんは「参戦勇士に会えば丁寧に挨拶をしようと思う。私がこの席にいるとは思いもよらないことでしょう。韓国国民に挨拶をし、彼らに韓国軍人がベトナムにいた時にどんなことがあったか、率直な心情を吐露したい」と話した。

 窓の外で再び「わあ!」という怒声が響いてきた。ロンさんは「彼らを許す」とも言った。「皆さんが過ちを犯したのは過去の旧制度で起きたことです。皆さんを許す心を十分に持っています。もし皆さんが過去の過ちを直視し、過ちを正したい気持ちがあるなら、私たちは皆さんを十分に理解できます」。枯葉剤戦友会の叫び声は収まる気配がなかった。ロンさんとタンさんのインタビューは彼らが体験した虐殺状況に対する具体的な証言へと続いた。

 「銃声がすぐ近くで聞こえ、村人たちの悲鳴と叫び、叫びが一緒に聞こえてきました。そうするうちに声が聞こえなくなったけど、妹と私を両脇に抱えていた母親が私たちにタオルを巻いてくれました。母親のタオルの暖かい温もりのおかげでお腹がすいていたのも、喉が渇いていたのも分からずにいました」

 ロンさんの母親は虐殺が起きた日、一日中ロンさんと妹を抱いて防空壕の中に隠れていて、午後遅くなって韓国軍に発見された。その後、他の村人と一緒に引きずられて行き、手榴弾を投げつけられ銃で乱射された。母親は下半身が殆どない状態で発見され、妹は頭がひどく崩れてしまっていた。母親の話をする時、ロンさんは目がしらが赤くなったまま話を続けることができなくなった。見守っていたタンさんが腕を支えるとようやく証言を続けた。証言が具体的になると頬が震えだし、眼には涙が溜まった。窓の外ではマイクをとる者の怒鳴り声が響いていた。通訳をしていたベトナムの社会的企業アマプのク・スジョン本部長(49)は「ロンおじさんは今までこの話を数百回してきたけど、母親の話をされる時はいつも話を続けられなくなります」と話した。

 タンさんも証言を続けた。彼女の左手にはナムヌの家でもらった黄色の腕輪がかかっていた。「迷彩色の服を着た韓国軍が子供たちが入っていた防空壕に手榴弾を投げ込むフリをしながら、出てこいと言いました。出てこなければ投げるということでした。とても恐ろしくて出て行くと、出てきた人たちを1人ずつ撃ちました」。タンさんの兄はその場で片方のお尻が吹っ飛ばされ、一緒にいた叔母は韓国軍の銃剣で刺されて殺された。姉と弟、甥もみな銃で撃たれて殺された。話が進むほどタンさんの涙声での話はむせび泣きに変わっていった。彼女は「その時は8歳でしたが、今でもその日ことを生々しく鮮明に記憶しています」と語った。

 インタビューを終えたこの日の夕方、彼らを慰労する席が用意された。彼らを招請し、ベトナムに行って彼らと会った韓国人が集まる歓迎パーティーだった。旅行の代案学校ロードスコラ、ベトナムを理解しようとする若い作家の集い、ベトナム平和医療連帯、保健医療労組、挺身隊対策協、アジア公正貿易ネットワークなどに属す約100人が招待された。ベトナム戦争に参戦した人もいた。

 作家のイ・ジェガプ氏は「お二人に申し訳ないとお話しできる、そんな場を設けることができたのは幸いなことだと思います。韓国人の中にもこうした良心ある人々が多いことを分かってもらえたら嬉しいです」と述べ、ロンさんは「韓国に来たのはただ共感と平和を分かち合うだためです」と答えた。ク・スジョン本部長は「ロンおじさんは脚に残る手榴弾の破片を除去したけど、常に足の痺れに悩まされてきました。だけど韓国に来てからは痛くないと仰いました。タンさんはもう韓国の人々が恐ろしくないと仰ってくださいました」と紹介した。集まった人たちが席を立って拍手して歓呼した。旅行代案学校のロードスコラのある女子生徒は「母が花になった日」という詩を朗読した。朗読が終わるとすぐタンさんが舞台にあがりその生徒を強く抱きしめて涙を流した。

6日午後、国会政論館でベトナム民間人虐殺被害者のウンウイェントン・ロンさん(右端)が当時の状況を証言している。左端にいるのは一緒に訪韓した被害者のウンウイェンティ・タンさん キム・ギョンホ記者//ハンギョレ新聞社

韓国語原文入力:2015-04-10 20:31

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/686392.html 訳Y.B

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