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[ルポ] 訪韓したベトナム戦争虐殺生存者と過ごした一週間(1)

登録:2015-04-11 11:36 修正:2015-04-12 07:01
「私たちは心臓で話をしているのです」

1975年に終戦を迎えたベトナム戦争で延べ32万人を派遣した韓国軍は、9000人に及ぶベトナム民間人を虐殺したという疑惑に包まれています。この虐殺から生き残った2人が、光復(解放)70年、ベトナム戦争終戦40年を迎え初めて韓国を訪れました。訪韓中の彼らの日程は、彼らが生きてきた人生同様に順調なものではありませんでした。彼らの訪韓に付き添ってみました。

6日午後、国会政論館でベトナム民間人虐殺被害者のウンウイェントン・ロンさん(右端)が当時の状況を証言している。左端にいるのは一緒に訪韓した被害者のウンウイェンティ・タンさん。 キム・ギョンホ記者//ハンギョレ新聞社

 ベトナムには憎悪碑、韓国には記念碑
 「韓国軍人も戦争被害者だと思う」
 行事会場を取り囲む枯葉剤戦友会を見て
 「真実を認めず心が痛む」
 慰安婦のお婆さんと分かち合った共感と痛み

 8日午前、ソウル鍾路区堅志洞にある社団法人平和博物館のギャラリー「スペース99」で、光復70年、ベトナム戦終戦40年に合わせて開幕した写真展「一つの戦争、二つの記憶」に招待されたウンウイェントン・ロンさん(64)とウンウイェンティ・タンさん(55)は複雑な表情をしていた。写真展開幕を祝うためのレセプションが前日になって突如取り消されたうえ、自分たちの人生を根こそぎにした戦争が韓国では“記念”すべきことと記憶されている事実に接したためだった。

 写真展を開いた写真家のイ・ジェガプ氏が彼らを展示場の片隅の小さな部屋に案内した。韓国各地にある戦争記念塔の写真が映写機を通して暗い天井に投影されていた。ベトナム各地に韓国軍を憎む60余りの憎悪碑が建てられているのとは対照的に、韓国の領土では100余りの参戦記念碑があるという説明が後に続いた。

 「韓国ではベトナム参戦を“記念”しています。韓国がこの戦争を記憶するやり方と、ベトナムが戦争を記憶するた差を見せてあげたかったのです」。過去7年間、戦争碑石に関する作業を続けてきたというイ氏は、展示に関する説明を終えた後、彼らに「応援できりうことがあれば嬉しい」と言って笑った。ロンさんとタンさんも握った拳骨を振って見せ、イ氏とともにしばし明るい表情になった。ロンさんは韓国とベトナムの市民の集いでプレゼントされた丸いひさしがついた帽子をかぶっていた。帽子を受け取る時、ロンさんが「大事な席で使う」と言っていた帽子だ。

 2人と共に訪韓したベトナムのホーチミン市戦争証跡博物館のフイヌンオク・ポン館長(53)は「私たちの博物館にも辛い写真が展示されている。戦争の話をずっと聞かなければならなかったイ氏も辛かったでしょう。私たちは韓国軍人も戦争の被害者だと考える。事実を真正面から認めて謝る時、彼らの気持ちも楽になるでしょう」と語った。前日、近くの曹渓寺一帯を取り囲んで平和博物館の写真展開幕を阻んだ「大韓民国枯葉剤戦友会」など300人余りの参戦軍人を念頭にした言葉だ。軍服とサングラスをかけ勢ぞろいした参戦軍人らは、3、4時間軍歌を歌ったり声を荒げ、自分たちを良民虐殺犯と罵倒していると抗弁した。開幕の行事は取り消しとなり、ロンさんとタンさんは曹渓寺近くで非公開で開かれた記者懇談会で「真実を知らせたかっただけなのに、彼らがこの事実を認めようとしないことに心が痛む」と涙声で話した。

 展示会場を見ている間、平和博物館のソク・ミファ事務局長が届いたばかりの文字メッセージを見せた。翌日に韓国中部の大邱にある慶北大学で予定されていた懇談会の場所も変更されるかも知れないという内容だった。「学校側が平和博物館を利敵団体と言っているらしい」。博物館関係者たちの表情が曇った。

ベトナムのクァンウンアイ省にいるパンティプオンお婆さん(65)はベトナム戦争当時、韓国軍が投げた手榴弾で片足を失った。ベトナム戦争の痕跡を記録した写真家イ・ジェガプ氏の写真展で紹介された作品。 イ・ジェガプ写真家//ハンギョレ新聞社

韓国語原文入力:2015-04-10 20:31

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/686392.html訳Y.B

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