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済州島海軍基地建設に反対する座り込みテント強制撤去

登録:2015-02-01 22:53 修正:2015-02-02 08:47
海軍官舎建設反対闘争をした
村会長など24人連行・4人負傷
政府に対する怒り・不信“深い傷”
闘争8年間で650人処罰・3億ウォンの罰金
平和運動の新たな道を摸索する契機に
済州の海軍基地近隣に建てられる海軍官舎建設に反対し、工事現場の出入口に高さ6メートルの望楼を設置し座り込んでいた江汀村住民と市民団体会員が31日午後、国防部の行政代執行のために撤去に出動した警備会社職員、警察と対峙している。 西帰浦/キム・ポンギュ記者 //ハンギョレ新聞社

 1月31日土曜日、夜明けに始まった済州江汀(カンチョン)マウル(村)海軍基地軍官舎工事現場の座り込みテントなどに対する国防部の行政代執行が14時間で終わった。この過程でチョ・ギョンチョル江汀マウル会長など24人が警察に連行され、4人の負傷者が出た。座込み場は撤去されたが、住民たちの怒りと挫折、政府に対する不信は深い傷として残るものと見られる。

 海軍基地軍官舎を巡る葛藤が始まったのは2012年5月だ。 その年3月7日から海軍基地反対運動の象徴だったクロムビ岩の爆破作業が住民・活動家の激烈な抵抗の中で行われたのに続き、5月29日海軍は軍官舎事業の説明会を行うと明らかにした。 住民たちの意思は無視し海軍は日程に従い海軍基地関連工事を進行した。

 これに対し住民たちは事業説明会を失敗させるなどして強く反発した。同年6月10日に開かれた村総会で住民の98%が軍官舎建設に反対し、昨年10月に工事が始まると直ちに工事現場入口にテントを張って阻止闘争を展開した。 このために住民と活動家にとって軍官舎建設阻止は海軍基地反対闘争に他ならなかった。

 国防部が2007年6月、江汀マウルを海軍基地建設地に決めた後、住民たちは8年間苦しい闘争を繰り広げた。 だが残ったものは政府に対する不信と怒りだけだった。 政府と海軍は海軍基地建設予定地に、西帰浦(ソギポ)市 和順(ファスン)港と為美(ウィミ)港を両天秤にかけておいて、突然江汀マウルに決めたことから不信を自招した。 海軍は地域の名前がノミネートされるたびに“最適な条件を備えた港”とごまかすなど一進一退した。 海軍はこの過程で住民間の葛藤を誘発し、済州道の要求も無視して事業を強行した。

 軍官舎問題でも2013年10月に海軍参謀総長は、江汀マウル住民たちに住民の同意なしには軍官舎を作らないという書信を送ったことがある。軍が自ら約束を破り不信を育てたわけだ。 国家安保事業を名分に他の地方警察力まで動員したことも民意を逆撫でした。 済州道外の地方警察が住民を鎮圧するために投入されたのは、68年前の済州4・3事件以来初めてだ。

 過去8年間に業務妨害などの容疑で刑事処罰された住民と活動家、宗教家は650人を超える。 裁判に付された件数だけで392件で、このうち159件が現在も進行中だ。 これらの人々が出さなければならない罰金は進行中の事件を合わせて3億8000万ウォン(約4200万円)に達する。 村会は「海軍基地反対闘争で賦課された罰金は個人の問題ではない」として村会館の売却是非を議論している。

 70代半ばの住民キム氏は「政府が国家安保事業を口実に一方的に追い詰めただけで、他に何をしたというのか。 政府に対して怒ることにももう疲れた」と虚しさを吐露した。 住民たちが負った心の傷は今後も簡単には癒えないと見られる。

 しかし8年間の闘争は住民と活動家に平和運動の新たな道を模索する契機になった。 住民や活動家は毎年7~8月に済州島を一周する平和巡礼大行進を通じて平和の価値を拡散させ、江汀マウルを平和の村にしようという動きもある。 また、住民たちの支持を得られない国家事業は“安保事業”だとしても高価な社会的費用を払わなければならないという教訓を残した。

 海軍は今年末までに海軍基地を完工する計画だ。 住民や活動家の反対にも関わらず、計画された工期に合わせて工事を進行している。 年末までに海軍基地周辺の進入道路(2223メートル)と迂回道路(608メートル)が開設される予定なので、そこでも住民や活動家と衝突する可能性もある。

済州/ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/676340.html 韓国語原文入力:2015/02/01 20:53
訳J.S(1859字)

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