話題になっている“秘線”問題の中心にあるチョン・ユンフェ氏(59)とともに、チョン氏の前妻チェ・スンシル氏(58歳、チェ・ソウォンに改名)の役割にも疑惑が提起されている。朴槿恵(パク・クネ)大統領とチョン・ユンフェ氏につながりができるきっかけもチェ氏にあったと見られるためだ。
チェ氏は1970年代後半、朴大統領が“ファーストレディ”として活動していた当時の側近だったチェ・テミン氏(1912~1994)の娘だ。チェ・テミン氏は当時、朴大統領が主導した「新しい心を持つ運動」とその組織である「新しい心奉仕団」の実力者だったという証言が多く出されている。当時の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は娘の朴槿恵氏がチェ・テミン氏と近しいとの噂を聞くと、彼を大統領府に呼んで直接尋問したといわれる。「維新政権」末期の中央情報部(KCIA)と「10・26」(朴正煕大統領暗殺事件)後の新軍部もそれぞれチェ・テミン氏に対する捜査を行ったも伝わる。
チェ・テミン氏の娘のチェ・スンシル氏は若い時から朴槿恵大統領とつきあいを重ね、特に10・26後に朴大統領が孤独な時期を過ごしていた頃、話し相手となって深い信頼を得たと伝えられる。朴大統領が国会議員になる前の1990年に「育英財団」の理事長だった時期、チェ・スンシル氏は「朴槿恵理事長の側近」として夫のチョン・ユンフェ氏より先に登場する。当時、育英財団傘下の子供会館がチェ・スンシル氏がソウル江南(カンナム)区 狎鴎亭(アックジョン)洞で運営していた子供教育施設に特恵を与えたという疑惑が起き、チェ氏らの辞退を求めるデモが起こると、朴大統領が理事長職を投げ出したことがある。
これらの話を総合すると、チョン・ユンフェ氏が朴大統領とのつながりを持ったのもチェ・スンシル氏の夫であったためと見られる。チョン・ユンフェ氏も育英財団時代から朴大統領を補佐してきたた可能性がある。当時の彼に会ったことがある人物は「チョン氏がソウル江南区清潭(チョンダム)洞で『風雲』という日本料理店を経営していた時期に二回名刺をもらったことがあるが、最初は『育英財団朴槿恵秘書室長』とあり、後に『国会議員朴槿恵秘書室長』と変わったと記憶する」と話した。チョン氏が風雲を経営していた時期は1995~1998年で、これが事実なら朴大統領が初めて選挙に出馬した1998年の大邱(テグ)達城(タルソン)郡の補欠選挙前から朴大統領を補佐していたことになる。
朴大統領の政界デビュー後、チョン氏はしばらく表舞台で活動した。2002年にハンナラ党(セヌリ党の前身)を離党した朴大統領が韓国未来連合を創党すると、チョン氏は正式に秘書室長の肩書を得た。彼は2日の『ハンギョレ』とのインタビューでは、すべての職責から公式に降りたのは2007年だったと説明した。しかし、最近の論議でも明らかな通り、党や大統領府の内外では絶えず“秘線”疑惑が提起されてきた。
さらに大統領府内部では、チェ氏の大統領府出入りを問題視した職員が更迭されたという話まで伝わる。大統領府の内外で広まる「門番3人組は肉、チェ・スンシルは五臓六腑。肉は出血してもえぐり出せるが、五臓六腑は命にかかわる」という比喩も同じ脈絡から出てきた。朴大統領がいわゆる「3人組」(アン・ポングン・イ・ジェマン・チョン・ホソン秘書官)を放り出すことはあっても、チェ氏だけは庇い続けるということだ。
そのチェ氏は今年2月に改名したとされるが改名理由ははっきりしない。今年7月にチェ氏と離婚したチョン・ユンフェ氏は2日のハンギョレとのインタビューで、「そうした話(改名)は私も(マスコミ報道で)知った」として「そういった(改名)対話はしなくなってかなりになる」と話した。
韓国語原文入力:2014.12.03 01:32