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【現場から】密陽の村の老人たち 8年間の闘争と「申し訳ない合意」

登録:2014-03-25 08:29 修正:2014-03-25 10:17
涙の呼び掛け‘密陽(ミリャン)送電塔全国対策会議’が15日午前、ソウル太平路(テピョンノ)のプレスセンターで2次密陽希望のバスの出発を知らせる記者会見を行った中で、密陽 上東面(サンドンミョン)ヨス村の住民キム・ヨンジャ氏が密陽の状況を話しながら参席者たちと共に涙をぬぐっている。 キム・テヒョン記者 xogud555@hani.co.kr

慶尚南道(キョンサンナムド)密陽市(ミリャンシ)山外面(サンウェミョン)ポラ村は、くつろげるいごごちの良いところだ。村の裏手の乗鶴山(スンハクサン)の山裾が村を絹のように柔らかに暖かく取り囲んでいて、村の名前が ‘ポラ’になった。

 ボラ村は“密陽の顔”だった。村の住民イ・チウ(当時74歳)氏の死により、密陽送電塔反対運動の中心となってからだ。イさんは「生きて送電塔が立つのを見ることはできない」と言って、2012年1月、村の入り口で焼身した。イさんの死は住民を一つにまとめ、老人たちは街頭の闘士に変身した。反対運動が盛んだった昨年10月、住民たちは村を守るために1年間の収穫を放棄し、夜もろくろく眠らないで不寝番に立って、工事の資材が積まれた積み置き場を監視した。

 村の風向きが変わり始めたのは、今年1月からだ。韓国電力公社(韓電)と既に合意した一部住民の説得で、合意書に判を押す住民が一人二人と増えていった。先月7日には殆どの世帯が賛成に転じた。

 人心も変わっていった。昨年10月にはまだ、住民は村にやって来た記者に「食事を抜いちゃあいかん」と言ってお弁当を用意してくれたし、村の会館を宿に使わせてくれた。“ポラ村名誉住民”というニックネームもつけてくれた。しかし、住民の大部分が賛成に転じた先月以降、住民たちは息を殺した。電話にもなかなか出ず、たまたま電話がつながった住民も、合意については頑として「知らない」と言うばかりだった。韓電と合意しないで頑張っていた9世帯も、さる14日に最終合意を見た。ポラ村39世帯、住民90人余りが皆賛成に転じたわけだ。

 無力な田舎の住民にとって、韓電は巨大な壁だった。ほとんどが70~80代の住民たちは、この8年間続けてきた、いつ終わるとも知れない戦いに疲れていった。補償金を掲げた韓電の懐柔がその疲労感に食い込んだ。キム・ウンロク(72)さんは「ポラ村の住民として自負心をもっていた。イ・チウさんが亡くなって私も戦って死ぬと言ったのだが・・・私たちが死ぬと言っても工事は続けられた」と語った。イ・チウさんの弟のイ・サンウ(74)さんも「私の手にはおえない」と言って、それ以上言葉を継げなかった。彼は「兄にあわせる顔がない」と言って急いで電話を切った。

 住民間の葛藤と反目も負担として作用した。匿名を求めたある住民は「一生家族のようだった隣人と仲たがいするのが、本当に辛かった」と語った。

彼はまた、「補償額と言っても500万ウォン余りだったが、“補償金をもっともらうためにああしている”という話を周りから聞く時は恥辱を感じ、人々の無関心がうらめしかった」と打ち明けた。反対運動を率いていた里長のイ・ジョンスク(71)さんは、任期がまだ残っていたけれども里長を辞めざるを得なかった。賛成側住民が彼を里長として認めなかったからだ。イさんは「住民同士で争い、村には冷たい空気が流れて、これ以上頑張ることができずに韓電と合意した。私たちの話に随分耳を傾けてくれたのに、すまない」と言って、押し黙った。しばらくぎこちない沈黙が続いた後、またイさんの声が受話器越しに聞こえてきた。「賛成したからって、憎いと思ったりはしないだろ? それでもポラ村にまた遊びに来るんだろ? 来たら一度ご馳走してあげたい。」

 賛否に分かれてばらばらになった村は、表向きにはこれで縫合されたように見える。全世帯との補償に合意した韓電は送電塔工事を本格的に進めている。計画どおりなら、来る5月、ポラ村には送電塔が建つ。

イ・ジェウク記者 uk@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/629042.html 韓国語原文入力:2014/03/19 22:29
訳A.K(1628字)

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