本文に移動

NO,3ラインの先輩は10年不妊、私は乳癌、スギョンは白血病…

登録:2014-03-08 09:50 修正:2014-03-09 16:08
[土曜版 ニュース分析なぜ?] ‘貪欲の帝国’パク・ミンスク氏インタビュー
4日、ソウル永登浦区(ヨンドンポク)の国会議員会館でパク・ミンスク氏に会った。 三星(サムスン)電子半導体器興(キフン)工場で7年間働いた後、2012年に乳癌に罹ったパク氏は、ドキュメンタリー映画<貪欲の帝国>主人公の一人だ。 昨年まで坑癌治療を受け、今は6ヶ月に一回ずつ再検査を受け‘完治’判定が出るのを待っている。 リュ・ウジョン記者 wjryu@hani.co.kr

▲ <貪欲の帝国>ホン・リギョン監督は二年前の冬、ある病院で‘ミンスク姉さん’に初めて会ったと言います。 「被害者に会う前はいつも怖い。 病気を患っている人にどのように話しかければ良いのか、インタビューが果たして良い行動なのか、常に悩む。」 ホン監督の恐れを吹き飛ばしたのはパク・ミンスク氏の愉快さでした。 時には戦い、時には怒り、時には大きく笑うパク・ミンスク氏にはソウル鍾路区(チョンノグ)のインディスペースなど全国の映画館20館で上映中の<貪欲の帝国>で会えます。

 パク・ミンスク(41)氏にとって三星電子半導体器興工場で仕事をした7年は最も‘きらびやかな時期’だった。 パク氏は高校3年の時1991年6月4日に器興工場に入社した。 全羅南道(チョルラナムド)宝城(ポソン)で農業を営む両親の下に生まれた‘田舎の少女’は会社員になって金を稼ぎ、生まれて初めてスケートをしたり、麗水(ヨス)・慶州(キョンジュ)・雪岳山(ソラクサン)など全国を旅行した。 幸せな瞬間は記憶にだけ残っているものではなかった。 フィルムカメラやポラロイド・カメラで写真もこまめに撮った。 去る4日午後、ソウル永登浦区(ヨンドンポク)の国会議員会館で会ったパク氏はその時期の写真を見せてくれた。

"この先輩に<もう一つの約束>が封切りされたので観るようにカカオトークを送ったけれど、最近胃癌が転移してすでにこの世の人ではないとの連絡が来ました。 こっちの先輩も、自分のすぐそばで働いていた人だけど、不妊だったのに10年ぶりに妊娠しました。 あ、これは白血病で亡くなったイ・スギョンと撮った写真ですね。 仕事ができて、私が組長だった時に良い考課を上げたのに…。"

 きらびやかな時期が写された写真の中の人々は明るく笑っていた。 パク氏の幸せだった過去は写真だけに残っている。 今、彼女は過去より辛い現実を十分に噛みしめている。 パク氏は6日に封切られたドキュメンタリー映画<貪欲の帝国>の主人公の一人だ。 先月封切りした<もう一つの約束>が三星半導体器興工場で仕事をして白血病に罹って亡くなったファン・ユミ氏の家族の実話を土台にした映画ならば、<貪欲の帝国>は三星半導体などで仕事をして病気に罹り亡くなったファン・ユミ、イ・ユンジョン、ファン・ミヌン氏の遺族と、今も闘病中のハン・ヘギョン、パク・ミンスク氏の人生をありのままに扱ったドキュメンタリーだ。 1991年から7年間、三星半導体工場で仕事をして、退社後に乳癌に罹ったパク氏は<もう一つの約束>の実際の人物であるわけだ。

‘貪欲の帝国’ポスター

‘三星’メリットを見て高3の時に入社

-<もう一つの約束>に続き<貪欲の帝国>が封切られる。 二つの作品を観た後の所感が格別だったようだ。

"<もう一つの約束>はファン・ユミ氏一家の苦痛を共感しやすくうまく解きほぐしたようだ。 演技者の熱演も満足だった。 <貪欲の帝国>はホン・リギョン(監督)氏が私たちのような被害者に会いに通いながら、真正性を持って撮ってくれた。 製作当時、私は坑癌治療を受けながら全身の毛という毛がみな抜けた。 辛い時だったが‘姉さん、一言だけ言って’と言いながら気楽に話しかけて来て、胸の中にしまっていた話をたくさん打ち明けることができた。 <貪欲の帝国>を観れば、三星本館前を進もうとする故イ・ユンジョン氏の霊柩車を警察と三星側の人々が阻む場面が出てくる。 結局、霊柩車は本館前で左折せざるを得なかった。 その時、ファン・サンギお父さんが急いで霊柩車側に走って行き、絶対に左折せずに前へ行けと言う場面が一番記憶に残る。世の中に知らせたくて、足をばたばたさせて走って行く悔しげな足取りを見ればとても胸が痛んだ。 昨年、勤労福祉公団に労災申請する時に初めて会ったお父さんは、私に代って戦ってくれた強い方だ。"

-二つの映画は主題だけでなく製作、封切り過程まで似ていた。製作費はソーシャル ファンディングを通じて一般市民の寄付を集めた。 二つの作品は共に封切りはしたが、アクセシビリティの高いマルチプレックス映画館では上映されなかった。 <もう一つの約束>は上映館数が減ったし、<貪欲の帝国>はソウルのあるCGVで開くことにしていたマスコミ試写会が取り消されもした。

"映画ができあがり、封切りしたこと自体が奇跡のようだ。 昨年ソウル国際女性映画祭で<貪欲の帝国>試写会が開かれた。 その時でも劇場で上映されるとは考えられなかった。 私たちの話を観るために来る人などいないだろうと思ったし、観客が少なければ収益も出ないので映画館でも上映も難しいと考えた。 ところが<もう一つの約束>が封切られた後、上映館の縮小配分が問題になると市民団体など多くの人々が立ち上がって助けてくれ、映画を観にきてくれた。 観にくる人々が本当に有難くて、すごいと思ったし、今こそ世の中が長い眠りから覚めるかと思われる。"

三星(サムスン)電子半導体工場勤務後に白血病で死亡したファン・ユミ氏の7周忌記者会見が去る3日午前、京畿道(キョンギド)龍仁市(ヨンインシ)の三星電子器興(キフン)工場正門で開かれている。 この日‘半導体労働者の健康と人権を守るパンオルリム’会員たちはこの間に三星で働いて死亡した労働者の遺影を掲げて三星に問題解決のための交渉に応じろと要求した。 龍仁/シン・ソヨン記者 viator@hani.co.kr

-三星半導体器興工場にはいつ入社したか?

"筏橋(ポルギョ)商業高等学校情報科3年の時、学校で三星半導体生産職願書を出す人を求めた。 生産職という言葉が心に引っかかったが‘三星’というメリットがあるから手を挙げた。 田舎から抜け出したくて、早くお金を稼いで両親に親孝行もしたかった私のためのプレゼントだと考えてすぐにつかんだ。 1991年6月4日が入社日だったが、この日のことは永遠に忘れない。 私たちにとっては入社日が誕生日の次に重要な日だった。 入社1年、2年の度ごとに‘ご苦労さま’と言いながら誕生日のように互いに祝ってプレゼントを上げ合うほどだったから。"

-器興工場でしていた仕事を説明してほしい。

"3班が午前6時~午後2時、午後2時~午後10時、午後10時~午前6時まで、8時間ずつ3交代で仕事をした。 半導体工場は24時間稼働しているためだ。 最初の3年は1ヶ月に一日休んだが、あまりにしんどくて休日には寝てばかりいた。 工場で仕事をする時は、防塵服を着てクリーンルームに入る。 私は6インチ ウェハーを作るNO.3ラインで仕事をした。 このウェハーの上に回路を刻めば半導体が作られて、このようなウェハー加工工程をFAB(Fabrication)と呼ぶ。 私が仕事をしたNO.3ラインの2階はEnd-FAB工程だが、1階で半導体を作ったプロセスをもう一度略式で繰り返す。 1~16ベイに分けられた2階で私は主に4ベイ エッチング(etching)を担当した。 エッチングはウェハーをコーティングした後に表面をガスや溶液で削り出す過程だ。 コーティングされたウェハーを機械に入れて、エッチングが終わったウェハーを取り出す仕事を全て手動で行った。"

NO.3ラインは2011年にソウル行政裁判所が三星半導体労働者に初めて労災を認めた故ファン・ユミ、イ・スギョン氏も勤めたところだ。 1988年に建設されたNO.3ラインは、器興工場で最も古いラインだ。 三星電子側は‘安全保健公団でNO.3ラインを対象に疫学調査を行ったが、白血病誘発要因は確認されなかった’と主張した。 しかし、ソウル行政裁判所は 「各種の有害化学物質に持続的に露出して白血病が発病したり、その発病が促進されたものと見られる」として三星が主張した疫学調査結果を受け入れなかった。

1991年に入社してから7年間
三星電子半導体器興工場に勤務し
退社後に不妊苦痛に乳癌発病
彼女が仕事をしたNO.3ラインは白血病で
亡くなったファン・ユミ氏も仕事をしたところだった

"私たちの話を観るために劇場に
来る人などいないだろうと思っていたのに
映画ができて封切りされたのは奇跡
私たちが作った半導体ではなく
人が優先されるある会社になって欲しい"

奇跡のようにできた子供が染色体異常

-1998年6月4日に退社した理由は?

"1997年外国為替危機(IMF事態)が襲って会社の雰囲気が良くなかった。 1998年5月頃、私が組長であったが、課長が仕事のできる人からできない人まで順に名簿を作って来いと言った。 その名簿の一部が首を切られる状況だった。 私が何だってあの子たちの人生を好きにできるのか。 そんなことはできなくて、踏ん張れずに退社した。 入社以来ずっとここでなければ生きられないと考えて、三星に愛情を注いで来たが、実際に出て行くと言ったら誰も留めなかった。"

三星(サムスン)半導体器興(キフン)工場で仕事をしたシン・某氏は現在乳癌を患っている。 彼女は 「入社2~3年後から嘔吐・生理不順・胸の痛みに苦しめられた」と話した。 ハンギョレ21 イム・ジソン記者

-会社に通っている時や辞めた直後にからだに異常はなかったか?

"仕事をしている時は生理痛がきつかった。 他の同僚もそうだった。 生理不順の人も多かった。 結婚してからは4年間避妊もしていないのに子供はできなかった。 不妊クリニックへも通ったが、検査をしても夫も私も異常はなくて原因が分からないと言われた。 人工受精を一度したが、期待があまりに大きすぎて失敗し、挫折感がひどかった。 試験管ベビーをしている人を見るとあまりに荷が重いようで、漢方治療を受けている間に奇跡のように子供ができた。 ところが、その子供が18番染色体に異常があって11週目で自然流産した。 理解できなかった。 実の姉たちは子供もちゃんと産んで家族の中に遺伝病の経歴もないのに。 子供が生まれなくて傷と痛みが大きかった。 子供を産んで育てる友人を見れば、辛くて友人にも会わないほどだった。"

-それでも今は3人の子供の母親になった。

"初めての子をそんな風に送って、上の子を持つことはできたが、妊娠が喜びとは感じられなかった。 初めての子の遺伝子に問題があったので羊水検査を受けたし、それでも子供が生まれるまで手や足がちゃんと付いているかと心配した。 二番目の時も血液検査でダウン症の数値が高く出て、生まれるまで気を抜けなかった。 3人の子供は皆、夫以外は産む時まで妊娠したことを知らなかった。"

三星(サムスン)電子半導体労働者労災事件日誌

-乳癌はいつ分かったか?

"実の姉が癌腫瘍が1cm未満の初期乳癌だった。その時のショックで常に自家診断していたが、2011年に粟のようなものが触れた。 医師が最初は大丈夫だと言い、3ヶ月後に再び病院に行ったところ0.3㎝だった腫瘍が1.2㎝に大きくなっていて、更に一つできていた。 2012年2月13日、病院で1期癌の診断を受けて同じ月の27日に右側の胸を完全に切除する手術を受けた。 青天の霹靂だった。 まだ30代後半で、小学校の4年と2年の息子二人に、年をとってから産んだ子がようやく1歳の誕生日を迎えたばかりだったので目の前がまっ暗になった。 なぜ私が、どうしてよりによって私が…。 命より大切な私の愛する家族にも会えないあの世に行くかもしれないと思い、からだが地中にぽっかり落ち込むようだった。 せめて子供たちが大きくなる姿だけは見守らせて欲しいと一杯泣いて、そして祈った。"

-不妊・乳癌が半導体工場勤務経歴と関連があるとどうして考えるようになったのか?

"二番目が2歳の誕生日を迎える頃に、三星の後輩から連絡が来た。 一緒に仕事をしたスギョンが白血病に罹って死んだと。 生まれてから自分より幼い人が死んだのも初めてで、100日にしかならない子供を置いてどうして死んだのかと考えると、とても悲しくて辛かった。 ところがその後輩が‘一緒に仕事をしていた人も白血病で病院に入院しているそうだ’と言った。 その人がユミだった。 それでも、生きている人間はずっと生き続けているので忘れていたが、病む一年前に時事プログラム<追跡60分>にユミとスギョンが出ていた。 放送を見て調べてみると、一緒に仕事をしていた課長さんも白血病で亡くなったと言う。 何かおかしなことが起きていると考えて、周辺をうわさをたよりに捜してみると私が仕事をしていたNO.3ラインの2階1ベイの友人も7年不妊、2ベイの姉さんも10年不妊、同じベイにいた人は脳腫瘍、9ベイのスギョンは白血病、11ベイの友人は甲状腺癌だったそうだ。 有害な環境に露出したことと死に関係あるのではないかという気がして、私の不妊もそのためかと思った。 だが、その時は元気だと思っていたし、情報提供は本当に痛くなってからでなければできないと思った。"

<貪欲の帝国>に出てくる故ファン・ユミ氏とお父さんファン・サンギ氏の姿. シネマ月提供

乳癌労災認定の便りがくれた希望

-パンオルリム(半導体労働者の健康と人権守り)に連絡したのは2012年の乳癌発病の後だった。

"初めは乳癌に罹って実の姉にも乳癌があったので、病院が遺伝子検査をしようと言った。 ところが姉も私もアンジェリーナ・ジョリーが持っていたというBRCA遺伝子の突然変異は発見されなかった。 それから<追跡60分>で見たイ・ジョンナン労務士に連絡した。 イ労務士が‘遺伝ではなく、15年前に仕事したことと関係があるかもしれない’と言った。 だが、白血病でも解決しないのに、癌ではどうにもならないと思ってあきらめていた。 そうしている内に2012年末に再び連絡がきた。 三星半導体で仕事をした後に乳癌にかかって亡くなったある労働者が労災が認定されたと言って。"

 2012年12月15日、勤労福祉公団は三星半導体で4年9ヶ月間勤めて乳癌に罹り亡くなったキム・某(当時36才)氏の労災申請を承認した。 乳癌を労災と認定した初の決定だった。 パク氏も昨年7月、勤労福祉公団に "ベンゼンなどの発ガン物質と放射線に露出し、発癌要因となる夜間勤務が含まれた交代勤務をした" として労災認定を申請した。

 半導体産業女性労働者の生殖・保健問題は深刻だ。 2013年10月、国政監査でウン・スミ民主党議員は国民健康保険公団が提出した‘2008~2012年診療費請求資料’を分析した。 その結果、半導体産業に従事する20代の女性労働者は同年齢帯の仕事をしていない女性に比べて、自然流産が約57%、生理不順が約54%多かった。 しかし、今まで半導体産業と労働者の生殖・保健問題の関連性は一度も調査されたことがない。

 パク氏は自身と同僚が体験した生殖・保健問題を考えるために‘電子産業女性労働者健康権の集い’に参加して、勤務経験を共有している。 パンオルリムに情報提供をしてきた同様な痛みを持つ元三星半導体労働者に「あなたのあやまちではない。 泣きたければ思う存分泣け」と言って力を与えることもパク氏の役割だ。

-三星と私たちの社会に何を望むか?

"私たちが願うのは、勤労福祉公団に労災として認定してほしいということだ。 会社が今からでも過ちを明らかにして謝っても遅くない。 被害者である私たちこそが証拠ではないか。 私たちの知る権利を尊重して、透明に知らせていたとすれば、安全な保護具と安全なシステムを作っていたならば、こんなに傷だらけにならなかった筈なのに。 熱心に仕事をした代価が病気だった。 私たちが作る半導体ではなく、人間が優先される会社と世の中になることを願う。"

三星(サムスン)電子半導体器興(キフン)工場で7年間仕事をして退職後に乳癌を発病したパク・ミンスク(40)氏が昨年7月ソウル永登浦区(ヨンドンポク)の勤労福祉公団前で集団労災申請に先立ち記者会見に参加している。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

 パンオルリムに職業病被害者だとして情報提供してきた三星電子系列会社の職員は193人。 その内73人が亡くなった。 しかし、三星半導体労働者の労災が認められたのは、ファン・ユミ、イ・スギョン氏の死を労災だと見た2011年ソウル行政裁判所の判決が初めてだった。 今までに3人の労災が認められ、3人が1審で労災を認められた後に控訴審を進行中だ。 仕事と病の因果関係を労働者が直接立証しなければならない現在の労災制度の下で、パク氏の願いはまだ先の長い話かもしれない。

三星(サムスン)電子器興(キフン)工場全景

キム・ミンギョン記者 salmat@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/627306.html 韓国語原文入力:2014/03/07 21:09
訳J.S(6721字)

関連記事