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パク・チョルミン「<もう一つの約束>…製作過程も奇跡だった」

登録:2014-02-14 20:32 修正:2014-02-15 11:23
<もう一つの約束>が作られるまで…
投資家たちが背を向けた実話、製作結いで花開く
移民する前に祖国にプレゼントしたいと1千万ウォン…
半導体研究員も責任を感じると、また数千万ウォン

 小さく細かい水滴が集まって岩に穴をあけている。サムスン(三星)半導体に勤務して白血病にかかり、この世を去った故ファン・ユミさんと娘の無念の死のために闘争中の父ファン・サンギさんの実話を素材にした映画、<もう一つの約束>が2月6日の封切りを控えている。大企業にまつわる微妙な素材のために、どの投資製作会社からも歓迎されなかったこの映画は、志ある人々の力を集めて完成させたもう一つの奇跡だ。今日この日があるまでには、1万人を超える製作結い参加者や個人投資家はもとより、様々な方式で支援した無数の手が参加している。 普通の人々の運命のような縁がどのようにして一点に集まることができたのか、幾多の善意が一本の映画を花咲かせるまでにどんな過程が必要だったのか、キム・テユン監督と俳優パク・チョルミン氏の口を借りて<もう一つの約束>が辿ってきた道を振り返ってみた。

投資制作会社に会うたびに拒絶される話

周りで一様に引き止めたプロジェクト。誰もが、投資から始まって封切り可能性の危うさ、甚だしくはキャスティングさえも難しいだろうと口をそろえた。しかし、ことに先立って想像した心配事と現実との差は大きかった。不可能だろうと判断した割に容易に解決されたこともあり、その逆の場合もあった。どんな映画も、意気投合できる人々との出会いから始まる。キム・テユン監督と俳優パク・チョルミン氏が出会ったその瞬間から、映画は既に作られ始めていた。一番大きな悩みの種だった制作費も同じだ。数多くの人たちが少しずつ集めてくれた声援は、この映画を全く新たな方向へと導いた。 <もう一つの約束>は、人と人が出会って生まれるエネルギー、どうしても作らなければならないという意志が集まって作られた映画だ。

 キム・テユン:始めることを決心したのは2011年6月の<ハンギョレ>で、サムスン(三星)半導体白血病労災訴訟で故ファン・ユミさんの父親ファン・サンギさんが勝訴した記事を見てからだった。 不可能なことが起こったなと思ってちょっと調べたが、過程そのものが感動だった。 毎日やることがそれだからシナリオに書いてみなければと思って勉強した。当時はまだ、半導体がどのようにして作られるのか、行政訴訟はどのようにするのかも全く知らず、ファン・サンギお父さんにもお会いし労務士のイ・ジョンナンさんにも会って、8ヶ月ほど取材して書いた。1年程経った頃、チョルミン先輩に会った。

パク・チョルミン:私が最初じゃなかったんだろ?

キム・テユン:当然でしょ。(笑) 今になって見れば、拒絶した方々は拒絶してくれてよかった。制作過程が順調でなくて映画が幾度となく遅れたが、彼らは多分待ってはくれなかったと思う。映画に対する支持を送り続けることもできなかっただろうし。あまりにも断られ続けて一体どの方にお願いしたらいいか悩んでいるところへ、プロデューサーがチョルミン先輩の話をするのを聞いて、あっと思った。全然考えていなかったけれども、そういえばファン・サンギお父さんとも非常に似ている。額の八の字のしわから始まって、いつも笑っているのも。そのうえペーソスがある。民衆劇の経験もあってか、素材に対する理解も優れていて。ほら、シナリオは主人が別にいると言うじゃないか。

パク・チョルミン: 2012年8月中旬頃連絡を受けた時、ちょうど釜山での撮影が終わる頃で忙中閑を楽しんでいたところ、PDから電話が来て、兄貴に見せたい台本があると言うんです。私たちはそういう時が一番わくわくして気分がよくて、そしてありがたいんです。誰かが私を求めてくれる時が。シナリオ送ってみろと言ったら、一旦会ってじっくり話そうと言う。その時ピンと来た。あ、これはあちらが何か言いにくいことがあるんだな。低予算だとか、すごく撮影が大変だとか。(笑)

キム・テユン: 多くの方の予想に反して、キャスティングはうまくいった。見れば分かるが、知名度の落ちる俳優たちでもなく、シナリオ見て意外とみんな喜んでやると言われた。

パク・チョルミン: ソウルに戻ってから、大体話だけ聞いた状態でだいぶ飲んで家に帰った。ちょうど娘がいたので「お父さんにこんな話が入ってきたんだけど、お前が一度見てみるかい」と言ってポンと渡した。それから翌朝、二日酔いで朦朧としているところへ娘がいきなりやってきてこう言った。「お父さん、これ是非やったらいい」 これまで数多くのシナリオを見せてやったけれど、そんなに真剣にそう言ったことはなかったんだ。それで聞いてみた。「いいか?」「いや、すごく胸が痛む」「面白いか」「どんどん引き込まれた」その時、出演することに決めた。私にこんなに懸命に頼むくらいだったら、若い人たちにも通じるだろう。男優が、生涯にこのような役に挑戦できるというのは光栄な機会じゃないか。 映画全体の呼吸に責任を負わなければならないので怖くて荷が重くもあったが、無知だと勇敢になると言うように、その先どんな大変な過程が迫ってくるかその時は想像できなかった。(笑) 

キム・テユン: 問題は金だった。韓国にあるほとんどの投資制作会社にすべて断られたようだ。理解はできる。素材も敏感な上に、監督が誰なのかもよく分からないし、俳優は主演はやったことのない人で。(一同爆笑) 周りではそんな杞憂から絶えず止めた。 でも私は最初から自信があった。

パク・チョルミン: 無知な監督だよ。自分にずっと催眠をかけながら作業していた。

キム・テユン: そんな確信もなしに、どうやって映画を作ります?

パク・チョルミン: 実際、映画を作りながら、こんなに信じられないようなことがたくさん起きた現場も少なかった。お金、必要な時にピタッと合わせてお金が手に入った。今日もホームページに入って読んだけれども、余裕のない暮らしの中から節約して節約して小さいけれど大切なお金を寄付された話。そこでまた、ぐっと込み上げてきた。そうだ、私たちの映画はこんなふうにして作られてきたんだったと。余裕のない人たちがポケットの金を集めて送ってきたり、旅行に行くため一年かけて貯めたお金を快く送ってくれたり、移民する前に祖国にプレゼントをしたいと1千万ウォンを出してくれた人もいる。スーパーをやっている人たちが品物を車にいっぱい積んできたこともあるし。 奇跡って何か特別なことですか。こんな小さな奇跡が集まって大きな奇跡を作るのだ。

私たちから先ず労働基準法を守ろうと努力した

 製作結いを通して製作された映画は既に何本かあるが、<もう一つの約束>はそれらの映画がすでに歩んだ道に沿って進みはしなかった。ファンディングに全面的に頼るのではなく、個人的に別にサイトを作って志のある個人投資家まで積極的に誘致した。 明確なビジョンも、商業的成功も保障されていないこの映画が、多くの個人投資者たちに訴えた点はひとえに私たちの社会に必要な話であるというコンセンサスの形成だった。<もう一つの約束>チームは、自分の足で歩き回って、広くはなくても深い疎通を図った。話題になったポッドキャスト広報もまた、このような疎通の一環だった。善意はまた別の善意へとつながり、力は雪だるまのように膨らんだ。必要なのはただ、散らばっている力を一つに集めるきっかけだったのかもしれない。

キム・テユン: 撮影が予定されているのにお金がなくて、しばらく撮影を中断しなければならないという言葉が喉まで出掛かった瞬間、PDが飛び込んできて「兄貴、KBSのPDが個人投資すると言ってる。今500万ウォン入金された」と言い、無事撮影を進行したことがある。そんなふうに絶妙なタイミングで投資と支援が続き、結果的には一度も中断することなしに撮影ができた。 実は少なくとも10億ウォン以上は必要な映画だったが、 とりあえず1億2千万ウォンでそのまま始めてしまった。俳優、スタッフの構成はすべて終っているのに、これ以上遅延すれば白紙化されてしまうような気がして一旦始めた。 製作中だと言えば、どんなことをしてでも金をかき集めることができるだろうと思った。

パク・チョルミン: 完全無計画に無鉄砲だ。ま、監督は、このように利己的な面があってこそ映画をまともに作れるのかもしれない。それでも演出、照明、美術部の一番若い子まで皆に、「これは自分の映画だ」という主人意識がなかったなら最後までやり通せなかっただろう。私も映画を何本もやってみたけど、今回ほどぐっと込み上げてくる現場はなかった。撮影が全て終わって、スタッフの若い子たちがちょっと抱きしめてもいいかと言い、のり巻き一本で頑張りながらもこんなに楽しかった現場は初めてだったと語った時、本当に幸せだった。消耗品のように参加するのではなく、皆が自分が主人だという思いで撮ったということ自体に大きな意味を感じる作業だった。

キム・テユン: 予算がぎりぎりな場合、24時間、36時間続けて撮る場合も多いが、私たちはそれでも12時間以上撮ったことはない。暗黙のうちに労働基準法を守らなければならないという考えがあった。チェ・ヨンファン撮影監督のサポートも大きかった。

パク・チョルミン: 多分チェ・ヨンファン撮影監督が制作費の10億ウォン以上は節約してくれただろう。急な雪で右往左往していると、すぐ状況に合わせてセットしてもっと良い場面に変えるとか。撮影回数も7、8回は減らしてくれた。実はあの時、チェ監督は<群盗:民乱の時代>の提案を受けて準備中だったのだが、その契約書に判を押す2~3日前に私たちが台本を送った。チェ監督が、小さな映画だから早く撮ってきたらいけないかって言ったそうだ。実際、あちらの立場では話にならないわけだ。結局、判子さえ押せば大金が入ってくるというのに、それを放棄して私たちの映画を選択してくれた。こんなことがみな奇跡ではないか。

キム・テユン: 私たちのPDがチェ・ヨンファン監督に会って、お金がなくて今すぐは一枚しか差し上げられませんと言ったら、「1千万ウォンでこれやらなきゃならんのか」と言ったそうだ。 そこへもって 「先輩、100万ウォンです」と言ったんだって。結局、快く才能寄付されたわけだ。

キム・テユン: 最終的に製作結いで3億ウォン、個人投資が12億ウォンほど集まった。もっと出すという方もいたが、わざとその辺でやめた。正直言って私も、私たちの何を信じて気軽に投資して下さったのか分からない。(笑) 個人投資の場合にはポッドキャスト『それは知りたくない』の力が大きかった。唯一の通路がポッドキャストだからやったのだが、ちょうどお金がなくなる頃、だから5回目の撮影の頃に放送が出て、その日にすぐ投資が入ってきた。大手製薬会社の営業社員たちがお金を集めて数千万ウォン、半導体研究員の方が痛みと責任を感じると言って、また数千万ウォン、三星(サムスン)に勤める方もたくさん送って下さった。その幾多の事情を聞くだけでも一つ一つが感動だ。それ以後は、お金が底を突く頃になると、PDたちがポッドキャストに出ろとせきたてた。不思議なのは、そうする度にぴったり必要なだけのお金が投資されたということだ。

パク・チョルミン: 全てが奇跡で作られた映画なんだ。トルサン(訳注:全南麗水(ヨス)近くの島で、カッキムチで有名)のカッキムチやブルーベリーを現物で送ってくれた人もいる。これは本当に涙なしには聞くことができないんじゃないか。それで私たちが責任をとってほしいと言うわけだ。あなたたちが作ったのだから、たくさん観て、応援して、最後まで責任を取って下さいと。

キム・テユン: ショッピングモールをやってる方がカバンを30個程送ってくれたこともある。一つはチョルミン先輩にあげようとしたけれども、PDが駄目だと言った。SNSに<もう一つの約束>製作チームと上げて全部売った。カッキムチもブルーベリーも完売した。(笑)

パク・チョルミン:事実、映画を製作したのは我々だが、本当に映画を作ったのはその方たちだ。 我々の映画が最後まできれいな点は、製作結いに寄付してくれた方たちに収益を返してあげられないから、収益が出たらパンオルリム(半導体労働者の健康と人権を守る会)に寄付することにしたことだ。一匙ずつ誠意を集めてくれた方たちの事情を聞いてみたら、私もじっとしていられなかった。出演料として制作持分の何パーセントかを受け取ることにしていたけれども、このあいだ全額寄付することにした。

外圧より怖い、われわれ自身の内なる恐れ

キム・テユン監督は、映画を作る過程で「三星の圧力はなかったのか」という質問を一番多く受けたという。彼はその度に断固としてなかったと答えた。ひょっとしたら私たちが戦っているのは私たちの内なる恐怖なのかもしれない。<もう一つの約束>は、大企業対犠牲者という二分法的思考からアプローチする映画でも、涙と新派コードで観客に免罪符を与える映画でもない。ただ私たちが関心を持っていなかった社会の陰と、その中でも光を失わずにいる人間性についての映画だ。この映画が感動的だとすれば、それはその中に我々の隣人の表情が盛り込まれた私たちの話だからではないだろうか。

キム・テユン: この作品をやる前は、創作者として懐疑を抱いていた時期だった。目前の現実的な問題として投資制作会社が投げてくれるアイテムばかりやっているうちに、私自身が枯渇する感じだった。それで今回の映画を始める際、悩みも一層大きかった。資本と戦う人の話をするのに、最も資本主義的な媒体でこの話を作っているのではないか、方式自体に何か矛盾があるんじゃないかという気がした。同時に一方では、資本主義的な媒体で戦ってみなくてはという覚悟があった。私の判断では、それが大衆性だ、社会的合意が必要な映画を作るのに、大衆性のない映画に何の意味があるかという気がした。そのためにはとにかくお金が必要だ。あまりに低予算で行くと実は大衆性が落ちるほかない。社会的素材を扱った映画が、投資制作の圧迫から脱して10億~15億ウォン前後の予算で多く制作できたら、という願いがある。この映画がうまくいって「このような映画も行ける」という一つのモデルができれば、代案的な映画を作る投資組合形態も可能ではないだろうか。<もう一つの約束>の場合、個人投資者たちが数百人にもなるが、この映画で収益が出るならば、その方たちが他の映画にも投資をするよう誘導できるはずだ。そういう成功事例を作りたい。

パク・チョルミン: 初めに比べて、シナリオもかなり変わったね?

キム・テユン: もともとは父親、半導体の技師、労務士の3つの軸で進められる話が頂点で会うという設定だった。が、最終的に家族ドラマを中心に置いて進めることにした。その方が力もあるし、予算問題もあった。原案通りにするには、少なくとも30億ウォンは必要だったろう。最近、忠武路(チュンムロ)の映画が過度に感情的な刺激を与えようとしているのが見ていて嫌で、誇張なしで行きたいということもあった。実話が十分に悲しいので、敢えて何かを加えようとは思わなかった。

パク・チョルミン: 実際、映画でこのような新派性を手放すのは容易ではないのだが、この映画では淡白に距離を置くよう努力した。観客の皆さんが判断して感じることができるように空間を与えたと言おうか。最後のウルサンパウィ(蔚山岩)の場面で、もっと感情を入れようかと訊いたら、キム監督が淡々とやる方がこの映画に相応しいと思うと言った。その瞬間だけ見れば涙が減るかもしれないが、全体的な完成度や映画が伝えようとすることをゆっくりと浸透させるのに、はるかに効果的だと思う。

キム・テユン:シナリオ作法上、最も簡単なのは絶対悪を作ることだ。たとえば映画<るつぼ>での児童性犯罪者や、<弁護人>で権力のために無実の人に罪をかぶせる人たちは、言うまでもなく絶対悪だ。しかし、三星のような大企業は単に絶対悪と決めつけるには複雑な面がある。冷静に言うならば、三星でも利益創出のために白血病患者を故意に作ったわけではなかろう。三星で働いて生計を担っている多くの労働者たちまで悪として描くことはできないではないか。結局のところ、国民を保護できる国家システムの不在が問題だと考える。労災をきちんと認めず、監視と牽制を疎かにしたことが問題だ。例えば、労災立証の責任を労働者に転嫁した法条項だけでも変えることができれば、それほど嬉しい事はない。大企業を絶対悪として描いて、スカーッと痛快に悪党を退ける話を望む方もたくさんいたが、そう簡単に代りに結論を下してしまうことを警戒した。一方的な社会批判的告発映画と見られることを願いもしなかった。<もう一つの“約束”>とタイトルを変えたのはそのような理由からだ。

パク・チョルミン: 初めてシナリオを読んだ時から、この映画は誰も知らない事実を告発して人々を憤怒させ、何かを揺るがそうとするものではないと思った。父性愛を通して、崩れ、解体され、苦しんでいる人々の傷口をいたわろうとする話だ。大きな企業が成長する過程で生じた陰の部分を事実として認め、心で包み込んでくれる世の中になったら良いと思う。そのようにもっと堂々とした企業となって、人々が安心できる社会的合意がなされることを期待する。この映画がそこに小さな足しになることを願っている。

2013年3月24日、雪の降る江原道

江原道(カンウォンド)束草(ソクチョ)で撮影を開始しようとした瞬間、3月末なのに季節外れの雪が強く降り出した。一瞬、撮影をあきらめなければならないかという葛藤にぶつかったが、製作陣はこれをむしろチャンスに変えた。2ヶ月余りの撮影期間に5年間の話を盛り込まなければならなかった撮影チームは、雪の降るシーンを随所に入れて季節感を出すことにした。 その他にも、ウルサンパウィ(蔚山岩)に登って娘の遺灰をまく場面では、その日あまりに晴れ渡っていて残念な感じだったのが、実際に登って撮影する時になったら雨がしとしと降り出して雰囲気を演出してくれるなど、必要なときに必要な雰囲気を醸し出してくれた天候にずいぶん助けられたという。キム・テユン監督は「もともと無神論者だが、ここまで来ると誰かが助けてくれているという思いがしきりにした」とジョークを飛ばした。

2013年4月3日 ユンミが髪を剃った日

平沢(ピョンテク)のある粗末な家を借りて、ユミ役の俳優パク・ヒジョンの髪を剃った日。この日、撮影中に借りた家の本当の持ち主が現れて出て行けと言うので、あわてて200万ウォンを払って場所の渉外をし直した。映画全体で最も高いロケハン費用だった。

2013年4月22日、秘密の半導体工場

内容上、メディアと一緒に半導体工場の製作工程を見学する場面がどうしても必要になったが、場所の渉外が容易ではなかった。キム・テユン監督はなんと、タイに行けばある半導体工場に入れるという噂まで聞いてきたが、これといった解決策のないまま時間だけが過ぎていった。そうする中で、物理学科出身だという一人のスタッフが知人の人脈を動員して何度も当たってみたあげく、地方のある半導体工場で撮影を終えることができたそうだ。後で分かったことだが、そのスタッフの母方のいとこが半導体工場で働いて肺病で亡くなったという切ない事情があった。パク・チョルミンはこの時を「奇跡のような縁と運命を感じた瞬間」と回想した。

2013年5月4日、原州裁判所に集まった人たち

裁判所のシーンを撮影する場所を見つけられずに困っているとき、救援の手がまたしても差し伸べられた。白血病で死亡したユンミの母親、ジョンイム役で出演した俳優ユン・ユソン氏の夫イ・ソンホ判事が、原州(ウォンジュ)裁判所で撮影できるように間を取り持ってくれたのだ。ユン・ユソン氏が最初にシナリオを見せて出演を相談した時も快く支援してくれたという。その日、原州裁判所の傍聴席に集まった人たちもまた、雇用されたエキストラではなく、エキストラが足りないというPDの切々たる訴えのSNSを見てわざわざ原州までやってきた才能寄付者たちだった。「巨大な力があれば、その一方でその分だけ別の力も存在する。ただ散らばっているだけだ。きっかけさえあればいつでもその力は集まるだろう」と漠然とそう考えていたキム・テユン監督は、製作過程でその実体を直に目撃した。

2014年1月3日、江原道の製作結いの試写会

全国を巡って結いの試写会を持った<もう一つの約束>。 観客が各自の願いを紙飛行機に託して飛ばしている。ファン・サンギさんの縁故でもある江陵(カンヌン)の試写会は一層格別だった。パク・チョルミンは「この地域の話であるだけに、この方々に一層よく見ていただきたい気持ち」だったという。ある美術科の教授は<旅路>以来、初めて涙を流したと言って、制作陣にお礼の挨拶を送った。制作陣は、三星半導体と関係のない一般の観客も映画を観て心が揺さぶられたという言葉に、普遍的な感動を提供できたようで一層嬉しかったという。

文:ソン・ギョンウォン|写真:オ・ゲオク|

https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/623132.html 韓国語原文入力:2014/02/07 17:21
訳A.K(8889字)

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