登録 : 2015.12.01 22:58 修正 : 2015.12.02 05:51

全羅南道宝城郡熊峙面にあるペク・ナムギ氏の自宅。直接育てた有機大豆に作った味噌が庭を埋め尽くした約100個の甕で熟している=キム・ジンス記者//ハンギョレ新聞社
 彼は覆面も頭巾も着けていなかった。“イムマヌエル”という天主教洗礼名を持っているのでISであるはずもない。 そのような彼が11月14日、警察の放水銃の直射を受けて倒れた。すでに半月以上意識がない。

 70歳を目前に控えた農民ペク・ナムギ氏。彼はソウルまで上京して何を言いたかったのだろうか? 気になった。全羅南道宝城(ポソン)にある留守宅を訪ねた。彼の家には門も塀もなかった。庭と裏手はきれいに整っていた。「刈払機の達人」と呼ばれる彼の勤勉さのおかげだと隣人たちは伝えた。軒下に「国家有功者」と刻まれた小さな銅板が見えた。学生時代の1970年代を熾烈に生きた痕跡だった。彼の部屋の中には今は成長した3人の兄弟姉妹が誕生から百日目の記念写真の中で気取り無く自然に笑っていた。

 その日彼は朝早く家を出た。秋の収穫を終えた宝城の農民たちは、バス3台に分乗して“アスファルト農作業”をするためにソウルに行った。バスの中の空気は重苦しかった。3年連続の豊作で果てしなく下落する米価をどうすれば良いのか、思いは複雑で暗かった。終盤に迫った韓中自由貿易協定(FTA)批准と環太平洋経済パートナーシップ協定(TPP)加入により今後被る被害に対する心配も深かった。

 30年農夫として過ごした彼は、80年代中盤には牛を育てた。帰農初期に金利15~20%の畜産資金を借りて牛を飼い始めた。 現実は容易でなかった。 供給過剰で牛の価格が“どん底”に落ちて1億ウォン余の借金が残った。 未だに彼はこの借金から抜け出せずにいる。農地を担保に出して低利の資金に乗り換えただけだ。 彼は息子(32)に農作業を譲ることにして、一緒にコメ・小麦・豆を栽培している。 農村の現実と農業の未来に対する関心は当然に高かった。

 彼は仲間の農民と市街を行進し、朴槿恵(パク・クネ)大統領に公約を守れと叫んだ。 大統領はコメ80キロに対して21万ウォン(約22300円)台を保障すると約束した。 だが、2013年に17万ウォンだった米価は15万ウォンに墜落した。

 実際、収穫期の米価は毎年下がり続けている。糧穀卸売市場で20キロの米価(11月26日基準、(1円=約10ウォン)は2012年の4万4000ウォンから2013年4万3000ウォン、昨年は4万1000ウォンに下がった。 今年は3万6000ウォンに暴落し、さらに2万9500ウォンで取引されるなど投げ売りの兆しまで見える。

 愁いが深まった農民は200万トンに及ぶ在庫米のうち、一部を北朝鮮に支援しようと提案した。 米価を安定させ、作物を代わりに受け取るなど対北朝鮮コメ支援の効果を知らせた。 政府は何の反応も示さなかった。反対に米価が下がっている状況なのに米国と中国から食用米を持ってきて一層不安を煽った。

 政府は米価が下がっても農家の被害はないと言っている。 目標価格(80キロ)の18万8000ウォン以下に下がっても差額を直払金で補填している所得は減らないと主張する。開放農政の過程で農業被害対策として200兆ウォン近く投じたと言ってとぼけている。

アン・クァノク湖南済州チーム記者 //ハンギョレ新聞社
 彼と農民たちは、農家の所得は年間3000万ウォンに過ぎないと否定した。直払金は万能でなく、米価が下がれば当然に所得も下がるということだ。被害対策費は詐欺のようなもので、農業予算が大幅に増えたわけでもなく、それも農村開発と大農育成に焦点が合わされていて、小農の所得を引き上げることはできなかった。市場を開放しながら常に犠牲を要求するだけで、事前に対策を準備して同意を求めたことはなかった。農民が1000万人から300万人に減り、農民に対する冷遇が続いている。

 その日、彼はこういう話をするためにソウルに行った。だがそこに“農民のための国家”はなかった。返ってきたのは高圧放水銃の直射だった。政府は農民の声には一切耳を貸さず、5日の集会まで阻もうとしている。

アン・クァノク湖南済州チーム記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-12-01 19:23
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/719887.html 訳J.S(1774字)

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