全羅北道益山(イクサン)の農民ソ・ドンソン氏(65)は、民衆総決起大会が開かれた14日午後6時50分、ソウル・鍾路(チョンノ)2街で光化門(クァンファムン)方向に行進していた人たちと行動を共にしていた。警察が撃った放水銃に混ざっていたけむたい催涙液の臭い、放水銃を避け車壁に寄り掛かった瞬間、耳元に聞こえてきた救急車の音...。ソ氏はまだ“その日”の匂いと音が忘れられない。「救急車を見て、『ああ、誰かケガをしたな』と思った」。ソ氏は当時、救急車に運ばれた人が、現在ソウル大学病院の集中治療室にいるペク・ナムギ氏であることを、後に知った。 「私たちと同じ農民の方だとニュースで聞いて、胸が痛んだ」
全国各地で早朝からバスに乗って上京した農民たちは22日、意識を失ったまま9日目の迎えたペク氏(68)氏を見て、「私たちの誰にでも起こり得ることだった」として、切なさと残念な気持ちを隠せなかった。
当時、民衆総決起大会に参加した農民は、2万5000人(主催側の推算)だ。倒れたペク氏を含め、この日参加した農民たちはほとんどが高齢の老人だった。オ・ユンソク忠清南道論山(ノンサン)市農民事務局長(49)は「論山から参加した約450人の農民のほとんどが60〜70代だった」と伝えた。
年配の農民が体力的な限界にもかかわらず、あえて私費をはたいて始発のバスで上京したのは、今の農村が「天と地を信じているだけでは生業に邁進できない状況」と考えているからだ。2012年の大統領選挙当時、朴槿恵(パク・クネ)大統領は17万ウォン(約1万8千円)前後だったコメの価格(80キログラム)を、21万ウォンまで(約2万2千円)回復させると公約したが、現在コメの値段は13万〜15万ウォン台(約1万4千~1万6千円)だ。今年収穫したコメ20万トンの市場隔離措置などの政府の需給安定対策はあまり効果をあげていない。全羅北道益山で環境に優しいコメ作りを営んでいるキム・ボクス氏(74)は、「一年中苦労しても手に残るものはない。朴槿恵政権が発足した頃、米の価格は責任を持って安定させると言っていたのに、とぼけてばかりいるではないか」と怒りを隠せなかった。キム氏が杖をついて行進に参加したのも、「一人でも多く出て(農村の現実を)知らせなければならないという心情」からだった。農民たちは、「農民政策を抹殺する政府と政界は皆死んだ」という意味を込めて、当時集会で喪服を着て喪輿を担いだまま行進した。
彼らに返ってきたのは“放水銃”の洗礼だけだった。当時農民行進の先頭で喪輿を担いでいた忠清南道から上京した農民のチェ・ヨンギュ氏(52)は、「これ(喪輿)をちょっと見てください。こんなに農民が怒っているという話をしようと思っていたのに、(本会場に)到着する前に警察が放水銃を撃った」と怒りを隠せなかった。シン・グァンジン慶尚北道義城(ウィソン)郡の農民会長(57)も「高齢者も多く参加しており、最大限の安全を確保してもらいたいと思っていたのに、そんなに強く鎮圧すべきだったか、腹が立つ」と話した。
放水銃の洗礼よりも痛かったのは「暴徒」という非難だ。済州島(チェジュド)でハウス栽培のイチゴを育てているキム・ジョンイム氏(55)は、「田舎では、農産物の値段が下がって(収穫せずに)畑を掘り返しているのに、マスコミはソウルに上京した農民たちを暴徒と罵倒している」とし「農民がここまでしなければならない理由には、なぜ関心を払わないのかが理解できない」と訴えた。彼は「今も集会当時の状況が目に浮かび、気が遠くなる」と話した。
韓国語原文入力: 2015-11-22 19:46