本文に移動

[コラム] 敵対の言語は権力が危機に陥る兆候

登録:2015-10-28 00:02 修正:2015-10-28 07:01

 言語は常に話者の置かれている状況を反映する。 極端な言語は決まって不安と危機意識の表現だ。 “敵と私”の二分法は自分が生きるために、私が“敵”と名指しした人々に対してはいかなる暴力を加えても良いという意味だ。 それは相手が存在する権利を完全に否定することだ。 韓国において“左派”、“アカ”はすべての対話を遮断して相手の人間性を否定する戦争と虐殺の言語だ。 この場合、自身が敵と目星をつけた個人や集団の若干の不服従も自身に対する脅威と見なされる。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領とセヌリ党は今、不安と危機状態に陥ったようだ。 使う言語が非常に過激だ。 彼らが言うように学校で金日成の主体思想を教え、歴史学者の90%が本当に左翼だとすれば、この国は一日たりとも支えられなかっただろう。 判断力を持つ生徒たちがじっとしてもいないだろうし、彼らが執筆したすべての教材や論文が流通することもなかっただろう。

 彼らは国定教科書に反対すれば大韓民国の国民ではないと言う。 政権批判勢力は突然に非国民、すなわち排除と暴力行使の対象になった。 国定教科書秘密TFチームが何をしているのか見るために建物に入ろうとした国会議員を“強盗”呼ばわりする。さらにはあるニューライト教授は、政府の施策によく従わないからと国史編纂委員会を“反逆者”と名指しした。

 ここ数日であふれ出たこれら敵対の言語は、すべての学者、教養人、野党議員、そして半数以上の国民を敵に回している。 オボイ(父母)連合は警察官を殴り倒し、国会議員に向かって悪罵を浴びせる。 この政府は国定化を広報するために“愛国町内会”を開催し国民全員に思想注入するという。 日帝末の戦時体制が再び戻ってきたようだ。

 国定教科書TFチームの作業現場が発覚するや、公務員たちはコンピュータを消しドアを閉めて資料を破砕し顔を隠してパトカーに乗った。 そのくせ居直ったように野党が彼らを“監禁”したと主張する。 破砕された文書、活動した人の身元、大統領府への日々報告など、明らかになったすべての活動は正常な公務執行ではなく、大統領府指揮の下での脱法活動の“臭い”が漂う。

 極端な言語の使用と当局により繰り返される嘘は、この政権が今、相当な不安状態にあることを物語る。 このような場合、権力は公式の政府機構ではなく権力者の側近ごく少数に集中しており、すべての道は大統領府に通じ、権力内部でも正常な手順を踏んで政策が決定されず、忠誠を誓い、あるいは一層強硬で過激な発言をする人が起用される。 出世欲は強いが、その職業集団で最も水準の劣る人が突撃隊長を自認して、そして抜擢される。

 どこかでよく見た場面ではないか? 李承晩(イ・スンマン)政権末期や(朴正煕<パク・チョンヒ>政権の)維新末期がそうだった。 自由党の企画委員3~4人にすべての権力が集中し、内務部長官チェ・インギュは選挙で李承晩・イ・ギブンが圧倒的票差で勝たなければ共産党の天下になると部下を脅迫した。 維新末期にも権力は大統領府警護室長チャ・ジチョルと中央情報部長キム・ジェギュに完全に集中した。 釜馬(プマ)抗争が発生するや、チャ・ジチョルはデモ隊の100万人ぐらい殺しても問題ないと言った。 国民が選出した議員、司法府は権力の下手人になり下がり、言論は機能を喪失し、政権を批判すれば共産党扱いされた。

 その時も今も野党は批判機能をほとんど喪失し、組織的な抵抗運動もなく、国民は概して服従している。 これらすべての場合、危機と不安は国民の側ではなく権力者の側のことだった。 権力維持の欲望、あるいは権力喪失の恐怖を抱く執権勢力が、異常な方法で国家機関を道具化しようとして事故を起こしたのだ。

キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授//ハンギョレ新聞社

 権力が野党と知識人を対話の相手として認めない排除の言語を使えば、正常な国家運営はできない。 国定教科書に死活を賭ける彼らの論理と心理は、今国民が体験している経済的苦痛、山積した国家的イシューとは何の関連もない。 韓国政治が再びこのような状態に戻ることは国家的な悲劇だ。

キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/714708.html 韓国語原文入力:2015-10-27 18:48
訳J.S(1831字)

関連記事