今回の「セウォル」号のことで感じたことは、「言葉」のある種の本質的な限界です。惨事のニュースに接してから、しばらくは何も書けなくなりました。海中で最期の瞬間を過ごすことになった子供たちの苦しみを思ったり、生きる意味を失ったその親たちの心境を思うと、ただ何も言えなくなったのです。こんな時、「言葉」には果して意味があるでしょうか。遺族の方々を抱き締めて一緒に泣きたい気持ちでいっぱいです。もちろん全国の人々がみんな彼らと共に泣いたところで、彼らが背負うことになる一生の悲しみを決して減らしてあげることはできませんが。本当にこんな時こそ「言葉」で飯を食う私自身の限界を自覚せずにはいられません。
それでも、このような想像を絶する惨事が二度と繰り返されないように、「言葉」すなわち論理的思考に戻らなければなりません。実は、今回の出来事は「典型」にほぼ近いものです。韓国型資本主義的な土壌に於いては避けられない「社会的大量殺人」の典型だということです。韓国型資本主義は今まで人々を殺し続けてきました。主に貧しい人々をです。私たちと多くの面で双子というべき日本を除き、他の産業化された国では見ることも聞くこともできない「孤独死」(主に貧しい老人たちの餓死)もそうですし、世界最高(?)に近い自殺率もそうですし、OECD諸国の中で最悪の労災死の統計もそうです。この国では年に約2千人の労働者たちが命を失っています。 安全装備などに少しでも投資していたら充分に予防できた事故死がほとんどなのに、これらの死に対して「主流社会」は無関心のままでした。しかし今回の惨事も、今までの職場での死亡のドミノと構造的原因はまったく同じです。人命であれ何であれ、なんら関心を示さずに、人を殺してまで無限に利潤を追い求める企業らがこの国の実質的な主であるということが主な理由です。彼らを牽制する、すなわち企業に中立的でありうる「公共性のある国家」は大韓民国にはないのです。大韓民国とは、正確にいえば、清海鎭海運のような殺人企業の「トラブルシューター」のようなものです。その不正に目をつぶり、その「繁栄」を保障する「トラブルシューター」です。企業の行動隊がその企業の犠牲者たちに一抹の関心でも示したことなどあったでしょうか。そのような意味で、遅い対応とあまりにも出鱈目な救助への取り組みは極めて「論理的」でさえあります。「国家」を詐称する悪徳企業の救社隊が、どうしてその企業の被害者たちまで助けなければならないでしょうか。
起業しやすい国 大韓民国は、貧しい人々にとってはドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックの言う「リスク社会」(Risikogesellschaft) そのものです。お金がないほど、「位置」が低いほど、あなたの命の価値はゼロに近くなります。安山の労働者、庶民の子どもたちはいつ事故が起こるかもわからない古い船に乗って修学旅行に行かなければなりませんが、江南の学校なら? 済州島に行くにしても、飛行機に乗るでしょう。 かなりの場合は初めから済州島などではなく、グアムやハワイに行くでしょう。事故常習犯の国籍の飛行機に乗ることもなく、より楽で安全な海外の航空便に乗ってです。「セウォル」号から脱出した船員たちのほとんどは船長をはじめとする幹部たちであり、下級船員たちはほとんど乗客とその運命を共にしました。「天安艦」沈沒の時も、将校たちは救出されましたが、兵士たちのほとんどは死んだのです。これは大韓民国では偶然ではなく必然です。地球上のいかなる産業化した社会よりも資本主義の野蛮性を克明に映し出している韓国では、お金がなく地位の低い人は金儲けの「手段」に過ぎないのです。過積載運航を続け、「費用節約」するためにコンテナの固定装置もろくにない古い船に乗らなければならない庶民たちも、企業から見れば金儲けの「材料」にすぎず、契約社員の船長や船員たちもまた同じです。もちろん船長が示した行動を合理化しようとするわけではありません。しかし、たとえ彼が殺身成仁したところで、果して殺人資本と殺人政権が合作して作り出した「大勢」をどこまで変えることができましょうか。最も致命的なのは、かろうじて命を救う確率があった初日に水中救助作業を3回、16人のみが行ったことですが、果して江南の学校に通う子供たちを乗せた船であったなら、これほど職務怠慢でいられたでしょうか。船長がいかに英雄的に行動したとしても、救助するために必須の資源を独占している政府が貧しい人々を人間扱いしないところでは、その限界がおのずと明らかなのです。
子供達を殺したのは韓国型資本主義のシステムなのです。安全運航に対する監督権をまさに利害当事者である海運企業の利益組合である海運組合/韓国船級が受け持っており、退職後はすぐそのような利益団体に天下りする海洋水産部の職員たちが、管理対象である企業に「奉仕」しており、海洋警察庁が形だけの安全検査をし、企業の最大のトラブルシューターである政府は輸入船舶の寿命制限を20年から30年に引き上げ、適正量の2~3倍の貨物を載せて運航し続けても、それを阻止する機関もなく……。惑星が太陽を中心に回っているように、韓国的システムでは政府のあらゆる機関はひたすら企業の私的利潤を中心に回っています。庶民たちの命を対価としたその利潤に彼らも一役買うことができるからです。このようなシステムはそれ自体が殺人的です。構造的に殺人的なのです。窮極的にはいかなる資本主義システムも同じですが、韓国ほどその殺人性を露骨に表す資本のシステムは……なかなか見つけにくいと思います。
このシステムの管理者たちは、彼らの金儲けの手段である大韓民国のほとんどの人々に対する彼らの本音を隠そうともしません。「国民の情緒の未開さ」などの妄言は偶然というより、搾取の対象者たちに対する彼らの基本的な観念と見て良いと思います。皇帝ラーメン、記念撮影、「不幸なことばかりではなかった」などといった妄言。つまるところ、私はどうしても一つだけ質問したいことがあります。彼らがこのシステムをどのような目的で運営し、どのように運営しているのか、そして彼らが私たちに対して抱く思いがどんなものか、すべて分かっているというのに、なぜ黙っているのでしょうか。なぜ大挙して立ち上がらないのでしょうか。なぜ1987年の夏から秋のようなストライキ大闘争と百万人単位の都心での集会を通して彼らに打撃を与え、そのシステムの部分的修正でも勝ち取ろうとしないのでしょうか。私たちが黙っていればいるほど、死んで行く人々の数だけが増えていくことでしょう。結局、私たちの無気力も社会的な他殺の一つの原因なのです。
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学