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対立をあおる「法曹共和国」韓国【寄稿】

登録:2025-11-11 09:03 修正:2025-11-11 09:54
政治を法的問題へと還元する「政治の司法化」を極端に推し進めながら、あらゆる法的対立を作り出して拡大すれば、「専門性」を掲げる法曹出身の政治家たちの地位と成功は保障される。対立をあおることで二極化の前線で大活躍する強硬な政治家の中に法曹出身者が多いのは、決して偶然ではない。 
 
カン・ジュンマン|全北大学名誉教授
ソウル汝矣島の国会/聯合ニュース

 韓国は法曹共和国だ。最近の3人の大統領はいずれも法曹出身者であり、国会議員も61人が法曹出身者で、議員の20.3%を占めている。「政治の司法化」が事実上政治を飲み込んでいる中、「検察改革、司法改革」が民生を押しのけ、最高の政治的議題として位置づけられて久しい。興味深いのは、このような法曹共和国が「官民合同」で建設されたということだ。大衆の日常生活における法曹の優遇や憧れは世界最高水準であり、告訴・告発も世界最高水準であるため、件数は韓国の2倍以上の人口を持つ日本の40倍を超える。

 2017年に司法試験を法学専門大学院(ロースクール)が完全に代替するまで、司法試験が韓国人の人生においてどのような比重を占めていたのかを思い返してみよ。司法試験に合格すれば「家門の誉」とばかりに宴が開かれ、自分が住んでいた町や通っていた学校には祝いの横断幕が張られ、縁談が殺到した。大学の序列は司法試験の合格者数で決まったため、大学は自ら巨大な司法予備校と化した。

 法学部に入るとすぐに司法試験を準備しはじめ、司法試験の科目ばかりを取った。大学側も攻撃的に司法試験熱をあおった。図書館に司法試験用の学習部屋を設置したり、著名な試験専門の教授を招へいして特講を開講したり、司法試験準備生には奨学金の恩恵まで与えたりした。一部の大学は合格の可能性が高い学生を金でスカウトすることすらした。こうして得られる大学の序列上昇と名誉は、すべての教授と学生たちが満喫した。

 法と法曹界が尊敬されているからだったのだろうか。そうではない。むしろ真逆だ。法と法治に対する不信が強ければ強いほど、司法試験の人気は天井知らずだった。ロースクールはその人気を受け継いだ。その人気の源泉は、法曹人という身分が提供してくれる「権力と金」だった。韓国において法は、正義というより出世の手段だった。これは法曹人に対する批判や非難ではない。出世のために生きていなかった人がいただろうか。そのような生存競争の欲望がいわゆる「漢江(ハンガン)の奇跡」の原動力となったということを、どうして否定できようか。

 法曹共和国はそのような「コリアンドリーム」または「小川に龍(トンビがタカを産む)」モデルによって完成されたのだ。「針の穴」だったとはいえ、司法試験は小川に住む貧しい人々にも開放された最高の出世の出口だった。そのようにして出世した龍の間では「進歩」だの「保守」だのと猛烈な闘いが繰り広げられているようにみえるが、それは法曹共和国という体制の内部で、その垣根を尊重しながら、政治によって配分されるより高い公職にありつくために繰り広げられる第2次「縄張り争い」に過ぎない。

 検察改革と司法改革の声が高まっているが、妥協と合意は存在せず、ひたすら力と政略ばかりが乱舞している。2017年の東亜日報とMブレインのモバイルアンケート調査では、韓国は「有銭無罪無銭有罪」の通じる社会だと答えた人は91%に達したが、そのような回答を支える主な根拠である「前官礼遇」には何の変化もない。数十年間、まったく同じ話を繰り返しているに過ぎない。

 いいだろう。すべて持っていくがよい。法曹共和国の最大の問題は、法曹人が享受する権力と富ではない。法曹出身の政治家たちが最も得意とすることが、主に過去志向的な法的闘争であるというところにある。未来志向的なビジョンと前進を犠牲にした自傷的な論争と争いの隆盛、これこそまさに法曹共和国のアイデンティティーだ。官僚組織は規制を量産すれば安定と成長が保障されるという「パーキンソンの法則」は、法曹共和国にも当てはまる。

 政治を法的問題へと還元する「政治の司法化」を極端に推し進めながら、あらゆる法的対立を作り出して拡大すれば、「専門性」を掲げる法曹出身の政治家たちの地位と成功は保障される。対立をあおることで二極化の前線で大活躍する強硬な政治家の中に法曹出身者が多いのは、決して偶然ではない。彼らは「法技術者」であると同時に「突撃専門部隊」として、党派的忠誠のために、たとえ火の中水の中、新たな「運動圏の闘士」として生まれ変わった。「政治の司法化」がひどくなりすぎて、法曹出身者でもないのに「法技術者」のふりをする「偽物」まで現れている始末だ。

 事態が救済不能になるほど悪化した時は、変化のための努力は小さなことから始めるのが現実的だが、それこそ望ましい。国会議員の人間性回復運動から始めようではないか。最近、延世大学医学部教授のキム・ヒョンチョルが、とてもよいことを提案した。政党ごとに分かれている国会の座席配置を抽選制に変更し、ごちゃ混ぜにしようという提案だ。そうすれば、他のことはすべて差し置いて大声や罵詈雑言を浴びせ合うようなことはなくなるか、減っていくだろう。どんなことでもやってみようではないか。

//ハンギョレ新聞社

カン・ジュンマン|全北大学名誉教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1228265.html韓国語原文入力:2025-11-09 18:43
訳D.K

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