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[ニュース分析]日本の「法的責任」が再び慰安婦問題の争点に

登録:2015-11-03 21:51 修正:2015-11-04 06:44
「韓日協定で解決済」の立場を固守 
「追加措置の可能性」で態度に微妙な変化 
韓日軋轢を醸した1995年当時に回帰
朴槿恵大統領が2日午前、大統領府で韓日首脳会談を行う前に、安倍晋三首相と記念撮影をしている=大統領府写真記者団//ハンギョレ新聞社

 2011年の韓国憲法裁判所による違憲決定で韓日間で軋轢が生じた慰安婦問題が、迂余曲折を経て再び“法的責任”を巡り20年前の原点に立ち戻った。 韓国政府は最近数年間の軋轢を通じて、当初は安倍晋三・日本首相が修正意志を明らかにした「河野談話」(1993年)を守ろうとしたが、慰安婦問題は「1965年の韓日協定で解決された」とする日本政府の既存の立場を変えることはできなかった。 両国は慰安婦問題に対する日本政府の法的責任問題を巡り激しく対立した1995年のアジア女性基金当時の議論に回帰した。

 日本は当時、基金の発足を通じて日本の「道義的責任」は認めたが、これが国家の責任、ひいては国家が関与した犯罪行為だったことを意味する「法的責任」は認めなかった。 そのため日本政府の予算ではなく、市民の募金で償い金(200万円)を支給した。 それと共に人道的な見地から医療支援費(300万円)には日本政府の予算を投じた。 当時、この基金を発足させた村山富市・元首相は今年7月のハンギョレとのインタビューで「政府や自民党の中で『(1965年に締結された)日韓条約で賠償問題は解決済み。今になって(賠償などは)不可能だ』という主張が強く、壁を壊せなかった」と話した。

 しかしこれに納得しなかった韓国の市民社会の粘り強い闘争が起き、「慰安婦問題解決のために日本と外交交渉をしないのは違憲」という2011年8月の憲法裁判所決定が出されることになる。 李明博(イ・ミョンバク)大統領は憲法裁判所の決定を受け入れ、2011年12月に京都で野田佳彦・日本首相との首脳会談を通じて慰安婦問題の解決を求めた。 しかし、望む結果を得られず2012年8月には独島(ドクト)訪問を決行し、韓日関係は荒波にのみ込まれた。

 その後、日本で新たな首相として登場した人物が強硬右派の安倍首相であった。安倍首相は2013年12月に靖国神社を参拝し、2014年2月には慰安婦動員過程の強制性と軍の介入などを認めた「河野談話」に対する検証を試みる右傾化行動を続けた。 しかし日本の内外からの批判に押され「談話を継承する」と一歩後退した。 その一方で、米国は今年に入り朴槿恵(パク・クネ)政権の原則主義的歴史認識に疲労感を示しだし、韓国側に韓日関係の改善を促す。 結局、韓日両国は激しい歴史戦争を通して「河野談話」と「65年体制」という両国間に存在する“休戦ライン”を確認することになる。

 安倍首相は2日夜、「慰安婦問題に対する日本の基本的な立場は、1965年の請求権協定で解決されたということだ。 しかし戦時に多くの女性が名誉と尊厳を傷つけられ、この問題が日韓関係の発展に影響を与えているという認識の下、未来指向の関係を構築するには将来世代に障害にならないようにすることが重要という認識で一致した」と述べた。 慰安婦被害者のために「何もできない」という態度から「追加措置」を出すことがありうるという側に変化を見せたわけだ。 その一方で、法的責任は決して受け入れないという立場を再確認した。 慰安婦問題が長い道を辿って再び原点に戻ったことになる。

東京/キル・ユンヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/715777.html 韓国語原文入力:2015-11-03 19:38
訳J.S(1494字)

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