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仁川空港監禁施設でチキンバーガーとコーラだけの70日間

登録:2015-03-11 07:43 修正:2015-03-15 08:42
 韓国難民史を塗り替えた「韓国版ターミナル」
 法的根拠なき無法施設
 送還待機室に監禁された難民
仁川空港の出国手続きで旅行客が長い列をつくって順番を待っている。 仁川空港/キム・テヒョン記者//ハンギョレ新聞社

彼らは難民審査さえ受けられず苦しい闘争を続けている

 2013年11月18日、M氏はアフリカの故国を発った。 二日間の飛行の後に韓国に足を踏み入れた。 だが、入国審査を通過することはできなかった。 ビザの目的と入国の目的が合わないという理由だった。M氏のビザは短期商用(C-2)ビザだった。

 仁川(インチョン)空港出入国管理事務所長は、M氏の到着当日、彼を乗せて来た中国南方航空に「M氏を大韓民国の外に送還しなさい」と指示した。 翌日午前10時55分の飛行機と便名まで指定した。 出入国管理法は航空会社が入国不許可になった者を自身の費用で送還するよう規定している。 だが翌日午前、M氏は飛行機に乗らなかった。 代わりに韓国難民史上初の事例として記録される闘争を始めた。

■ 「難民審査だけでも受けさせてほしい」

 「難民審査付託の可否を検討中なので決定時まで送還でなく待機させなさい」。20日、中国南方航空に伝えられたM氏の送還指示書にはこう記されていた。入国に失敗した彼は、ひとまず入国した後に難民申請をしようとしていた計画を変更し、難民申請書を空港出入国管理所に提出した。

 難民法は大韓民国内にいる外国人は誰にでも難民申請できるよう規定している。申請さえすれば難民と認められる時まで大韓民国に合法的に留まることができる。M氏のように“大韓民国内”に入れなくとも入国して難民申請ができる。その場合、法務部は7日以内に正式に難民審査付託の可否を決め通知しなければならない。 彼に一週間が与えられたという意味だ。 審査が始まった。

 「韓国行きを準備した経緯を説明してほしい」

 「政府から軍への入隊を強要された日に現場から逃げた。 (しばらくして)服務機関から次の日に入営しろとの指示を受けた。 明日行くと話した後、郊外に行き韓国行きを準備した」

 「なぜ話を変えるのか?」

 「話を変えていない」(面談した公務員はM氏が「アラビア語と英語を少しできる」と答えると、「アラビア語通訳を通した面談に同意するか」と尋ねた。M氏は同意した。 だが、通訳人の国籍は韓国、面談に使われた言語は英語だった。 話を変えたのではなく、その意味が正確に伝えられなかったと見られると判事は判断した。)

 「ビザ発行のためにブローカーにいつ会ったか?」

 「2013年9月初め、入営を避けて郊外に行き、2週間後に金を借りた。 10日ほど後にブローカーに手付金を払い、1週間後に残金を払ってパスポートを返してもらった」

 「それならブローカーに査証の発行を頼んだのは9月末なのか?」

 「お金を払うために会ったのは9月末だった」

 「あなたのパスポートにある大韓民国査証は、2013年9月5日申請、9月8日に発行されたものだ」

 「(話を変えて)服務機関が訪問する前の8月末にブローカーにパスポートを渡した」

 「なぜ難民認定申請をしたか?」

 「本国で起きている戦争と強制徴集のためだ。 帰国すれば拘束される」

 「韓国に来る前から難民申請をする目的だったか?」

 「そうだ」

 「なぜ軍への入隊を拒否するのか」

 「戦争が同じ兄弟や姉妹を殺すために利用されるからだ。 私が死ぬかもしれないだけでなく、他の人々を殺すことになりうるためだ」

 (判決文に引用された面談資料を根拠に再構成)

 26日、仁川空港出入国管理所長はM氏を難民認定審査に付託しないことを決めた。「入営事実の通知に関する陳述に一貫性がなく、迫害と主張する内容も自国内の法律上の争いによる個人的な問題と見られる。 入隊を拒否して逃げたにも関わらず、合法的に発行されたパスポートとビザを所持しているし、自国の空港を問題なく通過した点が疑わしい」という理由だった。

■ 無法監禁施設の送還待機室

韓国法務部ブログに公開されている送還待機室の正面入り口。//ハンギョレ新聞社

 帰国できないM氏は戦うことにした。 戦いが終えられるまで、彼が留まらなければならない所は送還待機室(正式名称は出国待機室)だった。

 送還待機室は入国できない者が留まる所だ。 大韓民国領土ではない。 国境内に入れなかった人々に韓国政府は責任を負わない。 民間業者である航空会社の役割だ。 2012年2月、仁川空港出入国管理事務所は関連機関らと会議を開いて「送還待機室は仁川空港航空会社運営協議会が運営・管理し、仁川空港出入国管理事務所は賃貸料だけを負担する」と決めた。

 仁川空港の3階にある送還待機室は広さ330平方メートル。ここにはシャワー室、椅子、公衆電話、飲料カウンター、トイレ、テレビがある。 しかしまともなベッドや寝具はない。 一日二日留まって去る人が大多数であるためだ。

 鉄門で堅く閉ざされており、出入りも自由でない。 公衆電話でのみ外部との疎通が可能だ。 さらに大きな問題は毎食チキンバーガーとコーラしか出てこない食事だ。 2011年に送還待機室に留まったことのあるエチオピア難民K氏も、約70日間にわたってチキンバーガーとコーラしか食べられなかったという。 なぜなのか。 外国人であるため韓国料理は食べられないと思い、ハンバーガーにメニューが決まり、ムスリムがいるからと鶏肉に限定されたというのが法務部と出入国管理本部側の説明だった。 法務部関係者は「現在はチキンバーガーだけでなくビーフバーガーも選択できる。本人が費用を負担すれば他のメニューも可能だ」と付け加えた。

 最も深刻な問題は送還待機室は法的根拠のない“無法施設”だという点だ。 出入国管理法56条は、入国を拒否された者を最長48時間、一時保護できるよう規定している。 一時保護は外国人保護施設で行わなければならない。 ところがこの施設は、仁川空港国際業務団地にあり空港から遠い。 行き来するのに時間がかかり保安維持も難しい。 出入国管理事務所はわずらわしい外国人保護施設の代わりに出入国管理法が規定したまた別の手続き、送還指示書を活用してきた。 航空会社に文書を送りさえすれば、航空会社が自分たちの費用で適当に解決するため手軽なためだ。 政府から責任を渡された航空会社は、送還待機室という正体不明の民間拘禁施設にこれらの人々を閉じ込めてきた。

■ 法律闘争開始

拘禁経験者の陳述に基づく現在の送還待機室スケッチ(2014年下半期からは新築された送還待機室が新たに運用されている予定)。//ハンギョレ新聞社

 M氏は三つの争点で戦いを始めた。第一は「なぜ難民審査さえ受けさせないのか」だった。

 2013年7月1日「アジア国家として初」という修飾語を付けて難民法が施行された。 難民法は大韓民国内にいる外国人全員に難民申請をできるようにし、申請さえすれば難民認定の可否決定が確定するまで大韓民国に合法的に留まることができる資格を与える。

 同時に大韓民国内に入ってから難民申請できる道も開いた。見た目には申請人のための迅速解決手続きと見える。しかしM氏のように入国してから申請する場合、正式難民審査に付託するか否かに関する審査、すなわち事前審査を受けなければならない。段階がもう一つ加わるという意味だ。 難民を受け入れることより、“疑わしい人物”を取り除くことに慣れている韓国法務部は、この手順を通じて難民になろうと思う者を送還している。 難民認定審査の機会自体を封じ込める“不付託決定”は、難民協約第33条、「国境での拒否」に該当する違法処分という批判が強い。

 2013年11月28日、M氏は「難民認定審査不付託決定取り消し」を要求する訴訟を提起した。 1審と2審はともに彼の主張を支持した。 裁判所は「難民認定審査不付託決定は、申請者が難民認定制度を乱用していることが明白と認められる場合に限って下されなければならない。多少疑いの余地がある時は、難民認定審査に付託して慎重に審査を受けるようにすることが正しい」とした。また、裁判所は「他の入国理由を掲げて国内に入国し、ある程度の期間が経過した後に難民申請をした場合と比較した時、入国当時から難民申請することを不利に待遇する理由はない」として「難民でないこともありうるという疑いだけで不付託決定が乱用されてはならない」と明らかにした。

 第二は「なぜ閉じ込めるのか」だった。2012年基準で1万3468人の入国拒否者が移動の自由がない送還待機室に“拘禁”されてきた。 政府はM氏のように戻る自由がない難民申請者にも「望めばいくらでも帰国して自由の身になれる」という論理で拘禁を正当化してきた。

 M氏は人身保護法が禁止している収容に該当するとし裁判所に救済を請求した。 1審では負けたが2、3審は彼の手を挙げた。 裁判所は「送還待機室は明確な法的根拠がない収容施設だ。 請求人を送還待機室に何と5カ月も待機させたことは、その期間に照らして甚大な身体の自由制限で収容であるので違法だ」と判決した。

 昨年5月2日、M氏は送還待機室から乗り換え区域に解放された。 だが、入国不許可状態は維持された。M氏が入国できずに乗り換え区域内の免税店を行き来していたが約20日後に法務部は彼を入国させた。 法務部関係者は「あまりにも長期間拘禁されていた状態なので弁護人と協議して入国を許可した」と説明した。 現在、送還待機室は自由な移動を保障している。

 第三は「なぜ弁護人との面会を阻むのか」だった。送還待機室に拘禁された外国人は、外部のその誰とも会うことはできない。 会えるのは事件担当領事など各国の外交官のみだ。 外部と疎通できる唯一の手段は公衆電話だけだ。 M氏の弁護人は電話で彼との疎通を続け、昨年4月25日に弁護人面会を申し込んだ。 だが「先例がない」、「弁護人面会を許可する義務も権限もない」等の理由で拒否された。

 弁護人は身体の自由が国家から拘束された人間の弁護人対面権を保障した憲法12条を根拠に、憲法訴訟と効力停止仮処分申請を提起した。 昨年6月5日、仮処分を認容する決定が下された。 憲法裁判所は「申請人が訴訟提起後5カ月以上弁護人に面会できず、公正な裁判を受ける権利が深刻に制限を受けている。 弁護人面会を直ちに許容するにしても、出入国管理、乗り換え区域秩序維持業務に特別な支障を招くとは見難い」として認容の理由を説明した。

 至難な闘争の末にM氏は先月10日に正式難民認定審査に付託された。 決定までには通常6カ月かかる。 韓国難民史に永遠に残る判例を残したが、本人は難民認定を受けられない場合もありうる。 彼が要求したことは「審査を受けられるようにしてほしい」ということであったためだ。 M氏の弁護を引き受けた公益法センター アピールのイ・イル弁護士はこう話す。

 「最近、違法な不付託決定に抗して戦おうとしている難民申請者が弁護人との面会約束を取ったのに、経緯不明で送還された。 多くの難民申請者が審査の機会さえ与えられずに送還されている。 そのような決定が招きかねない恐ろしい結果に対して、政府はどのように責任を負うのだろうか。 そんな風に人間を簡単に送りかえしてはならない」

キム・ウォンチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/681597.html 韓国語原文入力:2015/03/10 17:28
訳J.S

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