"私たちが情報公開を請求した時は公開拒否した文書を<産経新聞>はどうして確保できたのでしょう。 私は(河野談話を揺さぶろうとする)安倍政権の誰かが故意にリーク(流出)したものと考えます。"
去る17日日本、東京千代田区の衆議院第2会館第1会議室。慰安婦問題解決のための日本市民の自発的な集いである‘慰安婦問題解決オール連帯ネットワーク’の講演会に講師として立った小林久公 強制動員真相究明ネットワーク事務局長が声を高めた。 この日小林が講演した主題は慰安婦動員がなされた当時の日本の法律と軍の規定を通してみた慰安婦の強制性だ。
日本社会で進行中の‘歴史修正’の動きの最前線は慰安婦問題だ。 安倍晋三日本総理は去る4月 "侵略の定義は定まっていない" という発言で大きな舌禍をこうむった後、表面的には経済問題に集中して歴史問題と距離をおいている。 しかし言論を通した攻防は依然として熾烈だ。 9月だけでも<共同通信>が6日、日本軍がインドネシアの捕虜収容所に閉じ込められたオランダ女性たちを強制連行して慰安婦にしたという内容を報道したのに続き、<朝日新聞>も13~14日、日本政府が河野談話を発表してこの問題が国際問題に拡大することを防ぐためインドネシア政府に種々の圧力を加えたという事実を特ダネ報道した。 すると日本保守を代表する<産経新聞>は16日付で河野談話作成の根拠になった韓国人慰安婦女性16人の録取録を入手して、問題点を指摘し反撃を試みた。 慰安婦女性たちの証言に信憑性が劣るので河野談話を修正しなければならないという主張だ。
慰安婦問題を巡る争点は多様だが、核心は結局慰安婦‘動員過程の強制性’と、それに対して河野談話が取った態度をどのように見るかに集約される。 <共同通信>が日本軍の強制性が直接証明されるインドネシア捕虜収容所の事例を報道したのと、<産経新聞>がハルモニ(おばあさん)たちの証言にケチをつけて河野談話の修正を試みるのも、みなそのような理由のためだ。
現実はどうだろうか? 韓国社会には慰安婦に関して一定程度‘神話’があるのは事実だ。 慰安婦問題の公論化・解決に永く協力してきた日本の研究者・活動家たちは、韓国の初期慰安婦運動が勤労挺身隊と慰安婦を区別できず、一定部分‘被害の神話’を育てた点があると指摘する。 1938年国家総動員体制が始まった後、朝鮮総督府の官憲が関係法令に準じ動員した挺身隊を慰安婦として認識し、それを根拠に被害者の数と被害実態を推定したということだ。 韓国では朝鮮総督府が12~14才程度の少女を直接拉致して慰安所で性労働をさせたという通念がある。 だが、今までに確認されたことでは、そのような形の強制性は存在しなかったり、あってもきわめて珍しい例外という状況だった。
それでは日本政府はなぜ河野談話を通じて軍の直接介入を認めたのだろうか? 日本政府が当時の記録と被害者の証言を総合的に検討した結果、そのような結論を出さざるをえないという判断に達したためだ。 韓日歴史問題に長い間携わってきた花房俊雄が書いた資料<慰安婦問題に関する軍と国家の強制をどう考えるか>を見れば、当時の日本刑法には人を略取・誘拐して外国に連れて行った者は2年以上の懲役に処するという条項(226条)があり、性売買のために日本女性を海外に送りだしてはならないという‘海外売春禁止令’もあった。 実際、1937年3月日本大審院(現在の最高裁)は長崎県のある女性をだまして中国上海の海軍慰安所に連れて行った斡旋業者に有罪判決を下した。 当時、日本社会が女性たちをだまして外国に連れて行き売春させることが犯罪であることを明確に認識していたことがわかる。
しかし1937年7月、中日戦争が始まるや状況が急変する。 日本陸軍は1937年9月‘野戦酒保規定’を改定し、軍隊慰安所を設置できる規定を置く。 これを見れば "500人以上の部隊に慰安所を設置でき、その管理者は設置者である部隊長" (3条)とされていて、 "経営は部隊長の認可を受けた請負業者が行い、請負人は軍属待遇をして一定の服装(軍服)を使用する" (6条)という規定もある。 これを土台に上海・南京などを含む中支(中国中部)方面軍司令部は1937年12月に慰安所設置を決めた。
軍の要請を受けた民間業者らが大々的な女性募集に乗り出した。 すると日本警察が大混乱に陥った。 軍が業者を動員して慰安婦募集という行為を犯しているという事実が確認されたためだ。 これと関連して各県警察の問い合わせが相次ぐや1938年2月内務省警保局長は‘支那(中国)渡航女性の取り扱いに関する件’という命令文書を送り "実情に合う措置を考慮する必要がある" と協力を要請した。 合わせて渡航許可対象を△現在日本で性売買をしている21才以上の女性が△性病がなく△両親の同意があり△本人が直接警察署で渡航申請をする場合△2年間の契約期間が終われば必ず帰国させることを前提に許可を出した。
興味深いのはこの通達が日本国内だけに伝達されたという点だ。 その理由を花房は「日本が婦女売買に関する国際条約に加入した当時、植民地は除くという規定を入れたため」と説明している。 しかし、実際に女性募集が始まった後にこの通告は日本でもよく守られなかった。 このことを通じて通告が伝えられなかった植民地朝鮮でどんなことが行われたのかは想像に難くない。 韓国人慰安婦被害ハルモニの証言には10代中後半の年齢で "良いところに就職させる" という話にだまされて慰安婦生活を強要されたという内容が多数含まれている。 人身売買に該当するこのような略取・誘拐行為が朝鮮全体でなされたので、総督府の警察力が探知できなかったはずがない。 それでも徹底的な取り締まりがなされなかったとすれば、犯罪行為を黙認・ほう助したわけだ。
結局、慰安婦制度の存在自体を否認する日本人たちはいない。 ただし‘政府の強制性’をどこまで認めるかを巡って差が発生する。 河野談話はこのような事実と被害者の証言を総合的に考慮して、慰安婦を募集した主体は‘業者’だが、その過程で‘本人の意志に反した’事例が多く、ハルモニたちの被害証言を受け入れて例外的に‘官憲が加担した事例もあった’と認めた。 これを慰安婦動員過程の‘広義の強制性’と呼ぶことができる。
以後、安倍総理は1次内閣の時である2007年3月 「(日本政府の資料の中で)官憲によるいわゆる強制連行を直接指示する記述は発見されなかった」という内容を聴いて、閣議決定を通じて河野談話の変更を試みる。 責任を少しでも避けようとする‘情けない決定’であることは明らかだが、動員過程で国家の‘狭義の強制性’とそれにともなう法的責任を否認しただけで慰安婦制度自体に対する‘全面否定’を試みたのではない。
慰安婦に対する国家の‘広義の強制性’を認めることは韓国社会にも哲学的に重い質問を投じることだ。 韓国政府も法的には性売買を禁止しながらも、米軍基地村性売買女性たちを集めて2週に一回ずつ性病検査を受けさせて、暇さえあれば‘ドルを稼ぐ愛国者’と注入した時があった。 国家の放置・黙認・助長という点では慰安婦女性たちと境遇が異ならない基地村女性たちの人権問題に対して、韓国社会がどれほど大きな関心を傾けたのか、一回ぐらいは振り返り熟考してみなければならない。
東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr