日本政府が日本軍慰安婦問題が国際的に拡散することを防ぐため、東南アジア各国の被害女性たちに対する面談調査を意図的に回避していた事実が確認された。
13日付<朝日新聞>によれば、1993年7月慰安婦動員過程で軍の関与があったことを認めた‘河野談話’が出される直前に、当時の武藤嘉文 日本外相はフィリピン・インドネシア・マレーシア大使館に "慰安婦問題の拡散を防ぐため、被害者に対する面談調査はできる限り回避する" という内容の外交公文を送った。
当時、慰安婦問題は1991年9月キム・ハクスン ハルモニ(おばあさん)の初めての告白以後、日本政府に対する損害賠償訴訟などが相次ぎ韓-日間の非常に敏感な外交問題に飛び火した状態であった。 これに伴い、日本政府は1992年7月加藤紘一 官房長官時期に1次調査を行い "強制連行を証明する資料はなかったが、慰安所の設置・運営・監督に政府が関与した" という調査を出した。 これに対する反発が強まるや韓国人慰安婦被害女性17人に対する面談調査を含む2次調査を行い、慰安婦動員過程にも軍の関与があったことを認める‘河野談話’を出した。 当時日本政府は "韓国以外に他の地域でも面談調査を進める" という公式方針を明らかにした。 だが、内部ではこの問題がこれ以上大きくなることを防ぐために事実上調査を行わないという内部方針を定めていたわけだ。 このような事実は<朝日新聞>が情報公開を請求して確認した1992~1993年外交文書を通じて確認された。
日本政府はインドネシア政府が1次調査に対して "不充分だ" という内容の抗議公文書を発表するや、過度に神経質な反応を見せもした。 当時外務省の東南アジア2課長だった林景一 現英国大使は1992年7月14日駐東京 インドネシア公使に送った公文で "これは(調査結果を)信用できないと断定されたに等しい。 残念だ" と抗議した。 また、両国間には戦争賠償がすでに終わった状態であり慰安婦に対する補償を要求することは "有ってはならないこと" であり、旧日本軍兵士たちに対する処罰を要求することは "韓国でも問題にしていない" と主張した。 抗議を受けたインドネシア政府は問題を拡大するなという当時スハルト大統領の意向により追加的問題提起をあきらめた。朝日新聞はその背景に莫大な公的開発援助(ODA)が作用したと分析した。
当時慰安婦問題を担当した日本政府高位関係者は<朝日新聞>とのインタビューで 「問題を掘り起こして他国との関係を不安定にしたくなかった」としてこの日公開された文書の内容を事実上認めた。
東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr