日本政府が太平洋戦争末期インドネシアの捕虜収容所に監禁されていたオランダ国籍の女性たちを強制連行し、慰安婦としたことを示す資料が公開された。 日本軍が慰安婦の強制連行に直接介入した状況を生々しく把握できる文書の詳しい内容が公開されたのは今回が初めてだ。
<共同通信>は7日、日本軍がインドネシアの捕虜収容所でオランダ国籍女性35人を強制連行し、慰安婦としたことを示す資料が先月末から6日まで東京国立公文書館で公開されたと報道した。 この文書は朝鮮人女性たちの強制動員の有無を直接示す資料ではない。
今回公開された資料の名前は‘BC(B・C級戦犯)バタビア裁判第106番事件’(合計530頁)だ。 1949年までオランダのバタビア臨時軍法会議で開かれた旧日本軍中将と少佐等、将校5人と民間人4人を強姦罪などで起訴した起訴状と判決文などで構成されている。 バタビア裁判という名前がついたところから分かるように、この記録は日本が崩壊した後にオランダ政府がオランダ領インドネシアでなされた日本軍の戦争犯罪を処罰するために進めた戦犯裁判関連文書だ。 このような事情を考慮する時、資料の信憑性が相当高いと判断される。
文書には太平洋戦争が終盤に至った1944年、日本軍将校がジャワ島スマラン州収容所に監禁されていたオランダ国籍女性を州内4ヶの慰安所に連行し性売買を強要する過程が細かく描写されている。 これを見れば、 "(日本軍将校らが)州警察の長に慰安所に送る女性を収容所で選ぶよう依頼した" "○○将軍の要請で州の公務員が女性たちを連れて行った" "女性たちは慰安所に入るまで、どんな仕事をすることになるのかを聞くことはできなかった" 等の証言が含まれている。 慰安婦動員過程に日本軍が直接介入したことを確認できる。
しかしこの裁判で12年刑の有罪判決を受けた日本軍中将は、1966年の帰国後に日本、石川県庁でなされた調査で「連合軍の(戦犯裁判のための)調査が成され、婦人たちがありもしないことを並べ立て日本軍部をののしった」として疑惑を否認した。
この記事を書いた<共同通信>の角南圭祐記者は<ハンギョレ>との通話で「1993年河野談話が出てくる時、日本法務省がこの資料の内容を要約した4頁の資料を官房長官室に報告した」として「このような資料があって慰安婦動員過程で軍の強制性を認めた河野談話が出て来れた」と話した。 今回の資料公開で日本で河野談話の修正を要求する声は説得力をより一層失うことになる展望だ。
東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr