日本政府が日本軍慰安婦問題が国際問題として拡散することを防ぐために、インドネシアの有名文人の書籍出版まで妨害していた事実が確認された。
慰安婦問題が韓-日両国の主要外交懸案に浮上した1993年8月20日、高須幸雄 当時駐インドネシア日本公使(現 国連事務次長)はインドネシア政府の高位官僚と会い「インドネシア出身の慰安婦女性たちの苦難を描いた作家の作品が発行されれば、両国関係に及ぼす影響を憂慮する」と話した。 事実上‘出版禁止’を要求したわけだ。 インドネシアのスハルト政権は「この問題が両国関係に影響しないように扱う」と応じた。 これは<朝日新聞>が日本政府に情報公開請求して確保した外交文書を根拠に14日報道した内容だ。
<朝日新聞>は "公開された文書では作家の名前が消されているが、ノーベル賞候補としても議論されたインドネシアの大文豪プラムディヤ・アナンタ・トゥール(1925~2006)であることが確実だ" と指摘した。 トゥールは韓国で<ミンケ>という作品で良く知られたインドネシア反体制作家で、2006年81才で亡くならなければノーベル文学賞を受けただろうという評価を受けている。 ‘ミンケ’はインドネシアを植民支配したオランダの教師がインドネシア人の学生を猿(モンキー)と呼び、慌てて‘ミンケ’とごまかしてやり過ごす一節から取ってきた作品中の主人公の名前だ。
プラムディヤが長い島流し時期に取材したインドネシア慰安婦女性たちの事情はスハルト独裁政権下では出版できなかった。 この長編小説が世の中の光を浴びることになったのは2001年、日本で<日本軍に捨てられた少女たち>というタイトルで翻訳・出版されたのは2004年だ。
文書を見た元外務省官僚は「(日本政府が)発行禁止を要求したと見ても間違いない。 慰安婦問題を拡大させまいとする気持ちは理解できるが、ひどいこと」と話した。 しかし文書の主人公である高須 現国連事務次長は「覚えていない。 会合で私の考えを言っただけで圧力だとは思わない」と主張した。
東京/キル・ユンヒョン特派員 charisma@hani.co.kr