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高句麗碑が立つ中原に国立博物館建設なるか?

登録:2019-09-11 21:16 修正:2019-09-12 08:15
文化芸術家たちが建設推進委を構成 
忠州からは遺跡・遺物が多く出土しているが 
博物館がないため周辺施設に分散保管
忠州虎岩洞の木棺墓から出土した2200余年前の青銅器遺物。写真右側の細長い刃物が細形銅剣で、丸い遺物は多鈕細文鏡だ=中原文化財研究院提供//ハンギョレ新聞社

 40年前の1979年2月末、忠清北道忠州(チュンジュ)地域の歴史文化遺跡を調査した蘂城(イエソン)同好会(蘂城文化研究会)会員7人は、忠州市中央塔面の立石里(イプソクリ)で一つの碑石を発見した。当時は文字のない「白碑」と考えられた。だが、拓本をとったところ文字があらわれ、学術研究の末に高句麗碑であることが確認された。国宝205号「忠州(中原)高句麗碑」はこうして世の中に姿を現わした。

 その歴史の現場にいた人がユ・チャンジョン柳琴瓦當博物館長(74)だ。ユ館長は、清州(チョンジュ)地検忠州支庁に勤めしていた当時、蘂城同好会の一員として忠州高句麗碑を発見した。彼は「眞興王巡狩碑を尋ね歩きながら、偶然と必然が重なって高句麗碑を発見した。忠州は、高句麗時期の首都である国内城に次ぐ第2の首都と言える国原城が設置された都市だった。高句麗碑は、忠州が重要都市だったことを示す史料」と説明した。文化遺跡に造詣が深い彼は、退任後に瓦などの遺物を集め博物館を建てた。

 彼は最近、忠州に高句麗の歴史を主題とする国立博物館を建てる運動の先頭に立っている。ユ館長は「国内で唯一の高句麗碑がある忠州は、中国の歴史歪曲政策である東北工程を克服し、高句麗文化を正しく見せうる所だ。そのうえ、中原文化の中心として高句麗、百済、新羅など三国の文化が結合・重複・融合して表れる独創的な文化空間なので、必ず博物館が必要だ」と話した。

 忠州からは中原文化の遺跡・遺物が多数見つかっている。代表的なものが、2015年1月に虎岩洞(ホアムドン)で発掘された紀元前1~2世紀のものと推定される細形銅剣など国宝級遺物20点だ。古代朝鮮半島で最大の製鉄地域に挙げられる弾琴台(タングムデ)製鉄遺跡は、忠清北道記念物170号に指定されもした。忠州博物館学芸研究チームのユン・ビョンヨプ氏は「忠州をはじめとする中原文化圏では、これまでに遺物5万7千点余りが発掘されたが、博物館がないために主な遺物が周辺博物館に散在している」と話した。

 忠州地域の文化芸術家と市民団体代表など184人は、国立忠州博物館建設推進委員会を設けた。彼らは、朝鮮半島の中央という意味の中央塔(忠州塔面里の七層石塔・国宝6号)周辺など5万平方メートルに博物館の造成を推進している。ソン・チャンイル推進委員長(忠州文化院長)は「古代文化、高句麗など三国の遺物が融複合した姿を見せる独特の中原文化を収める博物館が必ず必要だ」と話した。

オ・ユンジュ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/chungcheong/909289.html韓国語原文入力:2019-09-11 07:23
訳J.S

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