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128年前に景福宮を照らした韓国初の発電所跡を発見

登録:2015-05-27 23:16 修正:2015-05-28 14:41
 文化財研究所“電気燈所”実体確認
 香遠池の南側~永薫堂北側に位置
 アーク灯の発光体である炭素棒など出土
27日公開されたソウル景福宮境内の韓国初の発電所跡発掘現場。ト・ウィチョル国立文化財研究所学芸士が取材陣に遺跡を説明している=ノ・ヒョンソク記者//ハンギョレ新聞社

エジソン電気会社と1884年に契約
白熱灯750個を点灯できたが
点いたり消えたりして“遊び灯”と呼ばれる

 128年前に米国の発明王エジソンの会社が設置し、景福宮(キョンボックン)を明るく照らした韓国初の発電所跡が見つかった。 国立文化財研究所は、景福宮の慶会楼(キョンフェル)後方にある興福殿(フンボクジョン)圏域の永薫堂跡一帯を発掘調査した結果、1887年に建てられた韓国初の発電所であり、韓国の電灯発祥地である「電気燈所」の実体を確認したと27日発表した。

韓国初の発電所跡位置図 //ハンギョレ新聞社

 この日の現場説明会によると、電気燈所の実際の位置は香遠池の南側~永薫堂北側の間であることが明らかになった。 これまで電気燈所は宮廷の池である香遠池の北側と乾清宮の南側の間とされていた。 遺跡があらわれたところは、正面5間、側面2間の20坪程度の規模で、基礎と外壁の一部が残っている。 現在のところ半分だけが発掘され残りは庭園と観覧路に埋まっている状態だ。 跡地の南側には発電用石炭を保管した炭庫跡がつながっていて、アーク灯の発光体として使われた炭素棒や製造年代(1870年)が刻まれた透明ガラス絶縁体(碍子)、石炭塊などが出土した。 研究所側は「電気燈所の位置と電灯の使用実態が初めて具体的に確認され、韓国電気発展史研究の転換点になるだろう」と期待する。

 文献記録によれば、朝鮮王室が電気燈所の建設を計画したのは1883年のことだ。米国に派遣された政府使節団である報聘使の建議を受け入れ、1884年にエジソン電気会社と電灯設備契約を結び、1886年11月に電灯技士マッカイを招へいし、翌年1月に火力発電式電気燈所を景福宮内に完工した。当時の発電設備は16燭光(1燭光はろうそく1本の明るさ)の白熱灯750個を点灯できる規模だったと伝えられている。初めての点灯時点は1887年1~3月頃と推定されるが、乾清宮内の長安堂と坤寧閤の大庁と前庭、香遠池周辺をアーク灯、白熱灯で明るく照らしたという。 当時、香遠池の水を引いて電気を生産したために“水火”と呼び、不安定な発電システムだったために勝手に点いたり消えたりしたので“遊び火”というニックネームがつきもした。

旧発電所跡から出土した電気関連遺物。 左から電灯の発光体として使われた炭素棒と透明ガラス絶縁体、沙器で作った碍子 =国立文化財研究所提供 //ハンギョレ新聞社

 一方、永薫堂跡からは母屋とともに付属行閣跡など建物跡6棟が確認された。 建物跡の中からは各部屋の用途が分かる竈やオンドル、基壇、塀跡、排水・排煙施設などがあらわれた。 永薫堂は王が普段生活する居所である興福殿の付属殿閣で興福殿と香遠池の間にあった。 高宗(コジョン)の時に建てられたが、日帝強制占領期の1917年に焼けた昌徳宮(チャンドックン)を建立するために景福宮の殿閣を移築する過程で興福殿などと共に撤去された。 今回の調査は文化財庁の2次景福宮整備復元事業の一環であり、文化財庁は事業が終わる2030年までに254棟の宮内建物を復元し19世紀に高宗が建立した本来領域の70%台まで整備復元する計画だ。

遺跡から出土した透明ガラス絶縁体。製造年代(1870)が刻まれている=ノ・ヒョンソク記者 //ハンギョレ新聞社

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/693018.html 韓国語原文入力:2015-05-27 19:53
訳J.S(1666字)

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