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仏国寺(プルグクサ)が統一新羅の建築物?朴正熙政権‘想像力の産物’

登録:2012-12-30 21:19 修正:2012-12-31 08:45
1969~73年 朴正熙大統領の指示により大統領府・政府が主導した慶州(キョンジュ)仏国寺(プルグクサ)復元工事現場.

‘復元工事の顛末’資料初公開
場所の他には新羅様式確認が根拠の全て
政治的意図により恣意的に装う
高麗・朝鮮の建築様式混ぜ合わせ復元
費用は三星(サムスン)・現代などから‘強制寄付’
維新時代 猪突的文化政策の陰

韓国建築文化遺産の代名詞と言われる慶州仏国寺はどの時代の建物であろうか?

 一般人なら10人に9人は統一新羅の建築と答えるだろう。 しかし実際は違う。 仏国寺の大雄殿・無説殿・毘盧殿・観音殿などをはじめとする主な殿閣と回廊は高麗・朝鮮時代の建築様式を混ぜ合わせた多包・柱心包式の柱に、切妻・サモ(四角)屋根の建築物だ。 場所は統一新羅のものだが、建物は1970~73年に寺を復元する当時の職人たちが想像力を発揮して様式を絞り出したものだ。 なので現在の仏国寺はほとんど考証されていない近現代建築の産物だ。 その背景には当時朴正熙政権が民族精気回復を前面に掲げて行った猪突的な文化遺産政策の陰がある。

70年代、仏国寺境内を見て回る朴正熙大統領と夫人の陸英修(ユク・ヨンス)氏.

 ソウル漢陽大博物館に整えられた‘韓国建築文化財 復元と創造の境界’展(新年2月23日まで)は70年代仏国寺復元秘史を通じて当時の権力と建築文化遺産の微妙な関係を伝える。 1968年大統領の慶北(キョンブク)巡視当時、大統領府が積極的に推進する方針を明らかにして始まった仏国寺復元工事の隠された建築遺産復元の政治・社会的意味論がこの展示が言わんとする真髄だ。

 仏国寺復元は解放後に国家が主導した初めての大型復元事業であったし、後代の文化財復元修理にも大きな影響を及ぼした。 2階の1部展示場にはこれと関連して40年前の復元工事の記録である日刊・月刊工事日誌と寺刹復元青写真、政府公文書と種々の殿閣工事現場、朴正熙・陸英修大統領夫妻の視察場面等を含む珍しい写真がモザイクのように陳列されている。 70年代復元工事の現場監督だったユ・ムニョン氏がこの大学のハン・ドンス建築学科教授に一括寄贈し、初めて公開されるものだ。

1969年5月、慶州総合開発計画の一つとして推進された仏国寺復元は解放後に初めて為された大規模文化財復元事業だった。 復元工事当時の建物平面図.

 最も気になる部分はなぜ建築物の考証がほとんど一度もなされなかったのかという点であろう。 2階展示場の一画には当時工事責任者であったキム・ジョンギ、キム・ドンヒョン前国立文化財研究所長らと4月に行われた口述懇談会内容を土台にした一問一答パネルが懸けられている。 何度も考証・設計関連会議を開いたが、場所の他には新羅建築様式を確認する根拠資料が何もなく、結局、既存寺刹の景観などを考慮して高麗中期から朝鮮中期様式までの建築様式を混ぜ合わせる他はなかったという説明が見える。 当時の技術力や学界の研究水準などを考慮すれば一面では理解出来る。

 しかし架空の建築物を当時の政権の政治的意図により統一新羅の建築物であるかのように装ったという後代学界の批判は避けられない。 「もし再び作るならば、部材・設計などが大きく変わるだろう」というキム・ジョンギ元所長の回顧には自己恥辱感が伺える。 青雲橋・白雲橋 前庭にあった新羅の蓮池である九品蓮池が当時の工事前の発掘で確認されたが、修学旅行団など観客お動線を邪魔するなどの理由で埋めてしまったという関係者たちの回顧もまた然りである。 三星・現代などの大企業社主を呼び集め、布施金形式で巨額を強制的に集めた後に工事費用として充当したことを示す布施金目録と企業布施説明会公文書などからは当時の政治権力が仏国寺復元に及ぼした影響もまた察することができる。

現在の仏国寺全景

 文化財復元の辞書的意味は‘本来形状のとおりに回復すること’だが、実際の作業過程は容易でない。 過去の工法、過去の工具を考証しながら行うか、復元の基準や対象はどのように決めるべきか論議が絶えない。 修理、修復、移建などに細分化される概念もまた創造またはき損という曖昧な境界の間に置かれていて、建築職人は予断を警戒して哲学的・美学的判断を繰り返すジレンマを体験するのが常だ。 展示2部はこのような脈絡で学界で論議中である建築遺産復元の色々な概念を紹介して水原(スウォン)華城(ファソン)・仮宮、忠南(チュンナム)扶余(プヨ)の百済文化団地、修徳寺(スドクサ)、崇礼門(スンネムン)などの復元事例が残した成果と限界などを関連部材とパネル説明等を通して調べている。 復元された建築文化遺産を素材にしたハガキ、写真、案内書、切手、記念品などを展示した3部も建築遺産が観光資源に変質したり誤読される事例に光を当てた。 ひと目でわかる展示構成ではないが、権力と絡まった伝統建築復元の隠れた論議を観客の前に引き出した今回の展示は国内古建築史と大衆を疎通させる大切な契機を作り出した。 (02)2220-1394~6.

文・写真ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr

図版 漢陽(ハニャン)大博物館提供

https://www.hani.co.kr/arti/culture/music/567537.html 韓国語原文入力:2012/12/30 19:05
訳J.S(2268字)

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