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「右翼の脅迫のため『表現の自由』を諦めるわけにはいきません」岡本有佳共同代表

登録:2023-01-05 06:26 修正:2023-01-05 07:31
[インタビュー] 編集者兼企画者の岡本有佳「表現の不自由展」 東京実行委員会共同代表
「表現の不自由展」 東京実行委員会の岡本有佳共同代表が12月28日、東京の自宅で「第8回ソン・ユボ特別賞」賞牌を持ち上げて見せている=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「本当に驚きました。日本で行われた『表現の不自由展』の意味が韓国で認められたわけじゃないですか。私だけでなく開催に尽力したメンバーたちにも大きな喜びであり、励ましになるでしょう」

 ハンギョレ創刊編集委員長を務めたジャーナリストの故ソン・ユボ(1943~2014)先生の精神を称える「第8回ソン・ユボ特別賞」を受賞した岡本有佳・東京実行委員会共同代表(59)は、12月28日に東京の自宅で行われた本紙とのインタビューで、このように受賞の感想を述べた。

 「ソン・ユボ特別賞」選定委員会は「岡本有佳氏は、日本各地で『表現の不自由展』の開催を主導し、表現の自由と人権の伸張に大きく貢献し、長い間日本軍『慰安婦』問題と在日コリアンへの差別など韓日両国の和解および平和のために献身してきた」と授賞の理由を説明した。岡本さんは同賞初の外国人受賞者で、授賞式は12月19日、ソウル民主言論市民連合教育館で開かれた。

2012年に日本軍「慰安婦」写真展が取り消しになった 
写真作家のアン・セホンさんの損害賠償訴訟の支援に参加 
「表現の不自由展」東京実行委員を務める 
2022年、4都市で「平和の少女像」展示 

昨年「ソン・ユボ特別賞」初の外国人受賞 
「全力で開催実現したメンバーたちにも大きな喜び」

2022年4月、東京都国立市にある国立市民芸術ホールギャラリーで開かれた「表現の不自由展 東京2022」で、ある観覧客が「平和の少女像」の隣に座っている=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 岡本さんは日本の右翼のあらゆる妨害と脅迫にもかかわらず、「表現の不自由展」の開催を導いてきた中心人物だ。同展覧会は日本軍「慰安婦」被害者を象徴する「平和の少女像」をはじめ、天皇制、福島原発爆発事故など、日本社会でタブー視されるテーマを前面に掲げたため、各種展示施設から撤去されたり、規制を受けた作品を集めた企画展だ。日本の「表現の不自由」を象徴する展示物を集めて「表現の自由」の重要性を訴えるという企画意図だった。

 岡本さんがこの闘いを始めたのは2012年に遡る。世界的なカメラメーカー、ニコンが運営する東京の展示館(ニコンサロン)で、韓国人写真作家のアン・セホンさんの日本軍「慰安婦」被害者の写真を集めた写真展が開かれる予定だった。しかし右翼の脅迫が始まると、ニコン側は一方的に展示を取り消した。裁判所の仮処分決定で東京展示は行われたが、ニコン側は広報もせず、メディア取材だけでなく図録の販売も禁止するなど制約を加えた。アンさんは損害賠償訴訟を起こし、日本で彼を支援する会が作られた。フリーランスの編集者で展覧会や映画、本、雑誌などを企画してきた岡本さんもその一人だった。

 「ニコン事件から2カ月後、東京都の美術館で展示された小さなサイズの『平和の少女像』が4日後に撤去されました。記事もほとんど出ていません」 。岡本さんは「誰も知らないうちに表現の自由が侵害され続けている」と考え、アンさんの裁判を支援していた仲間たちとともに、このような不条理な事実を広く知らしめる展示をすることにした。

 2015年、ついに東京で「表現の不自由展」が開かれた。日本で初めて椅子に座っている実物大の「平和の少女像」が展示され、話題になった。少女像を作った作家、キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻のおかげで実現したものだった。ソウルから東京までの高額の移送費用で悩んでいたところ、二人が自ら持っていくと提案したのだ。「東京で少女像を展示することを伝えると、とても驚いていました。それでも直接持ってくるのは簡単なことではないのに、本当に感動しました」

 展示は大成功だった。二人の意向を汲み、少女像はそのままの姿で展示された。日本の観覧客は隣に座って少女像を見たり、手を触ったり、突然涙を流したりもした。15日間で約2700人が展覧会を訪れた。

 関心が高まるほど、困難も大きくなった。最も代表的な事件は愛知県名古屋市で開かれた日本最大の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」問題だ。2019年8月1日に始まった同展覧会に正式に招待されたにもかかわらず、右翼の脅迫に加え、名古屋市長、官房長官まで圧力をかけ、展示は4日で中止された。この問題はその夏、日本社会を熱くした。日本のマスコミも乗り出して、政府の対応を強く批判した。そのため、最後の6日間で展示は再開された。全体75日のうち10日程度だけ観覧客の目に触れることができたわけだ。2021年6月にも東京展示が右翼の執拗な妨害で無期限延期された。

 この過程で大きな成果もあった。「右翼の妨害→展示の撤回」という似たような過程を辿っていた大阪実行委員会が、昨年、訴訟を通じて重要な決定を引き出したのだ。大阪地裁は「表現や集会の自由を制限できるのは、明確な危機を予測できる時に限られるべきだ」とし、展示を進めた関西実行委に軍配を上げた。「大阪実行委が展覧会を開こうとした場所は公共施設でした。公共施設が市民のものになるためには、市民が自ら守らなければならないことを、大阪の例から学びました」。岡本さんは「右翼の脅迫で表現の自由が侵害されることがあってはならない」とし、「大変だが、階段を一歩ずつ上っていく感じ」だとして笑顔を見せた。

 大阪の事例もあり、昨年4月、東京都国立市の公共施設で7年ぶりに「平和の少女像」展示を行ったのに続き、京都、名古屋、神戸の4カ所で「表現の不自由展」が開かれた。「右翼が大勢集まってきましたが、安全対策を講じ、市民の支持で無事に終わりました」。 東京だけでボランティア240人、弁護士60人以上が支援に乗り出した。

「表現の不自由展」東京実行委員会の岡本有佳共同代表=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 表現の自由に対する抑圧に立ち向かってたくましく走り回っている岡本さんだが、2008年、がんを患い死の淵に立たされるほど危険な瞬間があった。今も引き続き検査を受けている。「あの時生き返ったのは奇跡です。病気になってから、自分が何をしたいのか以前より早く決められるようになりました。いつ死ぬか分かりませんが、そんなふうに生きた方が良いということが分かりましたから」

 岡本さんは、「今年も忙しくなりそうだ」と語った。「地域名を明かすことはできませんが、『表現の不自由展』を開きたいという新しいところがあります。また、今年で開設10年になる日本軍『慰安婦』学術サイト『ファイト・フォー・ジャスティス(Fight for Justice)』の常任理事を務めていますが、この活動をいかに強化すべきなのか、悩んでいます」。岡本さんは「自分がやりたいことであり、できることをやっているので、楽しい」と明るい笑顔で話した。

東京/キム・ソヨン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/media/1074464.html韓国語原文入力:2023-01-04 21:36
訳H.J

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