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済州 4・3 事件
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周年企画
今年で済州4・3は70周年を迎える。済州4.3特別法は、済州4.3を「1947年3月1日を基点に、 1948年4月3日に発生した騒じょう事態および1954年9月21日までに発生した武力衝突と鎮圧過程で住民が犠牲になった事件」 と淡々と定義する。しかし、当時の済州島の人口の10%にのぼる2万5千~3万人あまりが犠牲になった「韓国現代史の悲劇」だった。 その傷は今も残っている。70周年を迎え、4・3の現在的意味を5回にわたって振り返る。 椿の花は4・3の時に赤い血を流して冷たい土の中で音もなく消えて行った済州島民を象徴する。 済州オルレ(トレッキングコース)と有名観光地を訪れると、美しい自然に覆われた済州4・3が見える。 済州オルレ17コース(観徳亭)では4・3の始まりを、1コース(トジンモク)と6コース(正房滝)、 19コース(咸徳海水浴場と北村里)では虐殺を、13コース(失われた村・造水里下洞)では消えた村を、 14コース(チン・アヨンさんの生活場)では個人の悲劇を、 10コース(坑道陣地とソッアルオルム)では日本の植民地支配と朝鮮戦争時代の予備検束の現場を訪ねる。 済州の悲劇的な近現代史が、そのまま道の上に残っている。