こんにちは。写真部写真企画チームのパク・ジョンシクです。隔週で掲載される「この瞬間」など、写真でお見せできる様々な企画取材を担当しています。企画取材をしていると、その日その日に起きた事件よりは特定の時点に関連した取材をする時がよくあります。今回の三一節(独立運動記念日)の企画もそうやって始まりました。
三一節は韓国の歴史の重要な事件を記憶する日ですが、毎年繰り返されるため、これを写真で表現するのは容易ではありません。三一節記念式典の写真が毎年新聞に載るのもそのためでしょう。何を撮ればいいのか悩んでいたところ、ある右翼の漫画家が自分のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に掲載した書き込みと写真を目にしました。
「実は100年前にもいわゆる親日附逆派は一所懸命生きた人たちで、独立運動家たちは適当に生きた人たちではなかろうか」
高い塀に囲まれた大邸宅と、土壁にスレート屋根の家が写った写真を比べながらの投稿でした。前者には親日附逆派の子孫が、後者には独立運動家の子孫が住んでいるという説明がついていました。文と写真を見ているうちに、怒りより悲しみがこみ上げてきました。独立運動家の子孫の窮乏が笑いのネタになり、そのような文と写真を実名で載せることに何ら恥じらいのない人と同時代を生きていることに、嘆かわしさを覚えたからです。
漫画家の文と写真が掲載された後、写真の中の独立有功者の子孫だと自分を紹介した人物の文が掲載されました。独立運動家チョ・ビョンジンの曾孫という彼はこのように述べました。「日帝に附逆せず、祖国の独立のために微力ながら貢献した曽祖父の人生を適当に生きたと蔑んだユン・ソイン氏に聞きたい。豊かに暮らしている親日附逆派の子孫は、果たしてその祖先を誇らしく思っているだろうか」。その後、光復会など独立運動家の子孫たちが暴言を吐いた漫画家に対する告訴を進めているというニュースが聞こえてきました。
2007年、特別帰化で韓国に帰ってきた海外の独立有功者の子孫を取材したことを思い浮かべました。大々的な歓迎の中で帰化しましたが、肉体労働を転々としながら、貧困と病魔に喘いでいました。取材を終えてからは、善意の取材だったけれど「独立運動家の子孫の貧しさを展示することになったのではないか」と悩む日々もありました。他の方法で独立運動家とその子孫に関心を喚起する必要があると考えました。
ちょうどその時、国家報勲処が「独立有功者の子孫探し」を行っていました。独立運動家6228人の建国勲章・褒章を受ける人がいないという話を聞きました。安定した家庭環境や財産上の理由などによって子孫がはっきりしている親日附逆派と異なり、独立運動家たちは海外居住や生活苦、子孫たちの無関心、越北(北朝鮮へ渡って暮らすこと)などで子孫を探すのが難しかったためです。彼らの活動を記録だけで終わらせてはならないと思い、残されている独立有功者の写真を使って「この独立運動家の子孫を探しています」(「ハンギョレ」3月1日付1面)の記事を書き上げました。
記事が出た後、さまざまなコメントが寄せられました。「いまも親日附逆派の子孫らがあらゆる富を蓄積し、独裁政権などの庇護で親日附逆の痕跡を消し、子々孫々にわたってこれまで良い暮らしをしているのに、果たして親日附逆の清算が実現し、独立有功者の子孫が堂々と生きられるだろうか?」「残された家族たちのことを考え、自分を隠して散華した人たちは、時代を問わず多い」、「子孫たちに供養もしてもらえず、地下で慟哭していることだろう」
報道の後、独立運動家の現実を示すもう一つの事実を確認しました。仁川大学仁川学研究院独立運動史研究所が、2019年から昨年8月まで発掘した独立運動家2060人のうち、644人が国家報勲処第2次審査に上がり、最終68人の功績が認められ、今回の三一節に新たに国家褒賞を受けたというのです。韓国政府はもっと積極的に独立有功者の発掘を進めてほしい、と残念に思いました。
光復から76年が過ぎましたが、いまだに名前すら知られていない独立運動家がたくさんいます。その子孫たちは貧しいという理由であざ笑われたりもします。かなりの年月が流れましたが、独立運動家の発掘・褒賞作業をしなければならない理由が、ここにあります。「この独立運動家の子孫を探しています」 記事に寄せられたコメントの一つで、この文を締めくくりたいと思います。
「国のために命をも捨てた方々です。彼らの子孫にでも礼を尽くし、必ず報いることを願っています」