大統領府を担当していた頃、ずっと抱いていた質問がある。機会があれば、再来年ごろ投げかけてみようと思っていた。ところが、異動で担当が変わってしまった。これを機に、少し早いが今投げてみるのも悪くないかもしれない。実践する時間があるうちに。
「大韓民国の主流をこれまでどれくらい変えましたか?」
主流を変えるという約束は、文在寅(ムン・ジェイン)大統領がなぜ政治をするのかという問いに答える際に打ち出した目標だ。この言葉が、党代表を降りてヒマラヤトレッキングをした際に述べたものだと言う人もいれば、どこかとインタビューをした際の発言だと言う人もいる。いずれにせよ、機会に恵まれれば、大統領退任記者会見のときにでも手を上げて投げかけたかった質問だ。
文大統領の任期はもう1年半しか残っていない。就任から3年半が過ぎた今、野心に満ちた約束は今どの辺まで来ているのだろうか。
文大統領はこれまで親日と反共、独裁と財閥につながる韓国の主流に亀裂を入れることを試みてきた。建国節論争を一蹴し、若山・金元鳳(キム・ウォンボン。1948年に北朝鮮に渡った独立運動家)に改めて照明を当て、草の根の独立運動を浮き彫りにした。成果もあった。特に、3回にわたる南北首脳会談を通じて、南北対立の中に寄生していた極右や反共勢力を議会権力から追い出したことは、高く評価すべきかもしれない。
しかし、長年の課題をいくつかを見る限り、まだ十分とは言えない。
回顧録とインタビューで、何度も深い悔恨を滲ませた検察改革は、依然としてあまり進展が見られない。検察は、ソン・ハニョン先任記者の表現を借りれば、あらゆる逆境を乗り越え再び「政権克服のための神業」を発揮するところだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の失敗を痛感した文在寅政権で、検察は改革のメスを避けられないと思われた。ところがどうだろう。改革は泥沼に陥った。何を目指していたかも分からなくなってしまった。
これまで検察の神業が政権勢力の不正を暴くことだったとすれば、今の検察の神業は泥沼づくりだ。戦線そのものをかき乱して、何が何だか分からなくする戦法だ。ユン・ソクヨル検察総長は、チョ・グク前法務部長官に対する「堅壁清野(城壁に囲まれた市街地内に人員を集中させ、城外は徹底して焦土化する)」流の捜査や、特捜部一色の人事、側近かばいで泥仕合の信号弾を打ち上げた。その後、メビウスの輪を想起させる法務部長官と検察総長の内外も、是非も見分けがつかない無限の争いの中で、検察改革という目標は消えた。ただ、目にするだけで疲れて、うんざりするものになってしまった。改革の形そのものがぼやけているのだ。検察を守り、その渦中に次期大統領候補1位という知名度まで手に入れたのだから、勝者は「検察主義者」のユン総長と言える。
政府は検察との神経戦で体力を消耗したあまり、より固い既得権である裁判所改革には手を付けられなかった。その間、司法壟断事件の被告であるパク・ビョンデ元最高裁判事が弁護士に復帰し、最高裁はセウォル号惨事時局宣言に参加した教師に罰金刑の確定判決を下した。
政府の看板公約である地域バランス発展もうやむやになっている。首都圏には今や全体人口の半分以上が暮らしている。強固な主流である「江南の(不動産)不敗神話」は、高騰する保証金のように聳えている。過ちを繰り返すのは愚かだ。政府はまた、先月になって地域バランス・ニューディールを「韓国版ニューディール」の核心軸に加えた。デジタルやグリーン、社会セーフティネットのニューディールに次ぐ4番目の軸だ。この政策の優先順位があまり高くないことを物語っている。
そして労働問題。「ある青年労働者」の全泰壱(チョン・テイル)が亡くなってから50年が過ぎても、労働者が主人という言葉はいまだに現実とかけ離れている。非正規職、特殊雇用職労働者は依然として法の外で、あるいは法さえ届かない所で「仕事がきつすぎる」と言いながら倒れていく。新技術を前面に押し出した第4次産業革命時代の主流の壁は、資本で築いた以前の時代の壁よりも越えるのが難しい。文大統領の無念さも変わらないようだ。彼は「全泰壱烈士は、(労働尊重社会は)まだまだだとおっしゃるでしょう」と述べた。
道のりはまだ遠いのに、夕日が沈み始める。しかし、少しでも悔いを減らすのに、1年半は決して短くない時間だ。
だからこそ、この辺で彼に投げられなくなった質問を投げかけてみるのだ。
「大韓民国の主流を変えられますか?」
ソン・ヨンチョルㅣ全国チーム長(お問い合わせ japan@hani.co.kr)