チョン・ウィヨン大統領外交安保特別補佐官が20日、外交部長官候補者に指名され、文在寅(ムン・ジェイン)政権発足とともに抜擢された最長寿閣僚であるカン・ギョンファ長官が退くことになった。3年7カ月前、無名に近かった“非主流”の女性人権専門家の破格の抜擢による衝撃と同様に、“声も噂もない”突然の交替も話題だ。
カン長官は2017年5月、文在寅政権の最初の外交部長官に任命された。非外交官試験出身で、多国間外交で経歴を積んだ女性という点で、“前代未聞”だという修飾語が後に続いた。アントニオ・グテーレス国連事務総長の政策特別補佐官として活躍したカン長官は、抜擢と同時に文在寅政権の第1次内閣で最も強いスポットライトを浴びた。1948年の外務部設立以来初めての女性外交部長官であり、38人の「韓国外交部長官」のなかで、国際的にはもちろん大衆にも最も広く知られたという評価が伴う。
カン長官の交替説は昨年中盤から続いていた。本人も何回も公開の席上で「ポストにはこだわらない」という立場を明らかにし、交替説が強くなった。しかし、文大統領の信頼が厚いうえ、「代わりとなる人物がいない」という理由で交替説はいつもしずまった。大衆に深く刻印された彼女に代わるほど象徴的な人物はおらず、交替の名分も弱いという理由のためだといわれていた。年末を過ぎた後には、文大統領と任期5年を共にするいわゆる「オ・ギョンファ」(オは韓国語で「5」の意味)になるだろうという見方が支配的だった。しかし、この日に後任が発表され、文在寅政権の第1次内閣の最後の長官も退くことになった。
「外交部革新」という目標を持ち入城したカン長官の外交部は、この3年7カ月間で大きく変わった。
最も目立つのは組織文化の変化だ。通常の組織のように年功序列中心の垂直文化が崩れたというのが内部の評価だ。外交部関係者は「韓国社会でこのような大きな組織のなかで、(外交部のように)水平的で尊重する文化を短時間で作ったケースはないだろう」と述べた。特別なことがなくても夜勤と週末勤務が必須だった過去の非効率的な業務形態も消えた。外交部当局者は「『フクロウ』気質の前任の頃は皆が眠れない夜を過ごしたが、カン長官が入ってきて、そのような文化は消えた」と述べた。これに先立ちカン長官は就任の辞で「待機性夜勤と週末勤務が業務に対する献身として評価されてはいけない」とし、“生活と仕事のバランス”を強調した。そのため、一部では外交部職員の“ねじが抜けた”と批判するが、外交部職員の評価は良い方だ。
カン長官の任期中に外交部の組織構成も大きく変わった。女性幹部の割合が高まり、朝鮮半島平和交渉本部と北米局などの重要部署で女性課長が誕生した。外交部内では“エリートコース”だとされているワシントンの駐米大使館に配属された実務陣が、「過去の北米・北朝鮮の核問題中心から多様になった」り、「公正な手続きを経て人事が公平になった」という評価が出ている。何より、職員の意見に耳を傾け、若手の士気を高めるのに大きな役割を果たしたという。事務官が英語で書き提出した演説文を長官が修正した後、“K”と書いて返すなど、細かい行動が肯定的な影響を及ぼしたという形だ。この日、カン長官の交替の知らせに多くの外交部職員は「残念だ」という反応を示した。
しかし、任期中は常に各種の議論から自由でなかったことも事実だ。就任からカン長官に付きまとった評価は「北朝鮮の核問題と北米業務に対する理解が足りず、掌握力が弱い」という評価だった。任期序盤、北朝鮮の核問題や北朝鮮関連メッセージを誤って発信し混乱をもたらすなど、相次いだ失言もそのような評価に重みを加えた。2018年に朝米交渉が始まったが、外交部の存在感が弱かったり、韓日関係が停滞する間にこれという解決策を提示できなかったという指摘も多い。
カン長官は「セクハラ不寛容原則」を明らかにしたが、海外公館でセクハラや性暴力の事件が絶えなかったことも、残念な点だ。外交部ではセクハラ・性暴力相談窓口を各在外公館にも義務的に設置させるなど、「申告および処理体系を公式化し、より多く明らかになった」と反論するが、カン長官の在任期間に性的不正問題の解決が大きな課題だったことは明らかだ。国際舞台では経歴を認められる人権専門家だが、いざ国内では必要な時に声を上げなかったという指摘もある。
カン長官をめぐる評価は今後も分かれざるをえない。一部では「外交部長官の新しい姿を確立した」と評価するが、「韓国外交の中心的な悩みである北朝鮮の核問題および4強外交で成果を出せなかった」という批判もある。しかし明らかなのは、38人の歴代長官のなかで最も大きな話題を集めた外交部長官であるという点だ。