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「追悼はもう一つの加害」キム・ギドク監督の死と映画界の理由ある沈黙

登録:2020-12-15 10:54 修正:2020-12-15 12:37
ダルシー・パケット氏「彼を称えるのは間違っている」 
「監督と映画は分離できるというのは妄想に過ぎない」
性暴力疑惑が提起された映画監督のキム・ギドク氏が2018年6月12日午後、ソウル瑞草区のソウル中央地検に告訴人として出席し、取材陣の質問に答えている/聯合ニュース

 「私は2018年にキム・ギドク監督の性暴力を扱った番組が韓国で放送された後、彼の映画を授業で教えるのをやめた。誰かがそんな恐ろしい暴力を振るったのなら、その人を称えるのは間違っている。彼が天才だったかどうかは関係ない(そして私は彼が天才だったとは思っていない)」

 故キム・ギドク監督がラトビアで新型コロナウイルス感染症で死亡したことが11日に明らかになった後、映画『パラサイト 半地下の家族』の英語字幕翻訳家であり映画評論家のダルシー・パケット氏が自身のツイッターに書き込んだ文章だ。このツイートは、キム監督の死に対して韓国映画界関係者の多くが沈黙している理由をあらわしている。

 キム監督は2004年にドイツ・ベルリン国際映画祭で『サマリア』で銀熊賞を、2012年にはベネチア国際映画祭で『嘆きのピエタ』で金獅子賞を受賞した。彼の映画の中でしばしば登場する女性に対する暴力的描写にもかかわらず、「韓国が生んだ世界的巨匠」というタイトルは彼を称える際に欠かせない表現だった。2017年前までは。

 2017年、キム・ギドク監督は映画『メビウス』の撮影中に「感情移入のための演技指導」という名目で俳優のAさんを暴行し、台本にないベッドシーンの撮影を強要した疑いで告訴された。続いて2018年3月と8月に放送された文化放送(MBC)の追跡番組『PD手帳』では、キム監督が新人俳優など数人の映画界関係者に対して常習的に性的暴行を行っていたと報道した。

 キム監督は、Aさんと『PD手帳』の制作スタッフらに対し、それぞれ誣告(ぶこく)と出版物による名誉毀損で告訴したが、検察は「取材過程を調べたところ、真実だと信じられる相当な理由がある」とし、無罪とした。

 キム監督は10月、Aさんと文化放送を相手取って起こした10億ウォン(約9600万円)の損害賠償請求訴訟でも敗訴した。映画界と女性界からは、キム・ギドク監督に「これ以上の二次加害をやめ、せめて今からでも過ちを認めて自省することを求める」という声が上がったが、キム監督は最後まで応じなかった。

 キム監督の死亡の事実が伝えられた後、映画界からはごく少数の追悼の声が上がったが、直ちに激しい批判に直面した。

 釜山国際映画祭のチョン・ヤンジュン執行委員長は自身のSNSアカウントに「韓国映画界にとって埋められない大きな損失であり悲しみ」と哀悼の意を表し、非難にさらされた。あるツイッターユーザーは「キム・ギドク監督が映画の現場で同僚たちに性的暴行をし、悪影響を及ぼしたことが真の大きな損失」だと批判した。

未成年者に対する性犯罪の前歴がある映画監督ロマン・ポランスキー=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 巨匠と崇められた芸術家の性犯罪やその疑惑が明るみに出た後、当人とその作品に対する評価をめぐって議論になった事例は、海外にもいくつもある。

 フランス映画界最大の祭典であるセザール賞では今年2月、未成年者に対して性犯罪を犯した前歴のあるロマン・ポランスキーの最新作『ジャキューズ(私は弾劾する)』が作品賞、監督賞など最多部門の候補にノミネートされ、激しい非難を浴びた。フランスの映画業界人200人余りは、仏アカデミーの改革を要求する公開書簡を発表し、セザール賞の運営陣は総辞職を宣言した。『炎の若い娘の肖像』で主演女優賞候補に上がったアデル・エネルは、監督賞がポランスキーの手に渡ると授賞式の席を蹴って会場を後にした。

養女に対する性的虐待の疑惑が持たれている映画監督ウディ・アレン=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 養女のディラン・ファローに性的虐待をしたという疑惑のある映画監督のウディ・アレンの最新作『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』は、海外だけでなく韓国国内でも話題になった。

 ハリウッドの「MeToo運動」をきっかけにウディ・アレンの過去の性的虐待疑惑が再び浮上すると、『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』の配給会社だったアマゾンは北米での公開を中止し、2020年までにアレンと映画4本を制作する契約も破棄した。出演俳優のティモシー・シャラメも「ウディ・アレンとの作業を後悔している」として出演料全額を性暴力共同対応団体に寄付した。韓国の配給会社も、ポスターにウディ・アレンの監督作品だという事実を明らかにしないまま「『ミッドナイト・イン・パリ』の製作スタッフ」とだけ表記したが、公開を控えて非難を避けることはできなかった。

 キム監督の追悼に対するいくつかの問題提起は、「作家と作品は区分すべきだ」という古い図式に疑問を投げかけると同時に、この区分の「限界」がどこにあるのかを示している。

 キム監督の死について、「たいていの死は哀悼の対象だが、ある場合にはそれがもう一つの加害になる」と述べた映画評論家のパク・ウソン氏は、ツイッターで「作家と作品」の区分は「虚構」だと主張した。

 「監督と映画は切り離すことができるという主張、監督の社会的な生き方とは別に、映画はひとえに美的基準のみで評価することができるという主張は、我々は誰なのか、我々はどこにいるのか、我々に起こったことは何なのかについて、我々皆がまったく知らないふりをすることができると確信する妄想にすぎない」

 キム監督の生前のインタビューの一部を引用して哀悼の意を表した映画評論家のチョン・ソンイル氏のツイートには、あるネットユーザー(ID:joooooooo)が「作家と作品を分離すべきだという意見を貫くことができなかったのはチョン・ソンイル氏本人ではないのか」とし、このようなコメントを残した。

 「個人的な親交と作品に対する愛情を離れて、一個人の醜悪な性犯罪に目をつぶり、まるで亡くなった巨匠を哀悼するような追悼文は、キム・ギドクの被害者に対する暴力でありえます。むしろ、キム・ギドクの醜悪な行為に面と向かう態度こそ、真の勇気であり、本当に映画を愛する態度だと思います。故人への追悼という欺瞞の下で踏みにじられた正義と倫理、被害者の人権を完全に取り戻すこと。これのない映画と芸術は全て何の役に立つというのでしょうか。芸術は決して、人より先に立つことはできません」

イム・ジェウ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/women/974162.html韓国語原文入力:2020-12-14 18:48
訳C.M

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