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キム・ギドク監督、ラトビアで新型コロナにより死亡

登録:2020-12-12 06:51 修正:2020-12-12 07:45
キム・ギドク監督/聯合ニュース

 キム・ギドク監督が、バルト3国のうちの一つであるラトビアで、新型コロナウイルス感染症により死亡した。

 ラトビアのインターネットメディア「デルファイ」は11日(現地時間)、世界的に有名な韓国の映画監督のキム・ギドク氏が、自国のある病院で新型コロナウイルス感染症により亡くなったと報道した。「デルファイ」は、現地に居住するロシアのヴィタリー・マンスキー監督とキム監督の通訳からこのような事実を確認したと明らかにした。キム監督と共同作業を行ったディレクターのキム・スンモ氏もハンギョレの通話インタビューで、「キム監督の家族からキム監督が亡くなったという知らせを伝え聞いた。現地で一緒にいた通訳が家族に死亡の知らせを伝えたという」と述べた。

 「デルファイ」によると、キム監督は11月20日、ラトビアの代表的な休養地のユールマラで住宅を購入し、滞在許可を得るためにラトビアに到着したが、5日から知人らと連絡がつかなかったことが分かった。キム監督が予定された会議に参加せず、知人らが現地の病院をうわさをたよりに訪れたが、厳格な個人情報保護政策により身元を確認するのが困難だったと同メディアは伝えた。

 キム監督はカンヌ、ベルリン、ベネチアなど世界三大映画祭で大賞を受賞した唯一の韓国人監督だ。2004年にドイツのベルリン国際映画祭では『サマリア』で銀熊賞 (監督賞)を受賞し、同年、イタリアのベネチア国際映画祭では『うつせみ』で銀獅子賞(監督賞)を受けた。また、2011年にフランスのカンヌ国際映画祭では『アリラン』で「ある視点賞」を得たのに続き、2012年にベネチア国際映画祭では『嘆きのピエタ』で最高栄誉である金獅子賞を受賞した。

 1960年、慶尚北道奉化郡(ポンファグン)で生まれたキム監督は、経済的に困難な家庭の事情で小学校卒業後に学歴としては認められない農業学校に進学した。そのため公式の最終学歴は小卒だ。彼は15歳の時からソウルの九老(クロ)工業団地と清渓川(チョンゲチョン)一帯の工場で働き、技術を学んだ。成人後は海兵隊下士官として5年間軍に服務し、その後、神学大学に入学した。30歳で突然フランスへ留学に行き、絵を勉強した彼は、映画にのめり込み、映画監督を夢見た。

 韓国に帰ってきた彼は、1995年に 『無断横断』というシナリオにより映画振興委員会シナリオ公募展で大賞を取り、映画界に足を踏み入れ、同年『鰐~ワニ~』で監督デビューをした。以後、 『悪い男』『魚と寝る女』『悪い女~青い門~』『サマリア』など主に売春と暴力に苦しむ女性と彼女を抑圧する男性の話を加えた映画を多く作った。そのために偏狭で反女性的だという批判を受けた。

 一方、韓国映画界の主流の映画人ではないという理由で、韓国国内ではあまり評価されなかったりもした。それでも、『春夏秋冬そして春』が大鐘賞と青龍映画賞で作品賞を受賞し、ベネチア映画祭で黄金獅子賞を受けた『嘆きのピエタ』が青竜映画賞の作品賞を得た。

 キム・ギドク監督は、このように韓国を代表する監督として名声を得たが、女優への暴行とMeToo加害者として議論と非難の中心になってもいた。彼は2017年、『メビウス』の撮影時に女優にベッドシーンを強要し暴行したという容疑で告訴され、罰金500万ウォン(約48万円)で略式起訴された。続いてMeToo運動の最中だった2018年3月、文化放送(MBC)の追跡番組『PD手帳』が「映画監督キム・ギドク、巨匠の素顔」編を通じて性暴行疑惑を報道し、議論になった。キム監督は俳優とMBCが虚偽の主張を基に放送し、自身の名誉を傷つけたとし、彼女らを相手に10億ウォン(約9500万円)を請求する損害賠償訴訟を起こしたが敗訴となり、先月初めに控訴した。キム監督の第68回ベルリン映画祭招待作『人間の時間』は、韓国国内での公開が無期限延期されている。

ソ・ジョンミン、チョン・ジョンユン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/973895.html韓国語原文入力:2020-12-11 22:18
訳M.S

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