「弟がまだ生きていた時間、韓国軍は救命胴衣の数を数えていました」。北朝鮮で銃殺された公務員の兄、イ・レジンさん(55)は、複雑な表情で口を開いた。27日午後、京畿道安山市(アンサンシ)の事務所で会ったイさんの後ろで、「銃撃受けた公務員の乗っていたムグンファ10号が入港」というニュースの字幕がテレビに出ていた。ムグンファ10号は、航海士出身のイさんが弟の行方不明の知らせを聞き、22日に小延坪島(ソヨンピョンド)に向かって捜索作業のために乗っていた船でもある。イさんは「南側の西海(黄海)の北方限界線(NLL)付近に最大限近づきたかったが、船が足りず行けなかった。(捜索人員を)増やしてほしいと要請したが受け入れられなかった」と言い、「日没なので撤収したら、全数調査だといって船の廊下に救命胴衣を並べた。弟が射殺される3時間前だった」と語った。そして翌日夜、メディアの記事で死亡の事実を知ったイさんは、24日朝、軍当局が「公務員の自発的な越北」という結論を下したことを聞き「呆れ果てた」と話した。イさんは遠洋漁船の船長出身である弟が「最後まで公職生活を続ける」と言って笑っていた姿を記憶している。彼は弟の名誉を守りたいと強調した。「弟が南の海を漂っていた20時間以上も行方を明かさず、越北だと性急に決めつけたことに強く抗議します」
以下はイさんとの一問一答。
-弟が行方不明になった21日以降、事件はどのように進行したのか。
「21日午後2時30~40分ごろ、弟が所属していた西海漁業団から弟が行方不明になったという電話を受けた。小延坪島に入るには2日かかると言われ、翌日の22日朝8時、船で小延坪島に入った。2時間ほど後、事故船舶(ムグンファ10号)に乗り、すぐに捜索に入った。同時に海洋警察に資料の要請もした。その日は、海軍4隻、海洋警察3隻、地方指導船2隻が出ていたと覚えている。西海の北方限界線の最近接まで行きたかったが、船が足りなかった。増員要請はしたのだが…日没までに捜索作業を終え、夕食直後の午後6時30分ごろ、海軍から全数調査が入ったとしてライフジャケット(救命胴衣)を廊下に並べた。軍幹部が確認しろと言ったという。政府は情報などを通じてすでに生きているという事実を知っていたにもかかわらず、救助の代わりにこのような全数調査をした」
-23日も捜索作業に乗り出したのか。
「朝7時1分、海洋警察の艦船から身元不明の遺体が発見されたと聞いて遺体を直接確認した。腐敗がひどく、弟ではなかった。10号の3倍ほど大きいムグンファ23号に乗り換え、捜索作業を続けた。午前7時30分から午前8時まで北朝鮮警戒所の方から「侵犯するな」との交信があった。韓国軍は詳しい説明なしに「行方不明者を捜索中だ」と短く答え、応射交信しただけだった。午前10時まで5、6回の交信があった。理解できないのは、行方不明直後、なぜ韓国軍が先に北朝鮮に行方不明に対する交信をしなかったのかということだ。交戦状態でもないのに、常識的に「韓国国民が越ていったので返してほしい」と交信できるのではないか。私が知る限りでは、22日には何の交信もなかった。そして23日夜、弟の死亡のニュースを通じて知った。そこで捜索の代わりに真偽を把握するため、24日に陸地に上がった」
-その時からAさんが自ら越北しようとして北側の海に入り、銃撃を受けて死亡したものとみられるという主張が出ていたが。
「(弟が)普段どんな性格だったかを知っているので戸惑った。私もそうだが、弟も遠洋漁船に5年乗り、船長までした。その経歴が公職任用に有利なので、8年前に公務員になった。ニュースを見ていたら、中国の違法船舶取り締まりは危険だというので、弟にそれは辞めて自分のやっている事業を手伝ってほしいと言った。すると弟は、使命感で働く生活が良いんだと言い、最後まで公職生活を続けると話した。それで、できる限り最善を尽くようにと言った。行方不明の前日には、子どもたちとも電話で話した。政府は弟の死が報道された後、あまりに性急に越北と決めつけた。船内のCCTV(監視カメラ)も故障しており、いまは弟のパソコンのハードディスクの分析に入ったが…このような問題は推定で決め込んではならないのではないか。それよりは遺体収拾と真相究明が先だと思う」
-越北の根拠として、Aさんの負債問題も取り上げられているが。
「正確には分からないが、借金が数千万ウォン(数百万円)あると聞いている。この国に借金のない国民が何人いるというのか。責任を避けるための主張としか思えない。たとえ債務関係であっても、私を含めて借金を返済できる兄が2人もいるのに、私たちがそれを無視するわけがない。私の携帯には、よく連絡するリストの一番上にはいつも弟がいた。唯一私に甘える弟で、一番愛着のあった弟だった。いくらでも助けてあげられた。弟の夫婦関係についての話も出ているが、喧嘩のない夫婦がどこにいるのか。 離婚熟慮期間だったが、弟の奥さんも今、精神的に参っている状態だ。このような問題を(越北の根拠に)追い込むのは稚拙だ。大統領も、現政府も本当に好きだった。しかし、いざ今回のことを経験してみると、弟に裏切り者のレッテルを張ることにあくせくしているという感じは隠せない。弟の名誉を無慈悲に汚す行為だ」
-他の家族はどんな状態か。
「約30年前、いとこの姉が莞島(ワンド)の警戒所で警戒兵のミスで銃で撃たれて死んだ。家族全員にとって恐ろしいトラウマだった。他の事故死より銃殺のトラウマは特に恐怖が大きく、みんなショックが大きい。弟の子ども2人も母親と一緒にいるが、ニュースでずっと父の死について「銃を乱射した、燃やした」と報道されていることをどんな気持ちで聞いているのだろうか。二人はまだ高校生と中学生だ。死を受け入れられると思うか。弟の奥さんは、私に事を大きくしないでくれと言っている。それでも私は捜索した当時、8マイルしか離れていない状態で救助を待っていたはずの弟の死を突き止めなければ、それこそ弟に罪をつくることだと思う。あきらめたくない」
-北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が25日、大きな失望感を与えたことに対して大変申し訳なく思うと謝罪した。どう見たか。
「一発だけ撃ったのなら、気持ちのつらさまだましだったかもしれない。36時間冷たい海の中で救助を待っていた弟に銃弾10発を撃ったというが…遺族として許すとしても、どう受け入れればいいのか。それでも、弟の遺体を捜して引き渡してもらうために受け入れた。 大韓民国の国民として南北関係の改善は一生の念願と希望だ。しかし、それとは別に軍や政府から遺族代表に何の連絡もないのは悲惨な現実だ。弟の奥さんに海洋水産部長官名義で『深い慰労の意を伝える』という慰労書が1枚届いたのが全部だ。事件が起きて国防部、合同参謀本部、統一部に電話をかけたが、『調べてみる』という答えばかり繰り返す。与党などは金委員長の親書一つを日照りに雨のごとく考えて利用しているのではないか。悲しく、痛々しい心情だ」。
-今後どのような要求事項を伝える予定か。
「今は遺体収拾が最優先だ。その後は、南北共同真相調査で真相究明し、誤りが明らかになれば、責任者を厳重に問責しなければならない。弟の死には国の責任があるから補償請求しようという提案も入っているが、断っている。何億ウォンの補償を受けなくてもかまわない。弟の名誉が守られることを願うばかりだ。まずは合同参謀に弟が南側の海を漂流した経緯を厳しく聞く予定だ。いっそ、弟が海を漂っていたところ韓国軍が誤って撃った銃に撃たれて死んだなら悔しさはまだましかもしれない。潮流に乗って北朝鮮軍から惨く乱射されたではないか。北側の海に移動するまで、いったい韓国軍は何をしていたのか分からない。私の弟の36時間について聞きたい。生かせることができたはずの死だった」