7月末の頃だった。当時、大統領府の高官は「医学部の定員拡大と公共医科大学の新設問題が最も難しかった。しかし、無難に進められそうで幸いだ」と述べた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者数が1日10~40人程度で安定傾向を示していた時だった。公共医療を強化しようというコンセンサスも広がっていた。
しかし、半月ほど後、光化門(クァンファムン)集会が開かれ、状況は急変した。感染者が150人を大きく超え、200、300、400人台に急増した。だれもが憂慮したが向きあいたくなかった現実、第2波だった。
静かだった一部の医師の声が急に大きくなったのは、この頃だった。専門医や専任医などを中心に、公共医療拡大政策を絶対に受け入れることができないと声を上げた。連日、感染者数が最高値に達し、救急患者があちこちの病院を回されて亡くなっても事ともしなかった。むしろ、病院の廊下の片側に医師たちが脱ぎ捨てたガウンはさらに高く積み重なっていった。感染者数が増えるほど、“校内成績1位”だった彼らの瀬戸際戦略は威力を増すようだった。すべての政策をなかったことにして、COVID-19が終わった後にでも初めから論議しようとした。「負けたことのない奴らは、本当に他人の心を知らない」という映画のせりふのように、冷酷で利己的だった。
しかし、大統領府と政府はこのいさかいに勝つことができなかった。ひそかに医師国家試験を延期し、結局、ガウンを脱いだ医師たちの要求をほとんどすべて聞きいれた。COVID-19が安定した後に医政協議体を設け、医学部の増員や公共医科大学の新設問題などを協議することにしたのだ。国内で相変わらず1日に100人を超える感染者が出て、世界的にも累積感染者数が3千万人を超えた現実で「COVID-19が安定した後」という交渉再開時点は、事実上「無期限」に近い。一部の医師は「COVID-19終息後」だとまでした。大統領府は「公共医療拡大という基調と意志には変わりはない」と抗弁したが、任期中の実現は難しくなったという評価が優勢だ。60%近い国民が医師による集団診療拒否に対して厳しい視線を送ったが、政府は退いた。COVID-19が統制不能の瀬戸際にあり、世界で認められたK-防疫が水の泡となる危機に瀕したという点を考慮しても、むなしい譲歩だった。
この夏を揺さぶった医師の集団診療拒否は、文在寅(ムン・ジェイン)政権が後半期に向かっているという点をあらわにした。力が以前には及ばないということは、昨年初めの幼稚園問題と比べればすぐにわかる。争点は当時も公共性強化だった。大統領府と政府は、私立幼稚園の不透明な運営を防ぎ、財政の透明性を高めようと、幼稚園3法の改正を推進した。韓国幼稚園総連合会(韓幼総)は、保守野党とメディアの支援の中で絶対反対をした。集団廃業と始業延期までためらわなかった。
しかし、大統領府と政府は一貫したメッセージを出した。公正取引委員会の調査や検察の捜査などで、全方位の圧迫に乗りだした。揺れることはなかった。結局、韓幼総は条件なしに闘争をやめた。政府が改革の当為と必要性を認める世論を手段にして、根気よく推進した結果だ。
大統領府の国政掌握力は、あたかも砂時計のように残った任期に比例し弱くなっていく。保守メディアが、大統領が看護師を激励した発言を奇想天外な「医師・看護師分裂」の策略に化けさせたように、小さな隙でも見せれば噛みつかれる危険もますます大きくなるだろう。少しでも言行一致にならなければ、厳しく倍返しされる可能性もさらに大きくなるはずだ。
7兆8千億ウォン(約7千億円)規模の第4次補正予算が、通信費のために通貨の困難を経ている。当初は社会的弱者階層を手厚く支援する個別型選別支援を原則に掲げたが、党と政府が、13歳以上の国民の通信費を2万ウォン(約1800円)支援するという「中途半端な例外」を挟み込んだからだ。文在寅大統領は「COVID-19のために自由な対面接触と経済活動が困難なすべての国民のための、政府の小さな慰労であり誠意」だと述べたが、多くの人々を納得させることはできなかった。大統領府と政府のメッセージが一貫性を失うと、すぐに原則の境界が曖昧になった。小さな隙は、秋夕(旧暦8月15日の節日)前のCOVID-19支援金支給という最優先目標も不透明にする。
「大きな国を治めるのは、小さな魚を煮るようなもの」という昔話が伝わる。原則と方向性を失わず、注意しながら一貫性を維持せよという意味のようだ。ただでさえ、外部からの風で揺れやすい政権後半期だ。一貫性と中心に関し、さらに考えてみるべきだ。例外を設けると物事の後押しをすることは難しい。