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「80年5月21日、光州刑務所で市民3人の遺体を埋めるのを見た」

登録:2020-05-19 21:04 修正:2020-05-20 07:01
刑務官出身の小説家ホン・インピョ氏、埋めて遺棄された遺体の疑惑を提起 
「3~4人の遺体をヘリコプターに乗せ刑務所外に出て行った」 
短編小説『五月の都市』に描写…キム・ナムジュ詩人と縁
刑務官出身の小説家ホン・インピョ氏が1日、全羅南道長興でハンギョレと会いインタビューを答えている=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 「光州(クァンジュ)刑務所内の庶務課後方で、軍人が死亡した市民を埋めているのを目撃しました」

 小説家ホン・インピョ氏(74)は今月1日、全羅南道長興(チャンフン)でハンギョレと会い、旧光州刑務所(光州市北区角化洞)で遺体を埋めて遺棄した疑惑と関連した記憶を生々しく話した。「第4監視台」で勤務していた彼は5月21日の日暮れ時、第3空輸旅団が市民1人の遺体をこっそりと埋めた場面を今も忘れられない。残りの2体も刑務所の鉄条網内に埋められた。「幌のかかったトラック2台で70~80人を荷を下ろすようにしてボコボコに殴り、“頭突き”をさせました」

 第3空輸旅団は5月21日、光州刑務所に移動し、全南大学駐屯地に拘禁していたデモ隊員を引き連れてきた。当時刑務所に埋められた3人は、この過程で窒息死した可能性が高い。

2018年12月、光州刑務所で遺棄され埋められた遺体の発掘現場=資料写真//ハンギョレ新聞社

 ホン氏は「2~3日後、遺体3~4体をヘリコプターに乗せて行くのを見た」とも話した。ホン氏は、5・18の時には外の状況のために退勤できず10日間にわたり刑務所内で生活した。ホン氏が経験した5・18当時の光州刑務所の状況は、短編小説『五月の都市』に細密画のように描写されている。

詩人キム・ナムジュ氏が、刑務所に収監されていた時に歯ブラシを鋭く尖らせ牛乳パックの内側に書いた『茶山よ茶山よ』という詩=全南大学提供//ハンギョレ新聞社

 1977年に矯正公務員になった彼は、光州刑務所で勤務し“運動圏の要人”たちと親しく過ごした。維新政権時期に収監されたパク・ソクム元国会議員は、1980年夏に再び収監され、移監されて来た詩人のキム・ナムジュ氏(1946~94)の面倒を見てほしいと頼んだ。「詩人キム・ナムジュ氏が詩を書けるようにしてくれと言いましたよ。それで『牛乳を飲めばアルミホイルが出てくる。尖ったもので書けば良い』と教えました。すると『クギが欲しい』と言うので、木工所からこっそり持ってきましたよ」

 ホン氏は、自宅の中庭に詩人キム・ナムジュ氏が書いた詩をビニールで包み隠しておいた。詩人キム・ナムジュ氏が残した詩510編のうち、360編が獄中で書かれた。

小説家ホン・インピョ氏が今月1日、全羅南道長興でハンギョレと会い、詩人キム・ナムジュ氏との縁などを話している=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 ホン・インピョ氏は、親しくなった詩人キム・ナムジュ氏に「小説を書きたい」と話した。友達のように過ごすようになった詩人キム・ナムジュ氏は、当時光州刑務所に収監されていた評論家のイム・ホニョン氏を紹介した。小説を読み習作を繰り返したホン氏は、1989年に「創作と批評社」を通じて『白い家の王』という作品で登壇した。ホン氏は「刑務所内の内密な光景を扱ったその小説が出ると、検察に呼ばれ『今後、文を書くな』と言われたので『小説を書き続ける』と言い返した」と話した。

 彼は1992年、15年勤めた職場を辞めて、マンションや大学の警備員、日雇い労働をした。昨年、小説集『花指輪』を出すなど、休む間もなく執筆をつづけ、韓国文学批評家協会文学賞(2014年)も受賞した。

キム・ナムジュ詩人=資料写真//ハンギョレ新聞社
チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/945612.html韓国語原文入力:2020-05-19 18:41
訳J.S

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