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旧光州刑務所の41人の合葬墓の上に「身元不明約40人」の遺体を発見

登録:2019-12-23 09:03 修正:2019-12-23 09:55
無縁墓地を発掘中「記録に存在しない」遺体発見 
41人であるはずの墓に、2段で80人余りを埋葬したものと確認 
遺体2体の頭蓋骨に穴…銃傷かどうか確認のため精密検査 
 
法務部、検察・警察・国防部と合同調査団を構成 
「DNAを分析し5・18行方不明者の家族情報と比較する方針」
法務部は今月20日、旧光州刑務所の無縁故者共同墓地から刑務所管理名簿にない遺骨40体を追加で発見したと明らかにした。写真は前日の作業過程で発見された遺骨を収拾し安置した箱の様子=光州/5・18負傷者会提供映像よりキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 光州(クァンジュ)広域市の旧光州刑務所跡地から、墓移葬作業の途中に「政府のどの記録にも存在しない」遺体40体あまりが大量に発掘された。無縁故者合葬墓の盛り土を開けた後、その下に埋められていたコンクリートの棺の上に40体あまりの遺体をまとめて埋めた後、再び土を盛り上げて作った「二重埋葬」の形態だった。発見された遺体の一部の頭蓋骨に穴が発見され、政府は5・18当時死体を遺棄され埋められた行方不明者かどうかを把握するため、緊急合同調査団を設置した。

 法務部は20日、「光州広域市北区文興洞(ムンフンドン)の旧光州刑務所内北東側の無縁故者墓地を改葬する途中、身元不詳の遺体40体あまりを発掘した」と明らかにした。無縁故者墓地は刑務所内で死亡した縁故のない人の墓で、光州刑務所が管理していた。今回発見された遺体は、刑務所の無縁墓の名簿にない人々であることが確認された。

 法務省などの取材を総合すると、発掘された遺体は通常の合葬墓と異なる形で埋葬されていた。盛り土の下の地中1.5メートルの深さに埋められていたコンクリートの棺には、書類上存在する正常な41人の無縁故者が埋葬されていた。しかし、そのコンクリートの棺の上に遺体40体あまりが散らばった形でさらに発掘されたのだ。この骨は地面から10センチほど下に埋まっていたが、これらの40人余りは無縁墓の名簿など法務部の記録にない人たちだった。法務部関係者は「最初に墓を開いたときに出てきた40人分の骨が記録にある人々だと思って収拾した。ところが、土を掘るとその骨の下にさらに記録にある41人分の骨が入ったコンクリート棺が現れた」と、発掘当時を説明した。彼はさらに「この墓は1971年に造成されたが、誰の骨かは分からないが71年以降に誰かが無縁故者の棺の上に40人余りの骨を追加で埋めたもの」だとし、「通常、遺体を埋めるときに棺の上に他の人の遺体を棺もなく埋めることはないという点から、ごく非常識的で緊迫した状況で埋葬がなされたものと見られる」と話した。

 法務部はこのような非常識的な埋葬が、当時刑務所など国家機関のほう助なしには不可能だったと見ている。刑務所の事情をよく知るある当局者は、「墓がある場所は、刑務所から100メートルほど入り込んだ人里離れた野山の方だが、警備が厳重な場所なので一般人は入れない所」だとし、「誰もここをむやみに掘って開くことはできない場所」だと話した。

 40体あまりの大量の「変死体」が発見されたというニュースが伝わり、法務部ではキム・オス次官が同日光州の現場を直接訪問し、状況を管理した。法務部はキム次官の主導で、警察、検察、国防部の遺体発掘団などで構成された合同調査団を立ち上げた。合同調査団は、直ちに検事の立会いのもと遺体検視を進めており、肉眼鑑定の結果、40体あまりの遺骨のうち頭蓋骨2つに穴があいた痕跡が発見された。5・18負傷者会のキム・フシク会長は「ほとんどが脱骨がひどく進み、骨だけ残っていた。損傷された頭蓋骨が多く、頭蓋骨2つには直径2センチ以上の丸い穴と長さ10センチほどの長く広がった穴があった」と伝えた。調査団は、この穴が銃傷によるものかどうかは精密検査を通じて確認する方針だ。調査団は検視が終わり次第、遺伝子(DNA)分析のため遺体を国立科学捜査研究院に送る予定だ。調査団は続いて、国科捜から採取した遺伝子情報を利用して5・18記念財団に保管された犠牲者の遺伝子と照合して確認する計画だ。

 遺体が発掘された場所は、法務部がソロモンロー(law)パークを造成中の旧光州刑務所跡地の10万6771平方メートルのうち、無縁故者共同墓地一帯だ。ここは光州刑務所が48年前に東明洞(トンミョンドン)から文興洞に移転してきた際に一緒に移され、その後、刑務所で死亡した家族のない遺体が追加で埋葬された。

 一方、5・18財団と光州広域市は慎重な立場だ。5・18財団は「2年前に刑務所の遺体遺棄推定地を発掘した時も、共同墓地は対象から外された。発掘した遺体の大半が40年前に埋められたと推定されるだけに形骸化した状態であり、遺体が遺棄され埋められたと推定される16~17体よりもはるかに多いため、予断できない。落ち着いて対応する」と伝えた。5・18財団のチョ・ジンテ常任理事は「墓を使って遺棄した死体を埋めることがあるだろうか。まず発掘現場を詳しく確認し、5・18との関連性を追求する。行方不明者はすでに遺伝子情報を保有しているので確認が可能だ」と語った。

 5・18当時、光州刑務所の内外には3空挺旅団の将校265人と兵士1261人が駐留した。彼らは同年5月21~22日、潭陽(タミャン)方面へ行く車両などに3回銃撃を加え、無実の民間人を殺傷した。5月団体は軍の記録を通じて、当時の民間人犠牲者を27~28人と推定した。しかし、5・18の直後に埋葬された状態で11体だけが発見され、16~17体は遺棄され埋められたものと分析した。これによって2017年末~2018年初めに、埋葬推定地とされる北側の塀とテニス場付近を地中探査レーダー(GPR)で確認したが、遺体を見つけることはできなかった。

 光州刑務所は1908年に東区東明洞に光州監獄として建てられ、1971年に北区文興洞に移転した。さらに2015年10月、施設が古く規模が小さいという理由で北区三角洞(サムガクドン)に再び移転した。文興洞施設は1998年に5・18史跡22号に指定され、法務部が人権と民主を基調とする公園を造成している。

ファン・チュンファ、アン・グヮノク、チェ・ウリ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/921637.html韓国語原文入力:2019-12-21 11:15
訳C.M

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