全羅南道羅州(ナジュ)出身のハ・テヨン下士(1958年生、下士は階級名)は、1980年5月、第11空輸特戦旅団の通信兵として光州にやって来た。5・18虐殺の惨状を目撃した後、第31師団の補充役に転属し、その後退役した彼は周囲に「私は人を殺していない」と言うなど、「光州トラウマ」に苛まれ、1988年に入院中だった国立羅州病院で死亡した。
「5・18が終わって体調を崩して除隊前休暇で出てきたのに、ご飯を食べながら笑ってずっと電波が聞こえると言って、目つきもすでに正常ではなかった」(2000年3月25日、ハさんの姉の陳述)
5・18民主化運動当時、市民は新軍部に対抗したが、鎮圧軍の中で命令に従わざるをえなかった「普通の軍人」たちも被害者でもある。5・18を題材にした小説に出て来る軍人のトラウマを分析した論文を書いたシム・ヨンイ博士は「個人的逸脱や性暴力などの罪を犯した者は探し出して処罰しなければならないが、命令によって投入された軍人たちは自らの意思に反して加害者になってしまった被害者だ。治癒対策を立てなければならない」と述べた。
精神疾患に苦しんだ5・18鎮圧軍が国家有功者になったケースもある。最高裁は2009年12月、第3空輸旅団の部隊員として、5・18当時に光州に投入されたキム・ドングァンさんを国家有功者として認めるべきとの判決を下した。5・18当時、不当な鎮圧作戦に抗議して上官に殴打され気を失ったこともあるキムさんは、除隊後に統合失調症との診断を受けた。キムさんは離婚などで正常な生活が不可能となり、国家有功者として認めてほしいと申請したが拒否され、訴訟を起こした。
5・18有功者たちの「外傷後ストレス障害(PTSD)」を研究してきたオ・スソン全南大学名誉教授は「命令を下した者が加害者。命令を拒否できなかった投入軍人は5・18に投入されたことや心理的苦痛を隠すなど、二重の苦痛に苛まれている。報勲病院で光州に投入された軍人のトラウマを治癒できるようにすべき」と述べた。
鎮圧軍の中の本当の加害者と被害者を区分するためには、5・18当時の日付と作戦ごとの命令発令、下達、実行の過程を具体的に調査・分析しなければならないが、実際に明らかになっている部分は少ない。西江大学現代政治研究所のクァク・ソンヨン研究員は昨年11月に開かれた5・18学術大会で「加害者を命令権者に限定するなら、全斗煥(チョン・ドゥファン)や作戦指示を下した高位幹部に対する記録で十分だろうが、その範囲を将校や兵士にまで広げるならば、現場で直接殺害を指示し、これを実行に移した者の名簿の確保が不可欠」と述べている。