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[インタビュー]当時10歳、ジェニファーの記憶…「ヘリからの射撃はっきり見聞き」

登録:2020-05-06 01:50 修正:2020-05-06 08:39
「私の家族が『5月光州の真実』を伝えられて誇らしい」 
童話で5・18体験記出版したジェニファー・ハントリー
チャールズ・ベッツ・ハントリー牧師(右)、マーサさん(左から2番目)夫妻の1974年の家族写真。末娘のジェニファー(前列右)が4歳の時で、上から3番目の息子(前列左)は韓国で迎えた養子=ハヌルマウム提供//ハンギョレ新聞社

 「5・18の真実を認めないことは独裁と闘って死んでいった人々を尊重しないことであり、愛する家族を失った人々を再び傷つけることです。いまだに5・18の真実を否定する試みがあるということに胸が痛みます。『ジェニーの屋根裏部屋』で人々が真実に耳を傾けるようになることを願います」。

 最近出版された童話『ジェニーの屋根裏部屋』(ハヌルマウム)の著者ジェニファー・ハントリーさんは光州(クァンジュ)が故郷だ。父親の故チャールズ・ベッツ・ハントリー(1936~2017、韓国名ホ・チョルソン)牧師が病院付き牧師をしていた光州キリスト病院で、1970年に生まれた。父親が韓国宣教を終えた1985年に米国に渡り、今はノースカロライナ州ダーラムでホームレス支援の非営利団体「オープンテーブル・ミニストリー」を率いている。

 『ジェニーの屋根裏部屋』には、10歳の少女ジェニファーが1980年5月に光州で経験した出来事が描かれている。2009年に米国で偶然出会った童話作家でハヌルマウム代表のイ・ファヨンさんの提案を受け、ジェニファーさんが書いた5月の体験記をイ代表が童話に仕上げた。先月30日(現地時間)、Eメールでジェニファーさんにインタビューを行った。

父親のハントリーは光州キリスト病院付き牧師
光州で生まれ、10歳の時「80年5月」
「銃弾を避けようと20人あまりが我が家の地下室で徹夜」
最近童話『ジェニーの屋根裏部屋』として出版
「ヘリコプター、自分の目ではっきり見聞き」
「全斗煥の法廷陳述は明白な嘘」

ジェニファーさんの両親、故チャールズ・ベッツ・ハントリー牧師、マーサ・ハントリーさん夫妻。父親は1980年5・18の惨状の写真をヒンツペーター記者などに渡し、母親は記事を書いて国内外のメディアに伝えた=ジェニファー・ハントリーさん提供//ハンギョレ新聞社

 父親の故ハントリー牧師は光州抗争の真実を世界に伝えるのに貢献した功労により、3年前に「5月オモニ賞」を受賞した。故人の遺志により、父親の遺骨の半分は光州楊林洞(ヤンニムドン)の宣教師墓地に葬られた。

 光州キリスト病院付きの牧師として5・18に遭遇した父親は、抗争の期間中に続々と病院に運ばれてくる戒厳軍による銃撃の被害者の悲惨な姿をカメラに収めた。これらの写真は故人の自宅地下の暗室で現像され、映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』に登場するドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター氏らの手を経て世界に伝えられた。ハントリー牧師は特に、自分が撮った死者のレントゲン写真を根拠に、戒厳軍が非人道的殺傷兵器である軟性弾(soft bullet、鉛弾)を使ったと証言している。鉛弾は人体内で粉々になり、手術では除去しにくい。ジェニファーさんの母親のマーサさんは、抗争期間に光州の真実を伝える記事を書いて、秘密裏に国内外のメディアに送りもした。

 末っ子のジェニファーさんは4人きょうだいでただ一人、抗争中ずっと両親のそばにいた。10歳の少女にとって「5月の光州」は静かで平和で美しかった日常に破裂音を響かせる苦しい時間だった。

 最も衝撃的な記憶は父親が撮った写真だったという。「父が働いていた光州キリスト病院には、銃で撃たれたり殴られたりした患者が昼夜を問わず運ばれてきました。今もその時に死んだり怪我をしたりした人、血を流す遺体の姿は忘れることができません。うちの暗室で写真を現像していた父のそばにいて、血まみれになって、歯しか識別できない写真を見て恐怖に震えました。その写真のせいで私も体の調子が悪くなったみたいで。今もその写真を見る度に、多くの若者が生活の場である光州を守るために、自由と民主主義のために闘い、罪もなく死んでいったことを考えると、胸が痛みます。そして今は民主主義が日常となっている世で生きている私たちがどれだけ運がいいかを考えます。それはまさに、民主主義のためにすべてを犠牲にした勇敢な人々のおかげだということもね」

1970年に光州で生まれたジェニファー・ハントリーさんは10歳の時、光州で直接経験した「5・18」の真実を伝えるため、童話『ジェニーの屋根裏部屋』を書いた//ハンギョレ新聞社

 父親が逮捕の危機に瀕した7人の学生を家の屋根裏にかくまった記憶も生々しい。家に彼女と避難してきた学生だけがいた時、銃を持った軍人が呼び鈴を押して両親を訪ねてきた。彼女は咄嗟にアイスティー2杯で軍人をもてなし、捜索を避けることができたという。戒厳軍による最後の鎮圧作戦の日には、銃弾が家に飛んでくることを恐れ、屋根裏部屋の学生や病院の医師の家族ら20人がジェニファーさんの家の地下室で共に夜を明かした。

「80年5月」の10歳の少女ジェニファー・ハントリーの目撃談を描いた童話『ジェニーの屋根裏部屋』の表紙=ハヌルマウム提供//ハンギョレ新聞社

 母親のマーサは昨年2月、ムン・ヒサン国会議長に、5・18を歪曲・冒涜したキム・ジンテ、イ・ジョンミョン、キム・スルレの各議員を懲戒するよう手紙を送った。この手紙に対する娘の考えを聞いた。「子を亡くした光州市民の友として、5月の目撃者として、私の母はその3人の議員が嘘をついていることをよく知っています。他の地域の人々の一部は、光州の出来事を今も信じていないと聞いています。あの時、マスコミが真実を報道できなくなると、人々は検閲された新聞に載った嘘を信じるようになりました。時として、何かを真実だと信じるためには、自ら調べようとする努力が必要です。数日前、全斗煥(チョン・ドゥファン)が法廷で、5月抗争でヘリからの射撃はなかったと供述したことを知りました。私の両目ではっきりヘリコプターを見て、私の両耳ではっきり銃声を聞きました。彼の言うことは嘘です」。

 ジェニファーさんは危険を冒した父親の行為をいつごろ完全に理解したのだろうか。「80年5月当時は幼かったので、光州で何が起こっているのかの証拠を残すことがどれほど重要か分かりませんでした。後になってようやく、光州の真実を信じた人は非常に少なかったということを知りました。大学に通い、父が撮った写真が光州の真実を伝えるのにとても役立つだろうということが分かりました。我が家に人をかくまうことがとても重要だったこともです。両親が光州市民を助けるために危険を冒したということは私の誇りです。宣教師だった両親がしたことは、究極的には神の愛を伝え、分かち合うことでした。非常に残酷な時期にも、両親が自らの使命を生き抜いたことが誇らしいです」

ハントリー一家が1969年から85年まで暮らした光州広域市楊林洞の宣教師住宅=ハヌルマウム提供//ハンギョレ新聞社

 彼女の3人の子どもは、母親が10歳で経験した出来事をどう思うだろうか。ジェニファーさんは2年前、父親の遺骨を携え、長女と末息子と共に光州を訪れた。「今年21歳の長女は高校に通っていた時、光州民主化運動に関する報告書を書いてA評価を取りました。娘は光州の出来事を初めて知って大変驚いていましたが、家族が学生たちをかくまい、写真と文章で光州の真実を世界に伝えたことを知り、非常に誇りに思ってくれました」

 ジェニファーさんの最後の回答だ。「5月の光州についての私の目撃談『ジェニーの屋根裏部屋』が、人々に、特に子供たちに、光州の真実を伝えることに役立ってくれれば、それ以上の望みはありません」。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/943674.html韓国語原文入力:2020-05-05 15:42
訳D.K

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