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再び離党選んだ「アン・チョルスの道」

登録:2020-01-30 06:31 修正:2020-01-30 07:40
「党再建の夢を諦めた」正しい未来党を離党 
ソン・ハッキュと決別…4度目の新党立ち上げに着手
アン・チョルス前議員が今月29日午前、国会で離党記者会見を行っている=キム・ギョンホ先任記者//ハンギョレ新聞社

 アン・チョルス前議員が29日、正しい未来党を離党した。自分の手で立ち上げた党を自ら飛び出したのだ。2015年の新政治民主連合の離党に続き2度目だ。彼は「党を立て直し、実用政治の道を歩むつもりだったが、もはや不可能だという結論を下した」として、離党後、新党結成の手順に入った。

 アン前議員は同日午前11時、国会で開かれた記者会見で、離党の理由をソン・ハクキュ代表の無能と独善に求めた。彼は「ソン代表の発言を見て党再建の夢を諦めた。内部統合も、革新も、国民に暮らしの希望やビジョンも示せない政党になってしまった」とし、「悲痛な気持ちで正しい未来党を離れる。得体も知れない巨大な荒波に正面から立ち向かい、飛び込もうと思う」と述べた。1年4カ月ぶりに政界に復帰した彼は27日、ソン代表と面会し、代表から退くことと非常対策委体制への転換を要求したが、ソン代表がこれを一蹴して“同伴退陣”レベルの世代交代を要求したことを受け、“早期離党”に踏み切った。

 アン前議員は30日午前、離党後最初の政治活動として、駐韓フランス大使館を訪れる計画だ。2017年、所属議員もなく大統領に当選したフランスのエマニュエル・マクロン大統領を今後の政治活動のお手本にする考えを示すものと見られる。アン前議員は2017年の大統領選挙当時にも、「既得権政党の構造を打ち破る」として、自分をマクロン大統領に喩えたことがある。

 「アン・チョルス新党」が可視化すれば、アン前議員にとっては4度目の新党結成になる。彼は2011年のソウル市長補欠選挙出馬宣言で政治活動を開始した後、大統領選挙と総選挙に二回ずつ挑戦し、新政治民主連合(2014年)や国民の党(2016年)、正しい未来党(2018年)を結党した。新政治民主連合を離党した2015年12月にも、彼は「党の中で変化と革新は不可能という結論に至った。果てしない大平原で独り立ち尽くすような気持ちだ。政権交代を実現できる政治勢力を作る」と宣言した。

 アン前議員の独自勢力構築は77日後に迫った第21代総選挙に少なからぬ影響を及ぼすものと見られる。政界の一部では、アン前議員が中道・保守統合議論に合流するという見通しも示されている。国民の党出身でアン前議員に近いムン・ビョンホ前議員とキム・ヨンファン前議員が、保守野党の統合協議体である「革新統合推進委員会」(革統委)と接触を増やしている点もこうした見通しを裏付ける。また、同じく国民の党出身のキム・グンシク慶南大学教授は、革統委委員として活動している。しかし、アン前議員側は「参加する方々の政治的所信によるものであり、アン前議員の政治的立場とは無関係」と線を引いた。

 正しい未来党のアン・チョルス派議員たちが集団離党を決行するかどうかは不透明だ。大半が比例代表議員なので、離党すれば議員職を失うためだ。アン・チョルス新党が作られても議員が一人もいない院外政党として低い順位に回された場合、「比例代表政党」として第21代国会で勢力を確保しようとする構想が実現しない恐れがある。唯一の選挙区議員のクォン・ウンヒ議員(光州光山区乙)は同日、フェイスブックに「第3地帯をどのように再び立て直せるかを熟考してから決定する」という書き込みを残した。

 正しい未来党は“共同創業主”だったユ・スンミン新しい保守党議員に続き、アン前議員まで離党し、勢いがさらに衰えるものと見られる。キム・ドンチョル正しい未来党議員はハンギョレに「アン・チョルスは去り、ソン・ハクキュ代表もリーダーシップを失ってしまった。ソン代表が退陣の決断を下せば、正しい未来党をプラットフォームに代案新党や民主平和党と大統合改革政党を作り、選挙に臨まなければならない」と述べた。

キム・ミナ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/926129.html韓国語原文入力:2020-01-29 21:28
訳H.J

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