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李姫鎬女史死去…“民主化の先達”平和への旅路を終える

登録:2019-06-11 08:38 修正:2019-06-11 09:10
故・李姫鎬金大中平和センター理事長が、大統領府時代明るく笑っている姿。故人が生前に「遺影写真」に選んでおいたとセンターの関係者が伝えた//ハンギョレ新聞社

 金大中(キム・デジュン)元大統領の夫人であり、女性運動家・民主化運動家として生涯を送った李姫鎬(イ・ヒホ)金大中平和センター理事長が、10日午後11時37分、ソウル西大門区(ソデムング)の延世大学セブランス病院で死去した。享年97歳。

 金大中平和センターの代弁人はこの日夜、「一部マスコミで肝臓がんのために闘病したと報じられたが、がんの診断を受けたことはなく、高齢による老患で亡くなった」と明らかにした。李理事長は今年に入って健康が急速に悪化した。風邪などで数回入退院を繰り返した。4月には「危篤説」が報道されたりもし、4月20日に長男のキム・ホンイル元議員が死去した時も、周りからは李理事長に息子の臨終を伝えられなかった。

 1922年、ソウルで6男2女の4番目で長女として生まれた李理事長は、1942年、梨花女子専門学校(現、梨花女子大学)文科に入学した。2年で強制的に卒業した後、解放後の1946年、ソウル大学師範大学に再び入学し、1950年に卒業した。1954年から4年間、米国テネシー州ランバス大学とスカリット大学で社会学の修士課程を卒業した。梨花女子大学講師、大韓女性キリスト教青年会連合会(YWCA)総務、韓国女性団体協議会理事などを務めた。

 故人は社会問題に目覚めた女性活動家であり、揺るがぬ信仰で艱難辛苦を乗り越えてきた宗教者だった。特に1962年に満40歳で政治家金大中と結婚した後は、夫とともに不屈の意志で人権と民主主義のために闘う闘士の人生を送った。

 故人は生前ハンギョレのインタビュー(「道を探して-李姫鎬評伝」)で、「私の良心に照らして一生を恥じることなく生きたと思います。女性運動家・民主化運動家として記憶されることを願います」と語っている。金大中元大統領との生活については、このように振り返りもした。「私たちは本当に互いに人格を尊重しました。遅く結婚し、結婚する時は多くの人たちが反対しましたが、本当に良い方に出会い、私の人生は価値があり有意義に生きたと思います」

 遺族には息子のキム・ホンオプ(元国会議員)、ホンゴル(民族和解協力汎国民協議会代表常任議長)氏と、息子の妻のユン・ヘラ、シン・ソンリョン・イム・ミギョン氏などがいる。

 葬儀は五日葬とし、弔問は11日午後2時から可能だ。安置所は延世大学セブランス病院の葬儀場特1号、出棺は14日午前6時、葬礼礼拝は午前7時に故人が生涯通った新村(シンチョン)のチャンチョン教会で行う予定。ソウル銅雀洞の国立顕忠院の金大中元大統領の墓に合葬する。

キム・ウォンチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/897362.html韓国語原文入力:2019-06-11 08:24
訳M.C

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