1980年5・18当時、米陸軍が光州(クァンジュ)市民に対して行った空輸部隊の性的暴行事実を確認し、これを米国防部に報告したという証言が出た。5・18当時、2基の衛星が朝鮮半島を精密に偵察していた状況で、北朝鮮軍特殊軍が光州に浸透したという主張は事実ではないという具体的情況も示された。
1980年5・18当時、米陸軍防諜部隊の501情報旅団光州派遣隊で軍事情報官を務めたキム・ヨンジャン氏は13日、国会議員会館で記者会見を開き、戒厳軍の性的暴行と関連し、「当時、空輸部隊によって、女性に対するセクシャル・ハラスメント(性的虐待)とバイオレンス(性暴力)が行われた」と報告したと述べた。当時、米軍もこのような事実を知っており、これを本国に報告したということだ。戒厳軍などによる性的暴行の蛮行は、昨年38年ぶりに明らかになり、政府の調査でも確認された。
キム氏はまた、5・18当時保安司令部特殊部隊員たちに直接会ったと証言した。キム氏は「別名便衣隊と呼ばれ、市民を装った私服軍人たちが5月20日、第1戦闘飛行団光州飛行場に来たという情報を入手し、直接確認した」と明らかにした。便衣隊は5・18当時、デモ隊員を装って、主導者の逮捕、宣撫工作などの業務のほか高度の工作を繰り広げた部隊だ。
当時、全斗煥(チョン・ドゥファン)保安司令官がヘリコプターに乗って光州に来たという内容の諜報が、米国防総省に報告されたという証言も出た。キム氏は「全斗煥保安司令官が5月21日昼12時を前後し、K-57(第1戦闘飛行団・光州広域市光山区松汀洞所在)に来た。これは動かぬ事実であり、こうした事実を上部に報告した」と明らかにした。5・18当時、錦南路(クムナムノ)で集団発砲が始まったのは5月21日午後1時ごろだ。全保安司令官の光州訪問の目的については、私見であることを前提に「発砲命令、いわゆる射殺命令がそこから出たと信じている」と述べた。全斗煥氏側の関係者は「全元大統領は光州事態とは何の関係もない。(キム氏の主張は)言及する価値もないものだ」と話した。
キム氏は、当時北朝鮮軍の光州投入は不可能だという根拠も示した。彼は「北朝鮮軍600人が米軍の先端監視網をくぐりぬけるのは不可能だ」と強調した。彼は「当時、朝鮮半島の上空には2基の軍事偵察衛星が偵察任務を遂行しており、高高度と低高度にある2台の衛星が特に北朝鮮と光州を集中的に偵察していた」と述べた。
キム氏は1980年5・18当時、韓国で活動した米国陸軍防諜部隊の501情報旅団光州派遣隊軍事情報官に在職していた期間中、約40件の情報を米国防総省に報告した。