全斗煥(チョン・ドゥファン、88)元大統領が、5・18民主化運動を強制鎮圧した後、5・18に連座した人の極刑処断について報告を受けたという軍の文書が見つかった。全氏が回顧録で、5・18当時の光州(クァンジュ)現場の状況は、自身と関係なく起きた事態だと主張したことに反し、5・18民主化運動の前後に自ら直接・間接的にかかわったという新たな証拠と見られる。
13日にハンギョレが確保した「合同捜査本部措置内容」という軍文書によれば、全斗煥・当時合同捜査本部長に「光州事態」の処理方向を検討し報告したという内容が含まれている。この文書には「検事2人と中央情報部捜査官2人の計4人が、光州に行き捜査状況を検討」したという文言がある。この文書の建議事項で「処罰範囲500人程度に決定」と「主要任務遂行者3~40人(30~40人を意味する表現)は極刑処断」という内容が記されている。実際、1980年10月25日の戒厳司令部1審軍事裁判では、255人の5・18関連者のうち極刑に該当する死刑(5人)の他に無期懲役(7人)、懲役(163人)、執行猶予(80人)が宣告された。
この文書は、金大中(キム・デジュン)内乱陰謀事件をねつ造したという内容を合同捜査本部に報告した情況を示している。合同捜査本部は、1979年10月27日に、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領を殺害した10・26事件を捜査するために戒厳布告令第5号により設置された機関で、情報機能を独占していた。この文書によれば、全羅南道合同捜査団は5・18を金大中内乱事件に仕立て上げるために、80年5月5日に全氏が金大中元大統領の自宅で政府転覆計画を話した後、500万ウォンを授受した内容を含ませるよう指示したという内容が含まれている。実際に、金大中元大統領が内乱陰謀疑惑を否定するために提示した莞島邑(ワンドウプ)のある旅館の80年5月29日付宿帳も、全氏が破って変造したことが分かった。
全南合同捜査団は、保安隊を中心に中央情報部・検察・陸軍犯罪捜査団・憲兵の捜査要員80人余りが抽出され構成され、5・18関連者に対して捜査した。ホ・チャンファン元505保安隊特命部長は、『卑怯な父にはなれなかった』(1998)で「捜査過程で最も気を遣ったのは、金大中氏と犯罪事実を連係させることだった。在野ではホン・ナムスン弁護士を首謀者に仕立て、学生首謀者としては全南大学の復学生チョン・ドンニョン氏に決めた」と記述した。また、この本には「軍裁判所の公判が進行される前に送検された者の刑量を、505保安部隊と軍検察および裁判所が事前に刑量を確定した」という記述も出てくる。
5・18捜査過程で、金大中元大統領を学生運動圏と内乱罪に関連づけようとしたという情況もこの文書に含まれている。全南合同捜査団の建議事項として「内乱または騒擾罪の提起有無は政策的決定。ただし光州市民は金大中が内乱の首謀者でこそ納得」という話も登場する。この文書には、5・17以前の学生などの行為を内乱共謀として確定した後、5月22日以後は騒擾も内乱と見るという内容が含まれている。
チョン・スマン元5・18遺族会長は「保安司令官のポストと、朴正煕元大統領殺害事件捜査のために設置された合同捜査本部本部長の職責まで兼任した全氏に対し、金元大統領と5・18連座者の今後の処理方向まで報告していたという証拠」と指摘した。
この文書には「光州事態の暴動参加者捜査計画報告」も、合同捜査本部長に報告したと出ている。特に新軍部の市民発砲命令を拒否したアン・ビョンハ元全南道警局長と関連して「アン氏ら主要職位者は、合同捜査本部で直接捜査せよ」という内容が含まれており、注目される。『死を越えて時代の闇を越えて』の共同著者のイ・ジェウィ氏は「12・12クーデターと5・17内乱を通じて実権者に浮上した全氏が、5・18の事後処理にも深く関与していたことを示す重要な証拠」と話した。だが全氏は、2017年4月に出した回顧録で「発砲命令は下していないことが明らかになり、虐殺者の寃罪を晴らした」と主張するなど、5・18前後の光州との関連性を否定してきた。