「あら、町内に住んでいた青年の写真があるわ!」
光州(クァンジュ)広域市に住むチュ・オクさん(60)は、2015年5月、5・18民主化運動記録館開館式で意外な写真を見つけ、思わず声を上げた。1980年の5・18民主化運動の頃、隣人たちとおにぎりを作ったアルマイトのたらいを記録館に寄贈した彼女は、記録館の壁にかかった一枚の白黒写真を見て懐かしがった。それで「キム君だわ」と独り言を言った。2014年に光州の記録作業中にチュさんに会い、この日同行したカン・サンウ監督(36)は、5・18武装市民軍の「キム君」に好奇心が芽生えた。
色あせた写真の中の市民軍は、軍服を着て強い視線で斜めから正面を見つめている。カン監督は、この市民軍の姿が写った写真の日付と場所から探り始めた。カン監督は「写真の中にある亀甲印の台所シンクの代理店などを探す方法で手がかりを追跡した」と話した。そうして、この写真を中央日報のイ・チャンソン記者が80年5月22~23日に撮ったという事実を突き止めた。キム君は、1~2日前の5月21日、戒厳軍が錦南路で市民に向けて集団発砲し数十人が死んだ後、銃を持って武装した市民軍の一人だった。
しかし、キム君は保守論客のチ・マンウォン氏によって、5・18の時に光州にきた北朝鮮特殊軍を指す「光殊(クァンス)1号」と名指しされた。カン監督はキム君の行方を追うために、市民軍の仲間たちを捜しに出た。市民軍が乗っていた軍用トラックに白いペンキで番号を書いた市民軍にも会った。市民軍だけでなく、キム君を覚えていた人々を探し、彼らの声を映像に収めた。彼らは一様にキム君の生死を心配していた。映画は、キム君が光州の鶴洞(ハクドン)の8路地の隣にあるウォンジ橋の下に住んでいた屑屋だったという事実と、生存しているかどうかを確認する。
カン監督の映画『キム君』(製作・1011フィルム)は、23日に封切られる。この作品は昨年12月、ソウルの独立映画祭で大賞を受賞した。5・18市民軍の行方を追ったドキュメンタリー追跡劇は「殺戮の現場に存在していた多くの『キム君』らを個別にクローズアップし、5・18光州民主化運動を新しい視点と違う方式で提示した」という評価を受けた。映画『キム君』のプレミアム試写会は10日夕方7時30分、CGV光州尚武店で開かれる。公式の試写会は13日、ソウルで行われる。
ソウル出身のカン監督は、映画を作る前は光州を全く知らなかった。彼にとって5・18は「はく製にされた民主化運動」であるだけだった。そして「前世代たちの鬱憤に満ちた5・18の叙事をちゃんと理解するのが難しかったのも事実」だ。カン監督は7日、「映画を製作しながら、そのような考えがひっくり返った」と話した。「市民軍だった“先生”たちの中には、苦しい生活をしている人が多く、胸が痛んだ。ところが、光州の外ではいまだに暴徒というレッテルを貼る視線があるのではないか。市民軍たちの声を借りて、私のような若い世代が5・18を身近に思えるようにしたかった」