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[ルポ]イエメン難民と「共に生きる」済州島民たち…ハラルフードの寄付も

登録:2018-06-21 05:43 修正:2018-06-21 16:39
泊まるところ提供し韓国語・文化教室開く 
食料品や生活必需品の寄付など相次ぐボランティア活動 
「済州が経験した4・3の苦しみと難民の状況は似ている 
近くで見たイエメン人は礼儀正しい人たち 
憐憫でも嫌悪でもなく、共存すべき対象です」
一週間以上ににわたり、イエメン人約10人が滞在している済州島民ハさんの練習室=ハさん提供//ハンギョレ新聞社

 内戦から逃げ、済州島に来た約500人のイエメン人は、韓国社会に投げかけられた大きな問題であり、これまで解いたことのない難しい“宿題”となった。彼らの定住が始まるにつれ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では難民を追放すべきという主張が拡散し、極端なイスラムフォビアも広がりを見せている。一方、イエメン人たちを静かに受け入れ、泊まるところを提供したり、文化の橋を架けるなど“共存”の芽を吹かせる市民もいる。彼らは、匿名の空間から噴出する“嫌悪”の根拠を低い声で追及した。

 国楽を専攻したハ・ジョンヨンさん(仮名・38)は、済州市の出入国管理所近くにある自分の練習室を、行き場のないイエメン人たちに一週間以上提供している。19日にハンギョレが60坪余りのハさんの練習室を訪れた際も、イエメン人約10人が集まって話をしたり、布団を敷いて横になっていた。壁一面にはハさんの装備が整理されており、いたるところに食パンや牛乳、ティッシュのような食料品や生活必需品が積まれていた。政府や地方自治団体が支援したものではなかった。ハさんと彼女の知人たちの気持ちだけで作られた穏やかな“憩いの場”だった。

 ハさんが自分の空間をイエメン人に譲るようになったきっかけは単純なものだった。「偶然、フェイスブックで済州島に来たイエメン難民たちが寝る場所がないという書き込みを見ました。私はイエメンがどこにあるのかも知りませんでしたが、泊まるところがないという話を聞いて『私の練習室が空いているのに』と思い出しただけです」

 ハさんがフェイスブックの書き込みを見た日はあいにくの雨だった。「雨が降ってイエメン人がさらにつらいようでした。難民を支援する団体に連絡し、ちょうど私の練習室が空いているけど、それでいいかと訊きました。「屋根があればそれでいい」と聞いて、ハさんはすぐその場でイエメン人約10人に練習室に提供した。家にあった布団を持ってきて臨時の避難所を作った。「雨宿りさせるつもりで始めました」とハさんが笑顔で話した。

ハさんの知人たちがイエメン人のための「韓国語教室」を開いた=ハさん提供//ハンギョレ新聞社

 事情を聞いた知人たちが次々と支援に乗り出した。「知人たちにイエメン難民たちが練習室で過ごしているが、布団や食糧、生活必需品が足りないと助けを求めました。周辺に芸術をする友達が多いが、確かに感性的アプローチには弱いんですよ(笑)」。ハさんは周辺の知人らと難民を助けるカトリック信者たちが1日に10人以上練習室を訪れ、生活必需品や食料品を置いて行くと伝えた。夕方には知人たちと共にイエメン人のための「韓国語教室」も開く。今月14日、済州出入国・外国人庁が開いた就職説明会を控え、美容師の知人が訪ねてきた。 「どうせなら、清潔な印象の方が有利ではないか」と言いながら、難民申請者たちの髪を切ってくれた。同日、記者がハさんの練習室でインタビューする間にも、彼女の知人2人が済州東門市場外国人商店でインディカ米10キロとハラルのマークが印刷されたコーヒーと食パンを持ってハさんの練習室を訪れた。イスラム教徒が多いイエメン人の宗教的特殊性と粘り気のあるジャポニカ米に慣れていない食習慣まで考慮した配慮だった。

ハさんの知人らが寄付してくれた食料品=イム・ジェウ記者//ハンギョレ新聞社

 文化人類学が専門で、済州「ハルマン」(「おばあさん」の済州方言)をインタビューしてきたチョン・スヨンさん(仮名・38)も毎日練習室を訪れる知人の一人だ。大学時代にインドネシア地域を研究し、イスラム文化に慣れているチョンさんは、ハさんにイスラム文化を、イエメン人には韓国の文化を伝える“架け橋”の役割を果たしている。チョンさんは「イエメン人たちに韓国の文化を教えています。例えば、『きれいです』のような言葉は誉め言葉だが、場合によっては失礼に当たるということを教えたりします」と話した。

 チョンさんは、イエメン人らに会う度、「済州ハルマン」を思い浮かべる。「ハルマンたちなら、イエメン人にどのように接しただろうかと考えることがあります。彼女らは『日帝末期の過酷な時代にも、お腹をすかせた若い日本兵士に、密かにゆでたじゃがいもを渡した』と言っていました。同じ人間としてできることをやっているだけです。彼女らが経験した4・3の残酷な経験も、内戦に追い込まれた難民の立場とあまり変わりません」

 イエメンから来た難民申請者たちと身近に過ごしている彼らは、イエメン人たちに対するイスラムフォビアが理解できないと話した。「人間の欲求を表すことを恥じるのがイスラムの文化です。イスラムの文化ではたとえ腹が減っていても、助けを求めることすら恥ずかしく思います。そんな人たちがプライドを捨て、『今、本当にあなたの助けが必要です』と切実にお願いしているような状況なのです」。チョンさんの声が少し高まった。ハさんも「近くで見てきたイエメン人は本当に礼儀正し人たちでした。ご飯を食べる時も私が食事をする前まではじっと待っていました」と相づちを打った。

 就職のため練習室を出た人がもう10人を超えた。船に乗るため発つ前、ハさんが別れのあいさつをすると、「お姉さんありがとう」と言いながら、体を震わせたイエメン人もいたという。韓国という不慣れな土地で、やっとのことで見つけた温情を後にし、再び新しい所に旅立つのが不安だっただろうと、ハさんは推測した。「『あなたたちの勇気を尊重する。きっといい日が来るだろう。私もお祈りする』と声をかけました。私にできるのはそれしかありません」

 ハさんはしばらく練習室をイエメン人に提供する計画だ。「空いている空間があるから貸しているだけで、計画的に進めたわけではありません」。自分がすごいことをしているわけではないというハさんは、しかし、これだけは言いたいと語った。「仕方なくここまで来た人たちだが、彼らが済州で滞在しながら、私たちについて学んでいるように、私たちも彼らと生活しながら、彼らについて学ばなければならないと思います。マスコミはイエメン難民を単に憐れみの対象にあるいは嫌悪の対象にしないでほしいです」

済州/イム・ジェウ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/849844.html韓国語原文入力:2018-06-20 20:19
訳H.J

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