北朝鮮の咸鏡北道吉州郡豊渓里(プンゲリ)にある「北部核実験場の廃棄式典」が24日に実行された。北朝鮮が先月20日、労働党中央委員会第7期3回全員会議で「経済建設に総力集中」という新しい戦略路線を採択し、「北部の核実験場(豊渓里核実験場)の廃棄」を明らかにしてから34日後のことだ。核実験場の爆破が行われた同日午前11時~午後4時頃、豊渓里は晴れて26度程度の気温が維持されており、気象条件も適切だったものとみられる。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が「完全な非核化」に向けた初の可視的な実践措置を先制的に断行したこの日、ドナルド・トランプ米大統領は「6・12シンガポール朝米首脳会談」を電撃的に取りやめにした。最近の「韓米合同軍事演習」と「非核化策」などをめぐり高まっていた朝米間の神経戦が、ついに会談の取り消しにつながったのだ。
地球上で稼動中の最後の核実験場と言われる豊渓里が歴史の裏に消えたことで、北朝鮮の核実験場の廃棄方式にも関心が集まっている。北側は今月12日「外務省公報」を通じておおよその計画をすでに公開した。核実験場のすべての坑道を爆破で「崩落」させ、坑道の入り口を完全閉鎖した後、すべての地上観測設備や研究所、警備区分隊の構造物を逐次撤去する手順である。また、核実験場の廃棄と同時に、警備人員と研究員らを現場から撤収させ、周辺を完全に閉鎖すると公言した。これに先立ち、米国の北朝鮮専門メディア「38ノース」が公開した商業衛星写真によると、北側は23日以前から一部の施設の撤去を開始したものと見られる。
「廃棄式典」の核心は、坑道の入り口と内部に爆薬を設置し完全に崩壊させるということだ。実際、核実験場の廃棄は予告どおり坑道や観測所、鍛冶場、生活の建物、幕舎(軍の建物)などを順に爆破する方法で進めた。「リア・ノーボスチ通信」は同日、現場に出たカン・ギョンホ北朝鮮核兵器研究所副所長が取材陣に「(核実験場の廃棄の)最後の手順は、すべての職員の完全な撤収と核実験場を取り巻く地域の最終的な閉鎖になるだろう」とし、「近いうちにこのような措置が取られるだろう」と説明したと報じた。
2006年10月の最初の核実験以来、昨年9月まで計6回の核実験が行われた豊渓里核実験場には坑道が4つがあり、吉州郡市内から42キロメートル離れた萬塔山(マンタプサン、海抜2205メートル)渓谷にある。1回目の核実験は1番坑道(1回目の核実験後に閉鎖)、2~6回目の核実験は2番坑道で行われた。
注目すべきなのは3・4番坑道も同日全て爆破されたという点だ。2012年3月に完成した南の3番坑道は最近まで維持・管理されていたと見られ、4~5回目の核実験当時、掘削工事が中断した4番坑道は昨年10月から工事を再開したという。一部では、豊渓里核実験場が「核実験によって崩壊し、無用の長物」と主張しているが、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は4・27板門店(パンムンジョム)首脳会談で、文在寅(ムン・ジェイン)大統領に「既存の実験施設よりさらに大きな2つの坑道があり、これらは健在だ」と述べたと大統領府が伝えた。この分野に詳しいイ・チュングン科学技術政策研究院先任研究委員は「一度も使っていない3・4番坑道の爆破の有無とその程度(完全な廃棄か否か)にかかっている」と指摘した。
同日、北朝鮮核兵器研究所が「廃棄式典」後に発表した声明でも、北側は「3・4番坑道爆破の確認」に重きを置いた。声明は「核実験場の2つの坑道が、任意の時刻に威力の大きい地下核実験を円満に進められる利用可能な水準にあったというのが、国内外の記者団によって確認された」と明らかにした。これは3・4番坑道廃棄を通じて北側の自発的な非核化措置を強調したものと見られる。
豊渓里核実験場の廃棄と比肩される事例としては、2000年7月のカザフスタンのセミパラチンスク核実験場の廃棄過程が挙げられる。ソ連崩壊後の1993年、米国と核廃棄協定を結んだカザフスタンは、米国防脅威削減局の支援を受け、セミパラチンスク核実験場で各種の実験とともに爆破作業を行った。ソ連時代の核実験が209回行われた181の坑道の爆破には100トンの爆薬が使用されたという。