5・18当時、戒厳軍の無差別射撃で犠牲になった光州(クァンジュ)地域の小・中・高生たちの行跡が再び照明を浴びている。
光州市教育庁は16日、「80年5・18民主化運動の時に犠牲になった光州地域の学生(生徒)烈士は、大東高校、東成高校、松源高校、全南女子商業高校、松源女子商業高校など16校18人にのぼる。彼らの崇高な犠牲を追悼する行事が学校別に行われている」と明らかにした。市教育庁幹部も15日、国立5・18民主墓地にある学生烈士の墓地を訪れ、個別に献花した。
生徒たちの犠牲は、全羅南道庁前の集団発砲があった21日に集中した。この日、無等中学のキム・ワンボン、全南女子商業高(当時はチュンテ女子商業高)のパク・クムヒ、崇義中のパク・チャングォン、大東高のチョン・ヨンジン、東成高(当時は光州商業高)のイ・ソングィ、松源高のキム・ギウンの6人が銃傷で亡くなった。特にパク・クムヒさんは、この日負傷者が多く血液が足りないというニュースを聞き、光州基督病院で献血を終えて出てきたところをヘリコプター射撃に撃たれ倒れた。
23日、池元洞周南(チュナム)村の民間人虐殺では、松源女子商業高のパク・ヒョンスクさんと光州一高のファン・ホゴル君が頭と腹部を銃で撃たれ亡くなった。二人の高校生は全羅南道庁地下室で死体の収拾を手伝い、棺が足りなかったため、バスに乗って全羅南道和順(ファスン)に棺を求めに行く時に集中射撃を受けた。
27日、戒厳軍の全羅南道庁進入に対抗した東成高のムン・ジェハク君は、銃弾に首と腹部を貫かれて死亡した。全羅南道庁で負傷者の移送と死亡者の収拾に参加した朝鮮大学付属高のパク・ソンヨン君と東成高のアン・ジョンピル君も戒厳軍の射撃で短い命を終えた。
市教育庁は「戒厳軍の非人道的な行為で罪のない生徒たちが花も咲かせられずに亡くなった。学生烈士の母校では5・18期間に追悼式と追悼祭を開き、先輩たちの精神を賛えている」と伝えた。