本文に移動

光州抗争「戒厳軍の性暴力」被害女性たち、なぜ話せなかったのか

登録:2018-05-11 08:44 修正:2018-05-12 08:17
戒厳軍が羞恥心与え、国家暴力を隠蔽 
家族も犯罪被害を羞恥と思い 
二重三重の苦しみでむごい痛みにも沈黙 
聴聞会での証言、「なぜ出歩くのか」批判も
男性中心の闘争で「5月光州」の女性たちはこれまで抗争に対する貢献だけでなく、被害規模もかなりの部分が隠されてきた。1980年5・18光州民主化運動当時、車両の上で街頭放送をしている姿//ハンギョレ新聞社

 「今更の話だ。私たちがこれまで言わなかったわけがない。全体闘争が重要だというから、私たちの話ばかりを掲げられなかったんだ」。5月民主女性会のユン・チョンジャ副会長は「なぜこれまで女性たちの被害を話さなかったのか」と尋ねると、こう言い切った。

 1980年5月、光州(クァンジュ)で戒厳軍によって集団性的暴行を受けた人はAさんだけではなかった。光州市民団体では集団性的暴行を受けた後、自殺したKさんの話が知られている。しかし、AさんやKさんの家族はみな取材をかたくなに拒否した。その他、別の性暴力被害女性たちも、家族の反対でインタビューできなかった。

 1990年、5・18が起きてから10年後に学者や法律家、市民団体の活動家らで構成された5月女性会は、光州抗争の時の女性被害者たちの事例を集め始めた。この時に出た本『光州民衆抗争と女性』には、光州抗争による肉体的・心理的な被害と後遺症、被害者たちの口を塞ぐ家庭と社会の抑圧が赤裸々に描写されている。

 戒厳軍人らの暴発で頭に銃傷を負った女性のHさんの場合、夫は最初は傷ついた妻を世話するために努力したが、時間が経つにつれ怒りを抑えきれず、妻を殴り始めた。光州抗争のときに銃剣で刺され負傷を負ったKさんは、無職の家長に代わり労働しながらも自分の苦痛を訴える場所がなかった。光州聴聞会で当時の状況を証言したある女性は、家族から「家庭の主婦は家事をしていればよいものを、なんで出歩くんだ」と非難を受けなければならなかった。女性の犯罪被害事実を「一家の恥」と考える雰囲気の中で、1980年5月に起きた性暴力被害を公開することは極めて難しいことだった。そのため、今まで5・18有功者・被害者として補償を受けた女性は300人あまりだが、実際の被害女性はもっと多いものと推測される。

 10年前に光州被害女性らの事例を記録した光州北区女性人力開発センターのイ・チュンヒ館長は「性暴力を受けたものと推測される被害者たちもいたが、根掘り葉掘り聞くことができなかった。当時、韓国社会では性暴力被害を明らかにすればもっと大きな被害を受けたはずだから」と話した。一緒に参加した全南大学のイ・ギョンスン名誉教授も「光州民主化抗争で女性の役割が過小評価されたことと同様に、被害事実も縮小されてきた。女性に純潔を強要する社会が、女性の被害者たちを5・18の周辺人にした」と話した。

 専門家たちは、女性に対する国家暴力が隠蔽されてきた過程は、光州民主抗争と済州(チェジュ)4・3事件、日本軍慰安婦被害者問題と大きく変わらないと口をそろえる。ペク・ヒジョン光州ナビ代表は「何よりも性暴力被害者の証言の具体性と被害程度を重要な根拠としなければならない。しかし事実上、国家が犯した性暴力についても、いつ、どこで、誰にそのようなことをされたのか被害女性たちに立証しろという。光州の女性被害者たちも、そのような多くの2次被害を受けたであろう。性暴力被害者は安全だと判断できなければ口を開かない。女性に対する暴力を別途に調査する特別調査委員会が必要だ」と主張した。

ナム・ウンジュ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/843989.html韓国語原文入力:2018-05-10 09:32
訳M.C(1624字)

関連記事