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「釈放の前日、捜査官に性暴行された」38年後に吐露した5月光州のMeToo

登録:2018-05-08 08:55 修正:2018-05-08 12:05
全南道庁の案内放送のキム・ソノクさん  
65日間の暴行・拷問、性暴行まで 
「私の人生は5・18の時に止まってしまった」
1980年5・18民主化運動の時、抗争の真っ只中に飛び込んだキム・ソノクさんが4日、ソウルのあるカフェで38年前の傷について話している=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 「どうして?お母さん、まだ全部言ってないの?」

 娘にもそのことだけは隠しておきたかった。それでもインタビューに反対する娘を説得しなければならなかった。とても言葉では言えず、手紙を書いて見せた。「私を車に乗せて外に出てご飯を食べさせた後、私を連れて旅館に行きました。私はその時抵抗することができませんでした。23歳の私を、その捜査官が踏みにじって…」。娘が涙を浮かべて母をぎゅっと抱きしめた。

 5・18民主有功者のキム・ソノクさん(60)は4日、ソウルのあるカフェで会い、前日に娘(37)と交わした話を切り出した。彼女は「数日前、女性検事がMeToo(ミートゥー)で告白して、38年ぶりに私も勇気を出した」と、これまで胸に秘めていた話を淡々と打ち明けた。

 1980年の5・18民主化運動の時、キムさんは運動圏の学生ではなかった。全南大学音楽教育科4年生だったキムさんは、5月21日に本を買いに市内に出て、学生収拾対策委員会を担当し、道庁に入った。状況室で通行証、油類補給証、夜間通行証、武器の回収などの業務や案内放送を行う役割をした。

1980年5・18民主化運動の時の民主運動家らを監禁し拷問した元尚武台営倉は、昔の姿どおりに再現されている=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 戒厳軍が光州(クァンジュ)武力鎮圧を開始した5月27日午前3時。キムさんは市民軍の拠点だった元全羅南道道庁から出てきた。しばらく身を隠し、昌平中学校で教育実習をしたキムさんは、その年の7月3日、戒厳司令部合同捜査本部の捜査官らによって学校から元光州尚武台(陸軍軍事教育施設)の営倉に連行された。「行ってみたら『女の大将を連れて来たな。きれいな顔してるな。デモなどしないような顔した奴が。おい、お前、もう無期懲役だぞ』と言ったんです」

 暴行と拷問の始まりだった。「最初は入るなり足で踏みしだいて、ひどく殴りました。額のここにぼこっと窪んだところがありますが、その時机の角にぶつかった跡です。血がどくどく流れ、気を失うほど殴られました」

 暴行と拷問で綴られた調査が終わる頃の9月4日、少佐の階級をつけ係長と呼ばれていたその捜査官は、キムさんを外に連れ出した。そして一杯のピビンパを食べさせた。久しぶりに見た日差しが眩しかった日、キムさんは近くの旅館に連れて行かれ、白昼にその捜査官にレイプされた。「その前に死ぬほど殴られたことよりも、私が抵抗できずにやられたという事実のせいで、これまで悲惨でした。自尊心と言葉にできない羞恥心…」。9月5日まで65日間拘禁されたキムさんは、起訴猶予で釈放された。

 キムさんはその事件以来、人生が粉々になった。さまよっていた時期に出会った男との間に娘を妊娠した。睡眠剤を飲んで自殺を試みたりもした。キムさんの母はショックを受け、急性肝臓癌で死亡し、小学校の教師だった父も教職から追い出された。「身近な人たちをすべて失ってしまい、誰にも会えなくなったんです」。1981年の冬、初雪が降る日に一人で娘を産んだ。教育庁に陳情書を出し、1983年に中学校音楽教師の発令を受けた。5・18の「5」の字も出さず、隠れて暮らした。娘だけが人生のすべてだった。

光州市西区治坪洞の自由公園敷地にあった尚武台営倉の元の様子=5・18記念財団ホームページ画面キャプチャー//ハンギョレ新聞社

 その後、ガンにかかった。2001年に乳ガンの手術を受けた。おそらく胸に秘めた悲しみのために生じた病気だろうと彼女は思った。その時初めてある大学の後輩に5・18の補償の話を聞いた。その後輩が持ってきた5・18民主有功者補償申請書にこう書いた。「私の人生を補償するですって?いくらくれるんですか?何で、どうやって私の人生を補償するんですか?何を?」。補償金として2000万ウォンを受け取った。空しかった。2010年10月、娘が結婚した後、翌年3月に学校を辞めた。その後、初めて国立5・18民主墓地を訪れ、涙を流した。

 キムさんにとって5・18は現在形だ。「ときどき私一人が遠いところにいるように感じます。夜もよく眠れない。人との関係もうまくできない。人は結婚して、夫の実家で夫とああだこうだと言いますが、私は5・18で止まってしまいました。その後、娘を育てるためにあくせく暮らしたことしかない。話すことはありません」。キムさんは「今でも軍人の出る映画は見られません。全斗煥(チョン・ドゥファン)がテレビに出るのを見て『あいつ、長生きするわ』と言うと、娘が笑うんです」

80年5・18の時、軍人が市民を殴打する様子=5・18記念財団ホームページ画面キャプチャー//ハンギョレ新聞社

 キムさんの話は、10日から光州市西区治坪洞(チピョンドン)の自由公園内で開かれる「5・18営倉特別展」で公開される。23の光州の傷痕を込めた部屋のうち、10番目の「真実の部屋」に「崩れた23歳の夢」というタイトルでこれまでの人生を露にすることに同意した。この部屋に入ると、片方の壁全面の花と黄色い蝶が目に入る。キムさんが受けた苦痛と偏見から脱し、自由に飛ぶことはできるだろうか。キムさんは「数カ月前、『MeToo』の告白を見て、あの悪い奴を殺したかった」と言い、遠くの空を眺めた。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/843649.html韓国語原文入力:2018-05-08 05:01
訳M.C

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