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[済州4・3事件ー70周年企画 5] 4・3、70年を越えて

登録:2018-04-04 08:55 修正:2018-04-04 09:17
「洞窟の中で避難を演技しながら
ひいおじいさんの苦痛をかみしめた」

希望昇華させる「4・3教育」
済州女子高校の生徒たちの主導で
焼香所作り、白碑に書き込み…
大静高のサークルの生徒らも
4・3を扱った短編映画を作り
平和・人権の大切さを刻む

今月2日昼、済州市済州女子高校の生徒たちが昼食時間を利用して学校に設置された4・3追悼焼香所で焼香している//ハンギョレ新聞社

 2日昼、済州市済州女子高等学校の体育館の前には昼食を終えた生徒たちが三々五々テントの焼香所を訪れた。済州4・3 70周年を迎え、学校が自主的に「4・3追悼焼香所」を設置した。テントの中には「4・3の説明」と「4・3文学館」が生徒たちの手で作られ、「白碑」も設置された。

 同校の「4・3追念日推進委員会」所属の1年生たちは、前日の1日、日曜日にも学校に出て教師たちとともに木にペンキを塗るなどして「白碑」を作った。キム・ヒョンジュさん(17)は「4・3をもっと深く知るために参加するようになった。活動に参加し、さらに平和と人権が重要だと考えるようになった」と話した。隣りにいたキム・インへさん(17)も「4・3平和公園に行ったことがある。おじいさんが中山間村で暮していたが、4・3の時に海岸村に疎開したという話を父から聞いた」とした。カン・ウンジンさん(17)も「4・3の時、多くの済州島民が犠牲になったという事実を知った。済州島に住む私たちがまず4・3を知らなければ」と話した。

 生徒たちと一緒にペンキ塗りをしていた教師のソン・ヒョンイルさん(34)は「生徒たちが4・3を実際に見て感じられるようにしようという趣旨で、焼香所と白碑を設置することになった。1年生を対象に4・3推進委員会20人を募集したが、60人も志願するほど関心が多かった」と話した。

 済州女子高校の4・3追悼行事は格別だ。4・3当時、島内の多くの生徒が被害を受けたが、特に済州高女(済州女子高の前身)の生徒たちの被害が大きかった。済州女子高は2・3日の両日、学校の体育館の前に焼香所を設置して「白碑」に生徒たちが考える4・3の意味を直接書くという活動をしている。1年生部長教師のキム・ギボムさん(42)は「学校生活の日常で4・3を考え、意味を探してみるのが目的だ。小さな焼香所だが、生徒が自ら推進委員会を構成して、自己主導的に企画して運営していることに意味がある」と話した。同校教頭のチン・スンヒョさんは「3、4月は4・3の追悼行事がいくつか行われている。3月には全校生徒が4・3関連本を読み、4月には焼香所設置と4・3映画鑑賞と討論会が予定されている。また、5つの連合サークルが4・3遺跡地などの紀行をして、4月の最後の週までには4・3ハガキを製作する予定だ」と話した。

今月2日昼、済州市済州女子高校の生徒たちが学校に設置された焼香所で「白碑」に入る文言を書いて下げている//ハンギョレ新聞社
今月2日昼、済州市済州女子高校の生徒たちが昼食時間を利用して学校に設置された4・3追悼焼香所で焼香している//ハンギョレ新聞社

■4・3教育現場

西帰浦市(ソギポシ)大静邑(テジョンウプ)地域も4・3当時の被害が大きかったところだ。この地域の大静高等学校の自主サークル「4・3を記憶して」所属の生徒たちは、4・3を扱った20分の短編映画『4月の椿』を作った。

 同校教師のカン・イクチュンさん(30)は、昨年1、2年生を中心に光州(クァンジュ)と巨済島などダークツーリズムの現場を訪問し、済州島で適用案を構想するようになった。カン先生は「4・3といえば人がたくさん死んだというが、犠牲者の苦痛がどれほど大きいか、そして4・3がどのように展開され、進行し、今はどうしているのか、未来にはどうするのかを考えなければならない。4・3の展開過程を生徒たちに理解してもらいたい。4・3が過去の歴史に留まるのではなく、生きていく場所の平和と人権の大切さを知り忘れない実践運動にならなければ」と付け加えた。

 カン・スボム君(18)は「サークルの会員10人のうち9人が寮生活をしていて、サークルの会員同士で夜を徹して議論しながらシナリオを直接書いて映画を作った」と話した。サークルの会員10人が俳優やスタッフとして参加し、近隣の大静女子高と大静中、大静小学校まで交渉し、計25人が映画製作に参加した。サークルの部長である2年生のイ・ジョンチャン君(18)は「最初はUCC(使用者製作コンテンツ)の製作を考え、演劇になり、その次に映画製作まで発展し、議論を膨らませた」と話した。

 映画は4・3の時、住民たちの避難所だったクンノルクェと予備検束の虐殺場だったソッアルオルム、百祖一孫之墓、城邑民俗村、学校前などで撮影された。家でジャガイモばかり食べていた主人公のソクミンが、これに不満を抱いて家出するが、焦土化の時期に遭って洞窟の中に避難し、その中で隣人が渡してくれたジャガイモを食べながら泣く。続いて彼らとも別れて海辺村に渡り、朝鮮戦争の時に予備検束されソッアルオルムで死を迎えるというのが映画の内容だ。主人公の役割をしたイ・ソクミン君(18)は「ひいおじいさんが4・3の時に亡くなった。幼い時から家の中で4・3の話を聞いていたので自然に関心を持っていた。映画を作りながら、どんな風に苦痛を受けたのだろうか、その時の心情はどうだったのだろうかと考えた。洞窟の中で演技をした時は、わざと唐辛子の煙を洞窟の中で焚いて涙を流した」と笑った。

 これらの学校以外にも、済州市の涯月高校美術デザイン班の生徒たちは4・3バッジを製作するなど、済州島内の小・中・高校は自主的に4・3本の読書や椿の花のバッジ、Tシャツの製作、4・3平和公園および遺跡地の訪問など多様な4・3関連の体験活動を行っている。

 済州4・3の真実を知らせ教訓を得るための未来世代の4・3教育は、70年を迎えた4・3の主要な課題の一つだ。済州道教育庁は先月19日から今月8日までを「4・3教育週間」に定めて運営している。イ・ソクムン済州道教育監は「美しい済州の光景の中に刻まれた各地のたくさんの傷がふさがるようにすることは、私たちの時代の役目だ。4・3を70年前の歴史で終わらせるのではなく、生きている現在であり希望の未来に昇華させなければならず、その中心に4・3平和人権教育がある」と話すほど、4・3教育に力を入れている。

西帰浦市大静邑の大静高等学校自主サークル「4・3を記憶して」の会員たちが学校の前の日帝強制占領期の軍事施設の前でカン・イクチュン指導教師から4・3の話を聞いている//ハンギョレ新聞社

解決しなければならない課題  
国会の被害者賠償法を通過させて  
後遺障害生存者をまずケアすべき 
教皇、4・3の追悼式にメッセージ  
「治癒と和解の精神が根を下ろすように」

■残された課題

済州4・3が起こって70年になった。1948年に10歳だった済州島民は、もう80歳になった。1987年6月抗争後に禁止された歴史の掛け金も少しずつ外されていった。だが、依然として解決しなければならない課題も多い。2万5千~3万人と推定される犠牲者の追加の真相究明、拷問と連座制による被害の追及、当時収監生活をしたいわゆる「4・3受刑者」の“形式的”裁判、村や物的な破壊の真相究明、米国の直接・間接的な介入調査なども必要だ。被害者賠償・補償、正当な手続きを踏まなかった軍事裁判の無効化、受刑者の名誉回復などの内容が盛り込まれた済州4・3事件真相究明および犠牲者名誉回復に関する特別法改正案は国会に係留中だ。

 済州4・3犠牲者遺族会は、被害者賠償・補償をまず解決すべき課題に挙げている。被害者賠償・補償は文在寅(ムン・ジェイン)大統領が候補時代に掲げた済州地域の大統領選挙の公約であった。他の候補たちも賠償・補償を約束したことがある。

 延世大学のパク・ミョンリム教授は「賠償・補償が最も重要な問題だ。国家が国家暴力について謝罪したにもかかわらず事後措置がないのは矛盾だ。文在寅(ムン・ジェイン)政府の民主政府3期としての最も重要な積弊清算は、公権力の誤用・乱用で生じた問題だ。4・3犠牲者らに対する賠償・補償は文在寅政府の義務だと思う」と話した。キム・ジョンミン元済州4・3委員会専門委員も「真相究明と名誉回復がある程度実現した時点で、正義具現の最後の順番は被害賠償だ」と話した。

 カトリック済州教区のカン・ウイル主教は「4・3を単に韓国現代史の片隅で起きた一時的な悲劇と見て、それに対する是非を論じて社会的な責任究明をするにとどまっていては足りない。70年がたって責任者の司法処理と処罰まで行くことはできないとしても、真の過去の傷の治癒と解決のためには真実を隠さずに正しく明らかにし、原因、過程と責任を必ず究明しなければならない。そうでなければ根本的な治療にならない」と強調した。

済州市奉蓋洞の済州4・3平和公園内の行方不明者の石碑にカラスが集まっている//ハンギョレ新聞社

 済州4・3の未来を人権から始めなければならないという声もある。高麗大学政治外交学科のキム・ホンジュン教授は「4・3の真実には4・3事件そのものと虐殺だけでなく、70年間の政府の激しい弾圧、熾烈な真相究明運動、最近展開された抑圧とこれに対する抵抗など、すべてを含めなければならない」とし、「人権の普遍的価値を強調しなければならない。済州4・3時期、虐殺が最も多く起きた1948年11、12月は、皮肉にも世界人権宣言が出た時だ」と話した。済州4・3 70周年汎国民委員会のパク・チャンシク運営委員長も「最小限の人権基準を立てる時、4・3は重要な反面教師にならなければならない。国際的な人権基準を満たさなければならないということを、実行だけでなく制度や意識などの面でも持続し、つらい過去を振り返って見ながら、私たちの人権基準を高めていく契機にしなければ」と話した。

 済州4・3論文を書いたジョン・メリル元米国務省北東アジア室長は「南北首脳会談と朝米首脳会談が成功しなければならない。これは悲劇的な過去事の1ページの転換点となるものであり、協力と平和構築、発展の新しい経路を開く道となるだろう。済州島はどうやってこのような悲劇的な歴史を克服できるかを示す克服の象徴となるだろう」と話した。パク・ミョンリム教授は「4・3で苦痛を受けた済州が、外部からの謝罪なしに内から和解と共存を図ってきた点を学ばなければならない。ここに南南(韓国内)対立と南北間対立を克服できる道がある。米国が4・3に対して率直に謝罪し、慰労する心も持たなければならない」と話した。またパク教授は、制度化と一貫性を強調した。彼は「中央政府・地方政府の交代によって4・3についての評価や支援基準、遺族に対する態度が変わってはならない。4・3に対する共同指標を合意し、誰が政権を執っても必ず推進するという社会協約があれば良い」と話した。

 4・3生存犠牲者など疎外された人々に対する関心も必要だとし、近い課題から解決していこうという指摘もある。ホ・ヨンソン済州4・3研究所長は「これ以上一人で苦痛を負う人たちがいてはならない。4・3で怪我をし、生涯後遺障害を患っていても後遺障害不認定者になった人たちもおり、4・3でやむを得ず苗字が変わった状態で暮らし、これを正そうとしても正すことができない人たちがいる。疎外の陰に暮らす4・3生存犠牲者たちに対する関心が必要だ」と指摘した。

 昨年4月に発足した済州4・3 70周年汎国民委員会は、政府レベルの追加真相調査の実施▽犠牲者と遺族、共同体の被害回復の制度化▽不法裁判受刑者の真相究明と名誉回復の法制化▽遺跡地保存・管理体系化▽犠牲者および遺族の申告常設化▽行方不明者の遺体発掘▽4・3トラウマ治癒のための制度的システムづくり▽4・3歪曲防止および名誉毀損の処罰の法制化▽米国の責任に対する究明と国際的解決案の推進▽4・3の名称付け(正名)など10大課題と要求事項を選定した。

 一方、この日、教皇庁国務院首相ピエトロ・パロリン枢機卿が手紙を送り、「フランシスコ・ローマ教皇は4月3日、済州で開かれる4・3 70周年追悼式について理解した。教皇は今回の追悼を機に、老若男女すべての人の心の中に、治癒と和解の精神が根ざすことを祈っている」という教皇のメッセージを伝えた。<了>

済州/文・写真 ホ・ホジュン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/838839.html韓国語原文入力:2018-04-03 09:49
訳M.C

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