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日本軍「慰安婦」被害者のアン・チョムスンさん永眠

登録:2018-04-02 09:29 修正:2018-04-02 11:45
1日午前、出棺後に水原昇華院追悼の家に安置 
各界関係者、市民ら「恨み多き90年の人生」、最期を見送り
先月30日に死去した日本軍慰安婦被害者アン・チョムスンさんの生前の姿=水原市民社会葬礼委員会提供//ハンギョレ新聞社

 先月30日に死去した日本軍「慰安婦」被害者のアン・チョムスンさん(90)の出棺が1日午前、京畿道水原市(スウォンシ)亜州大学病院葬儀場で行われ、アンさんは水原昇華院追悼の家で安らぎを得ることになった。仏教式の出棺は家族や親類、韓国挺身隊問題対策協議会の関係者など100人あまりが出席し、厳粛に行われた。

 アンさんは1928年、ソウル麻浦(マポ)で生まれ、1941年に中国に連れて行かれ1945年まで慰安婦被害を受けた。その後1946年に帰国しアンさんは、江原道と大邱(テグ)などで暮らし、58歳だった1986年から水原で居住した。1993年、慰安婦被害者として登録しアンさんは、2002年から本格的な人権運動家として活動し、自分の被害を証言してきた。

 水原市はアンさんの胸の中のしこりを解くために、アンさんの人生を取り上げた献呈映像「アン・チョムスンハルモニの最期の願い」を製作し、先月8日に公開した。アンさんは当時映像で「億万の金を私たちにくれたとしても私の青春は戻ってこないのに、加害者(日本政府)は自分の罪を知らないまま堂々として、被害者である私たちは苦痛を受けている」とし、日本の直接的な謝罪を要求した。

 アンさんの死去で慰安婦被害者の生存者は29人に減った。今年だけで、アンさんをはじめ慰安婦被害者3人が亡くなった。

 これに先立ち先月30~31日、アンさんの遺体が安置された亜洲大学病院の葬儀場には、空へと旅立ったアンさんの最期の道を見送る各界関係者や市民、学生たちの弔問の行列が続いた。遺体安置所を訪れたある市民は「誰よりも明るい姿で世の中と闘っていたおばあさんがもう旅立たれたというのが信じられない」と涙ぐんだ。

 安置所の一方の壁には、少女像をなでながら演説する姿やプロ野球の始球式を準備して子どもたちと手を握りあう写真など、アンさんの生前の活動の様子が隙間なく貼られた。写真の隣りには弔問客らの追悼メモが貼り出された。弔問客は「ハルモニ(おばあさん)との思い出を記憶します」、「おばあさんの名誉を取り戻すため、これからも闘い続けていく」と誓った。

 チョン・ヒョンベク女性家族部長官、ヨム・テヨン水原市長、ヤン・ギデ、イ・ジェミョン共に民主党京畿道知事予備候補らや、ピョ・チャンウォン、ペク・ヘリョン、キム・ヨンジン議員などが安置所を訪れ、遺族たちを慰労した。同じ日本軍「慰安婦」被害者のイ・ヨンスさん、キル・ウォンオクさんも葬儀場を訪れ、アンさんの最期の道を見送った。

パク・ギョンマン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/838555.html韓国語原文入力:2018-04-02 01:36
訳M.C

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