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ハンスト終えた双龍自動車の労組支部長、「仲間たち、解雇者を忘れないでほしい」

登録:2018-04-02 09:08 修正:2018-04-02 11:10
キム・ドゥクチュン双龍車労組支部長 
 
仲間たちの説得で1カ月のハンストを中止 
15キロ減り、息が切れ会話も難しく 
「会社側は復職不履行に謝罪していない」怒りこみ上げ
今月1日、32日間のハンストを終えたキム・ドゥクチュン全国金属労働組合・双龍自動車支部長が京畿道平沢市の双龍車支部事務室から病院に移動するために車に乗っている//ハンギョレ新聞社

 1日午前8時、どんよりした空の下、京畿道平沢市(ピョンテクシ)七槐洞(チルゲドン)の双龍自動車工場の前は特に慌ただしかった。連なる通勤バスに乗って工場の前に到着した労働者たちは出勤を急いでいた。翌日「週間連続2交代制」(夜通し作業なしに午前1時に業務を終わらせる2交代制)が初めて施行されるため、3000人以上の労働者たちが新しい業務方式に必要な教育を受けるためにこの日の朝、ほとんど出勤したからだ。同じ時刻、工場の向かい側にある全国金属労働組合・双龍自動車支部の事務室は「また別の理由」で人々が集まっていた。2月28日からこの日まで32日間ハンガーストライキ(ハンスト)をしてきたキム・ドゥクチュン双龍車支部長に会うために、人が集まってきた。彼は2009年の双龍車の整理解雇以降、10年間「出勤」できない解雇者130人の復職を求め食を絶った。彼は当時、解雇された労働者のうちの1人として「最後の復職者になる」とし、復職闘争に先頭に立ってきた。この日早朝、キム支部長は「『どうかハンストを中止してくれ』という双龍車の同僚、組合員たちの涙ながらの忠告をかみしめた。生きて闘う」という書き込みを自分のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に掲載し、ハンストを中止した。

 出勤途中に訪れた同僚たちに、キム支部長は「悔しかっただろう?」とすまなそうに言った。キム支部長は一カ月以上の断食のせいで体重が15キロも減り、息が切れ長く会話すらできない状態だった。「(ハンストを)やめるのに悔しいわけないじゃないか、苦労したんだから一旦休めよ」。先に復職した仲間たちは、キム支部長の痩せ細った肩と手をもみながら抱擁で励ました。

 キム支部長が解雇者の復職を要求してハンストしたのは今回が4回目だ。2015年、45日間の3回目のハンスト後には会社と支部、企業の労組が「2017年上半期までに解雇者が復職できるように努力する」と合意した。しかし、昨年上半期までに復職した人は37人に止まった。キム支部長は昨年、大株主のマヒンドラグループのあるインドで53日間の遠征闘争まで行なった末に、2月から復職に関する労使協議を始めることができた。しかし、会社側は「解雇者復職の期限の明記は不可能だ」という方針から一歩も譲らない状況だ。会社側はキム支部長のハンストや市民たちが連帯した「営業所前1人デモ」をめぐり先月27日、社内報を通じて「支部の各種集会と座り込みは解雇者復職の解決に役に立たず、対話のテーブルから遠ざかる状況を招くだけだ」と脅しをかけたりもした。

 この日、支部事務室で会ったキム支部長は「今回のハンストはやっと築いた合意を履行しない会社に対する“怒り”から始まったハンストだった。会社は昨年上半期までに復職を完了しなかったことについて、一度も謝罪したことがなかった」とし、「こみ上げる怒りを一人で抑えるために体も心もさらに辛かった」とした。

今月1日、32日間のハンストを終えたキム・ドゥクチュン全国金属労働組合・双龍自動車支部長が双龍車支部事務室の前で病院搬送を待っている。キム委員長は長期ハンストのせいでにおいに敏感になり、気管支も弱くなりマスクを着用してインタビューに応じた//ハンギョレ新聞社

 彼はソウル緑色病院に入院し、しばらく体調を整える計画だ。ハンストを通じて解雇者問題を改めて知らせただけに、今後の闘争に向けた準備過程であるということだ。彼は「今まで見せてくれた貴重な連帯の心を変えず、共にしてほしい」と感謝の気持ちを伝えた。工場内の同僚たちには「この10年間工場の垣根の中と外で生きた者と死んだ者に分かれたが、力を合わせなければいつかはこのような苦痛がまた発生する」とし、「解雇者らが仲間たちといつも共にいることを忘れていないように、工場内の仲間たちも私たちを忘れないでほしい」と話した。

平沢/文・写真パク・テウ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/838633.html韓国語原文入力:2018-04-01 23:36
訳M.C

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