「同じ民族なのに、互いに向き合って立っている南北の軍人の心情はどうなのか知りたい。南北が平和に暮らして早く統一すればよいと思います」
長い秋夕(中秋節)の連休が終わった初日の10日、中国漢族出身の多文化家族のリュ・ホンさん(44・女)は、板門店(パンムンジョム)を見て回った感想をこのように述べた。北朝鮮の労働党創建72周年記念日のこの日、リュ氏をはじめ京畿道北部地域の多文化家庭の親子16人が、京畿道北部地方警察庁の招きで京畿道坡州市(パジュシ)の非武装地帯(DMZ)一帯を巡った。この日の安保教育では、統一村と第3トンネル、都羅(トラ)展望台、板門店の見学が行われた。
最初の訪問先である第3トンネルは、二人がやっと行き来できるほど狭く天井も低いため、安全帽をかぶって頭を下げてようやく通ることができた。1978年に発見されたこのトンネルは、265メートルまで開放されており、そこから軍事境界線までは遮断壁が設置されている。西部戦線最北端の都羅展望台からは、刈り入れが真っ最中の北朝鮮の野原と1年8カ月間稼動が全面中止された開城工団のようすを見ることができる。
バスが南方限界線を過ぎ非武装地帯に進入すると、窓の外に収穫を控えた稲穂が黄色く波立った。稲作は非武装地帯に唯一設置された大成洞(テソンドン)村の住民たちの主な収入源となっている。大成洞村にかかった大きな太極旗に続き、北朝鮮の機井洞(キジョンドン)村の人民共和国旗が順番に目に入る。二つの村はわずか1800メートルしか離れていない隣り村だが、60年以上往来ができずにいる。
しばらくして共同警備区域(JSA)の板門店に到着すると、参加者たちは緊張感に固唾を飲んだ。案内をした共同警備区域の警備大隊の憲兵は、「板門店は北朝鮮に露出している場所」だとし、「バスから降りたら手を振ったり不必要な行動をしてはならず、指定された場所以外で写真を撮ることも禁止されている」と注意を与えた。板門店では小さな手かばんや財布も持ち込めず、携帯電話とカメラの所持だけが許された。万が一にでも爆発物と疑われかねないためだ。
15分間の滞在が許可された板門店では、南北の軍人がお互いに向き合って不動の姿勢で対峙する映画の中のシーンのような光景が見られた。南側の自由の家と北側の板門閣の間に造られた軍事会談場は、テーブルの中央に設置されたマイクを基準に南北に分かれている。高陽(コヤン)から来た中学生の姉妹であるイム・ハニさん(15)・ハヨンさん(13)は「見学に来るまで北朝鮮や分断について考えてみたことがあまりなかったが、軍事会談場の北側に立ってみると不思議な気分がした」と感想を伝えた。
この日、非武装地帯では彼らの他に日本や中国、米国、欧州などから来た外国人と韓国人観光客たちが、落ち着いた雰囲気の中で分断の現場を見て回った。北朝鮮の追加のミサイル発射が予想されるというマスコミ報道があったが、観光客や現場の軍人たちから不安感や動揺の色は見受けられなかった。この日一日で879人の観光客が坡州地域の非武装地帯を訪れた。連休期間である1日と5~8日の5日間、安保観光客は1万3551人で1日平均およそ約3千人であり、米朝間の緊張感が高まった中でも盛況だった。