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離散家族再会申請者のうち生存者は6万人だけ…毎年3千人の割合で死亡

登録:2017-07-18 01:28 修正:2017-07-18 07:07
2年ぶりの離散家族再会の道開かれるか 
1985年初の再会、2000年以降20回 
4186人が家族・親戚1万9930人に会った
大韓赤十字社が17日午前、北朝鮮に南北離散家族再会のための南北赤十字会談の開催を提案した。写真は去る2015年10月、金剛山で開かれた第20回離散家族再会行事で、再開後再び別れる痛みに心を痛める離散家族たち//ハンギョレ新聞社

 大韓赤十字社が17日、離散家族再会に向けた赤十字会談を来月1日に開こうと北朝鮮に公式提案したことで、2年ぶりに離散家族再会行事が開かれるかに注目が集まっている。

 統一部によると、大韓赤十字社に登録された南側の離散家族再会申請者は約13万人だ。このうち半分以上が死亡し、生存者は約6万人に過ぎない。80代以上の高齢者が生存者の63%を占める。統一部は毎年、約3千人余りの再会申請者が死亡してきたものと把握している。

 当初、離散家族再会行事は1971年8月12日、大韓赤十字社が北朝鮮赤十字会に「1千万離散家族再会運動」に向けた会談を提案し、北側がこれに応じたことで、第一歩を踏み出した。同年8月末、平壌(ピョンヤン)で開かれた初の南北赤十字会談は、翌年の1972年に発表された7・4南北共同声明に繋がった。

 活発だった赤十字会談は南北の政治的状況のために1980年代序盤まで長期間の膠着状態に陥っていたが、北朝鮮赤十字会が1984年、ソウル風納洞(プンナプドン)の水害をきっかけに支援を提案したことで再開された。これは、最初の離散家族再会行事につながった。

 初の離散家族再会は1985年9月20日午前9時、板門店(パンムンジョム)から両方の訪問団が軍事境界線を通過してそれぞれソウルと平壌に向かう形で行われた。当時、100人の故郷訪問団のうち南側の離散家族35人が平壌で北側の家族・親戚41人と、北側の30人が南側の家族・親戚51人と2日間にわたって再会の時間を持った。この短いながらも強烈だった再会は、同月23日、訪問団が板門店を経て帰還したことで、幕を閉じた。

 すぐに進められると思われていた2回目の離散家族再会は、およそ15年後の2000年8月になってようやく実現された。分断から55年後に初めて南北首脳が会って発表した6・15南北共同宣言第3項に「8・15頃に離散した家族、親戚訪問団を交換する」という内容が明示されたことに伴うものだった。両首脳の約束どおり、その年8月15日から3日間にわたり、南北203人の離散家族がソウルと平壌で969人の家族と再会した。同年11月末にも南北それぞれ100人ずつの離散家族が相互訪問し、1022人の家族に会った。6・15共同宣言後の2000年8月から2015年10月まで計20回の再開業時を通じて、南北の離散家族再会申請者4186人は1万9930人の家族・親戚に会うことができた。しかし、北側の住民が韓国を訪問し家族に会ったのは2000年、2001年を除いては、一度も行われなかった。南北離散家族間の書信交換は2000~2003年まで679件、画像再会は2004~2007年まで557件(3748人)が行われた。

キム・ジウン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/803193.html 韓国語原文入力:2017-07-17 21:07
訳H.J(1353字)

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