憲法裁判所の罷免の判決以降、朴槿恵(パク・クネ)前大統領がソウル江南区(カンナムグ)三成洞(サムソンドン)にある自宅に帰ってきてから15日で4日目を迎える。4日間ずっと朝晩の気温差が大きく、昼間も寒い方だった。にもかかわらず、朴前大統領支持者らは初日に900人を超える人が押し寄せ、翌日からも毎日約100人が着実に集まっている。彼らの中には弾劾審判の判決を翌日に控えた9日夜、憲法裁の前で野宿した人たちもいる。今も毎日3~5人が朴前大統領の自宅前で夜を明かしている。主に50代~70代の高齢の朴前大統領支持者たちは、花冷えにもかかわらず、なぜ「アスファルト親朴」になったのだろう。
「アスファルト親朴」らは、国民統合のために憲法裁の8:0満場一致の弾劾決定が出たという評価について、「8:0は人民裁判」だと怒りを露わにした。太極旗をしっかりにぎりしめたキム・ウンヒさん(仮名・71)は「8:0に憤慨してここに来た。6:2なら考えが異なると認めることもできるけど、8:0はまるで人民裁判だ。北朝鮮でなければできないような裁判だ。こんなことが続くと、6・25(朝鮮戦争)当時、共産主義者が幅を利かせていたような世の中になるかもしれない」と話した。イ・ヨンスクさん(仮名・60代)も「6:2や7:1のように意見の相違もなく、8:0で大統領を罷免して腹が立った」と語った。イさんは「私はろうそく集会も2回参加した。ところが、『イ・ソクキを釈放せよ』、『朴槿恵をギロチンで処刑せよ』などの主張をする人がいて、それ以降は太極旗集会に参加してきた」と付け加えた。
「朴槿惠-チェ・スンシルゲート」と関連する憲法裁の罷免の判決が公正でない、性急だったと主張する人もいた。ペク・チョンウさん(仮名・60代)は「マスコミ、検察、特検、憲法裁が共謀し、あらかじめて用意した脚本に沿って、国民に秘密で事を進め、大統領を弾劾してしまった。これは国に対する反乱であり、逆謀」だと話した。ペクさんは「韓国が滅びることを望んでいる北朝鮮追従勢力が政権を取るために、チェ・スンシルの件が出ると、『これなら国を転覆させることができる』と思ってねつ造したのだ。朴前大統領も何か仕組まれたようだと言ったではないか。マスコミが先頭に立って報道し、国会がそれを受けて調査もせず弾劾訴追案を議決をしており、偏向的に野党だけでパク・ヨンス特別検察官を推薦して、憲法裁も満場一致で弾劾を決定するなど、そんなふうに仕組んだこと」だと主張した。ペク氏は「文在寅(ムン・ジェイン)が大統領になりそうだから、皆、文在寅に肩入れしようとしている」と付け加えた。キム・ウンヒさんは「コ・ヨンテは拘束しないで、サムスン電子のイ・ジェヨン副会長を拘束するなど、偏った裁判」だと主張した。イ・ヨンスクさんは「憲法裁の弾劾決定は順序が間違っている。検察で調査を全部終わらせてから、最後に弾劾の可否を決定しなければならなかったのに、性急に結論を下した間違った裁判」だと話した。
憲法裁の弾劾審判以前、弾劾に対する世論調査を否定する声もあがった。ペクさんは「弾劾賛成世論が80%であり、その逆が20%というが、そうではない。世論調査を行えば50対50になるだろうと言う話もある。隠れた保守たちは回答しない場合もあるから」だと主張した。
「朴前大統領を弾劾したこの国が嫌いだ。ほかの国で暮らしたい」と主張する人もいた。キム・ウンヒさんは「朴前大統領を弾劾したこの国が嫌で、移民したいという人たちが多い」と話した。キムさんは「実際、周りに東南アジアに住むところを見に行った人もいる。外国で暮らしても韓国が強く、うまくいってこそ、胸を張って生きていけるが、外国に行っても恥ずかしくてまともに暮らしていけるだろうか」と付け加えた。キムさんは「李承晩(イ・スンマン)は自由民主主義を実現した大統領であり、韓国的な民主主義を実現して韓国を強く、豊かにした。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領記念館にもぜひ行ってみなさい」と勧めた。
若い世代に対する反感も明らかになった。ハン・ジソンさん(仮名・60代)は「私たちの世代はインターネットができない。私たちはペンで字を使って伝えるしかない。インターネットができなくて悔しい思いをしている」と語った。ハンさんは「何か起きたら、若者は自分たちの考えをインターネットに掲載して、1千人、2千人に広めることもできるが、私たちはそれができないから腹が立つ」と話した。ペクさんは「息子と一緒に住んでいるが、朴前大統領が間違っていると言い、弾劾に反対する私たちの考えが間違っていると指摘する」とし、「若者たちが私たちの考えを無視する」と話した。子供たちに対するさみしさが、若い世代に対する感情に乗り移ったようだった。ある70代の女性は同行する女性に「子どもたちに見られたら大変だから、サングラスをかけなければならない。写真が出るかもしれないから」と言っていた。ハンギョレの記者だと言うと、「書かないで。(言ったことと)違う内容を書かれれるかもしれない」と警戒する女性もいた。しかし、「聞いてくれてありがとう」という人たちもいた。